歴史を覆す「聖遺物」がある伊勢三宮へ…とこんなに調子が「良かった」ことはありません

歴史を覆す「聖遺物」がある伊勢三宮へ…とこんなに調子が「良かった」ことはありません

いつもありがとうございます。
日野です。

今日はダイレクトメールが、いつものように追い込まれていますので(汗)簡潔にいきたいと思います。

毎回同じように焦っていて、自分自身の学習能力のなさに愕然としています・・・(-_-;)

先日の土曜日は、毎年恒例になった伊勢神宮へと参拝に行ってきました。

もうここ10年か15年か覚えていませんが、ほぼ毎年行っているように思います。

一年の感謝のご挨拶という感じで家族で行かせていただいています。

それも外宮、内宮、伊雑宮という伊勢三宮を参拝するパターンも毎年恒例となりました。

いつも言っていますが伊勢「三宮」を思う時に、この宇宙の基準はどうも「三」であるというのが見えてきます。

かつては、伊勢神宮内宮では三社並び立っていたことが、江戸時代に描かれた伊勢参詣曼荼羅(三井文庫蔵)にはあります。

そのことを見ていくと、何度も触れていますが、参拝は「三拝」に通じ、三神へ拝することが見てとれますし、そうなると、二拝二拍手一拝ではなく、本当は、三拝三拍手一拝ではなかったか?ということも見えてきます。

実際調べていくと、明治維新あたりを機に変更されたのではないかとも言われています。

「三拝」とは神への礼拝ですが、このことから、神も「三」が基準であることが分かります。

日本の古事記や日本書紀の冒頭に描かれるのは「造化三神」であり、「アメノミナカヌシ(天之御中主)」「タカミムスヒ(高御産巣日)」「カムムスヒ(神産巣日)」となります。

これは神が「三体」であるという、ある意味恐ろしい真理が堂々と示されているのですが、このことだけでも、本来日本はとんでもない国だと分かるのです。

そして、新約聖書に登場する「御父」「御子」「聖霊」の絶対三神と見事に対応します。

しかし、キリスト教は、紀元後、人間の解釈によって「三位一体」であると決めてしまい、以後、そのことが主流となっていますが、本当は、「三位三体」の概念の方が正しいということになります。

聖書の創世記においては、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」と言っているように複数形になっていますから、神は三位一体ではなく、三位三体であるほうが自然です。

ミクロの単位も、陽子、中性子、電子から成り、さらに陽子は、トップクォーク2個とダウンクォーク1個の計3個から、中性子は、トップクォーク2個とダウンクォーク2個の計3個から成り、ミクロの領域も「三」が基準であることがわかります。

このことから、ミクロの領域にも、三神の意は漏れることなく及んでいることが見てとれます。

人体も物質もこれらの素粒子から成りますから、当然ながら神意が隅々にまで及んでいることが示されています。

話がそれましたが、この絶対三神を明らかにしたのがイエスキリストですが、そのことがユダヤ人の逆鱗に触れて、結局、十字架につけられてしまいます。

日本という不可思議な国

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。

すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。

また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
(マタイによる福音書 第3章16~17節)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このように、イエスがバプテスマを受けると、神の「御霊」=「聖霊」が鳩のように降ってきたとありますが、これが「聖霊」であり、天からの声が、「御父」となり、イエス・キリストが「御子」ですから、それぞれ別々の神であることが、この場面においても証明されています。

イエス・キリストが一人三役をしたのではなく、元々別々の神々であるからこそこの場面があるのです。

そのイエス・キリストが明らかにした奥義を受け継いでいるのが、日本という不可思議な国です。

「伊雑宮」と「本伊勢」

実際に、伊勢神宮内宮の御祭神「天照大神」の正体は、女神ではなく、男神であり、天岩戸神話にあるように岩戸に籠って、再び出てきたことが死と復活に象徴されるように、天照大神の真の正体は「イエス・キリスト」となります・・・!!

おそらく、大多数の方がこのことを受け入れられないと思いますし、ひとつの珍説奇説と思っていただいてもかまいません。

いずれ、時期がくれば日本の封印は次々に解かれていきますので、その時に、日本の歴史は根底からひっくり返されます。

いずれにしても、伊勢神宮もその「三」の道理からいえば「三宮」なくてはならず、その隠された宮が「伊雑宮」ということになります。

そしてこの「伊雑宮」こそが「本伊勢」となります。

ふたつの聖遺物

伊勢神宮の内宮や外宮、伊雑宮には地下殿があるとされ、そこには真の秘宝が納められています。

伊勢神宮の内宮の地下殿には、失われた契約の聖櫃「アーク」が現在納められていると思われ、もうひとつ、イエス・キリストの聖十字架も、聖徒たちによって運び込まれているとされます。

このふたつの聖遺物が伊勢神宮の内宮の地下殿にあると言われていますが、伊勢神宮の外宮や伊雑宮の地下殿にも、とんでもない聖遺物が納められている可能性があります。

イエス・キリストを暗示する仕掛け

天照大神の名にも実はイエス・キリストを暗示する仕掛けがあるのですが、「天」とは「二」+「人」と分解できますが、もうひとつ「工」+「人」が本当の分解であるといいます。

「天」は「工」+「人」で、大工のこと。

イエス・キリストの人間界の父親はヨセフでしたが、職業は大工とされます。

「照」=「日」+「召」+「炎」(点が4つで炎の象徴)とみることができます。

「大」は「一」+「人」で「神」は「ネ」+「申」となります。

合わせてみると、「天照大神」=「工+人」+「日」+「召」+「炎」+「一」+「人」 + 「ネ」+「申」となって、「太陽の炎に召された唯一の工人(大工)神と申す」

つまり太陽神でもある大工イエス・キリストの象徴にもなります。

天照大神=イエス・キリスト!!

天照大神を女神にすり替えたのは、当時、女性天皇の時代であったことが背景にあるのですが、仕掛けたのは藤原不比等です。

しかし元をたどれば、父親でもある藤原氏の祖、藤原鎌足や、聖徳太子に遡ることができ、日本の礎をつくったのは聖徳太子であると言われています。

聖徳太子は日本の大工の祖でもあり、彼のエピソードにはイエス・キリストを彷彿とさせる出生のエピソードなどがあります。

ここにも日本とイエス・キリストの不可解な関係が見てとれます。

一体、聖徳太子とは何者なのか・・・!?

これだけ有名でいながら、これほど謎に包まれた人物もそうそういないのではないかと思います。

その影にいたのが秦河勝という秦氏の祖である人物。

聖徳太子と謎の集団秦氏の関係も興味深いものがあります。

そして聖徳太子は「未来記」と「未然紀」という預言書があります。

『日本書紀』には「兼知未然(兼ねて未然を知ろしめす、兼ねて未だ然らざるを知ろしめす)」とあるように、預言者であることが記されています。

未来記や未然紀は偽書だとも言われますが見ていくと、まぎれもなく本物の預言書であることが分かります。

日本を破滅に導くという誰もが名を聞けば知っている「三悪僧」についても記されており、歴史を見ていけば、確かにそのように流れは動いています。

この神域が守り続けられてきたことは奇跡

話があちこちにそれましたが・・・汗

伊勢神宮が今もこうして日々の儀式を行いながらも、長年、この神域が守り続けられてきたことは奇跡でもあり、また日本の歴史を根底からひっくり返すような聖遺物も、ともに守られてきたことは、ある意味凄いことであると思います。

これからもおそらく毎年のように訪れることになると思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

コメント

タイトルとURLをコピーしました