大患難時代前に起きる「しるし」と「君の名は。」妄想談義・特別編「裸の神意」
いつもありがとうございます。
日野
毎月のようにダイレクトメールに追い詰められている気がするのですが、今回も追い詰められているので(;’∀’)時間の関係上、簡潔にいきたいと思います。
前回触れた、聖書で言う大患難時代、日月神示のいう正念場が(子の年が2032年の場合は)、早ければ2020年代後半あたりから起こってくる可能性がありますが、(子の年が2044年の可能性もある)、その場合の「印」のひとつが世界統一政府の樹立と言いました。
しかし、世界統一政府の樹立があるということは、その前に、大きな混乱が起こらなければなりません。
なぜなら、過去を見ても分かるように、第一次世界大戦の後に国際連盟が設立し、第二次世界大戦の後に国際連合が設立しているからです。
混乱の後に、世界的な結束が求められるパターンが、歴史を見ても分かりますので、そうなると、ひとつの予測としては2020年代後半に、第三次世界大戦の可能性も想定しておく必要があるということです。
よく第三次世界大戦と、聖書で言うハルマゲドンを同じにいている場合がありますが、これは、「別」ものとみたほうが良いです。
ハルマゲドンは大患難時代の後にくるものとされます。
その後、福千年の時代に移行していきますので、第三次世界大戦は、大患難時代の前に起こると考えられています。
できうることなら、このような戦争をはじめ、疫病、災害などは起こってほしくない・・・と切に願うのですが、しかし、預言で記されている以上は、想定、もしくは覚悟したうえで準備をしていくことが大切と思います。
そして大難を小難に祀りかえていただけるよう、あとは祈りも大切ではなないかと思います。
しかし、日本の首相は、すでに第三次世界大戦が起こっているというような表現をされていました。
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「第3次世界大戦は核戦争になるであろうと考えていた。だがこのコロナウイルス拡大こそ、第3次世界大戦であると認識している」
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これは、日本が新型コロナウイルスによって、戦時体制と同じように、国の権力を強めていくことを示唆したとも受け取れます。
そして、この新型コロナウイルスの世界的蔓延から、世界的な戦争へと連なっていくことを、首相は認識しているとも受け取れます。
実際に、今後、経済的な混乱や宗教的な争い、さまざまな国の思惑などが絡んできて、世界的な混乱になる可能性はあります。
実はヨハネの黙示録はそのあたりのことも預言されています。
そのように見ていくと、もう「想定」していくしかないというのが本当のところです。
その中で、今この日本という国に生まれ、こうして生かされているということは、稀有なこととも言えると思います。
ひとりひとりが今ここでできることを全うしていくことが、天から与えられた役割なのだと思います。
そしてそのためには、まず大前提として「健康」であることが重要になってきます。
あしふみ健康ライフの体験談まとめ
あしふみ健康ライフ、好評をいただいていますが、メーカーさんにもいろいろな体験が寄せられているそうですが、どういったお声が寄せられているか、ダイジェストでランダムに上げさせていただきますと・・・
流し読みしてみてください。
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・この動きは本当に良い
・足が軽くなった
・股関節がちゃんと動いている
・体がポカポカする
・今日はぐっすり眠れる
・なかなか運動できない人に良い
・言葉が良く出てくるようになった
・足が勝手に動き出す。なんで?
・これなら転ばなくて良い
・ダイエットになりそう
・これなら続けられそう
・手のグーパー運動と同じく脳神経刺激になる
・歩いているみたい
・体に良いことをしていることが分かる
・1回踏み出すと止まらない
・木という素材がいい
・凄く熱くなってきた
・気持ちがいい!
・足がスッキリする
・面白いアイディアですね!
・今まで無かった、面白い
・簡単に動かせる
・股関節の手術をしているけど出来る、痛くない!
・出来ないと思っていたけど出来た!
・毎日続けたい
・自分の足で歩きたいから続けたい
・血行が良くなっているのが分かる
・よく分からないけど足が動いてる
・痛くもないし、キツくもない
・TVを見ながらできる
・気持ちが良い運動
・毎日使いたい
・施設にも置いてほしい
・楽に動く
・足が軽くなった
・あしふみをした後歩くと、足が軽い
・浮腫のある患者さんに良い
・普段運動しない患者さんに良さそう
・車椅子の方でも使えるのは良い
・ポカポカしてきた
・片麻痺の人でも両足が動く
・自転車漕ぐマシンより楽で良いね
・こんなのは初めて
・楽にできるから良かった
・5分で1000歩はびっくり!
・骨盤が整い姿勢が良くなる
・母に使わせたい
・これはすごい発見だ
・シンプルが良い
・これが出来ない人はいないでしょう
・雨の日でも家で運動できる
・プレゼントしたい
・足の指先がジンジンしてきた
・やばいです
・自分で動かしているのが良い
・家族でできる
・透析患者、目の不自由な人でもできる
・今までの訓練だと続かないが、自然に動くから長時間できる
・股関節に効くのは良い
・主人が1日中座っているから、これが良い
・歩きたくても歩けないから、これで補えるかも
・3~4分踏んで、膝の痛みが和らいだ
・太ももに結構くる感じがする
・電気コードがないので面倒くさくなくて良い
・毎日何の抵抗もなくできそう
・歩くのと違い体重が膝腰にかからないので楽に動かせる
・これは体に良いので友達に教えてあげたい
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お客様からも、ちゃんとできるかどうか・・・とおっしゃっていただくのですが、これは本当に簡単で、シーソーみたいに一度動かすと、勝手に動き出し、無意識で下半身を動かしていられるので、本当に楽です。
僕のように何も考えることなく、ボケ~~ッとしながらでもできますので、これはいいと気に入っています。(‘◇’)ゞ
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あしふみ健康ライフシリーズ
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「君の名は。」妄想談義・特別編「裸の神意」
ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですが、前回は「御菓子」について見てみました。
この「菓」はいろいろな読み解きができると思いますが、そのひとつに「菓」の元々の意味に、「くだもの。このみ。果実。」があることから、生命の樹や知識の木との関りを見ました。
そして、「菓」の「果」という部分が使われた漢字がありますが、その中で、「生命の樹」から連想して思い浮かべる漢字があります。
それが・・・「裸」という漢字です・・・!!
「裸」という漢字は、「果」が含まれています。
この「裸」という漢字はなぜこの漢字になったのか・・・常識的に考えればよく分からないのですが、もうお分かりのように、聖書から見ると、非常に理にかなった漢字であることが分かります。
「裸」の意味
「裸」=「衣編」+「果」
今さら見るまでもないかもしれませんが「裸」の意味はこうあります。
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1、「身に衣服を着けていないこと。また、そのからだ」
2、「覆いや飾りがないこと」、「隠し事のないこと」(例:心を裸にする)
3、「持ち物・財産などのないこと」(例:裸一貫、パチンコで負けて裸になる)
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そして、漢字の成り立ちをみるとこうあります。
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会意兼形声文字です(衣編+果)。
「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「木に実のなる」象形(「外の皮をむいた木の実」の意味)から、「はだか」、「はだかにする」を意味する「裸」という漢字が成り立ちました。
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つまりは、衣服のえりもと(衣)と、外の皮をむいた木の実(果)から成るというのですが、よく分かったような分からないような・・・成り立ちです。
しかし、聖書を見ればより納得していただけると思います。
この「裸」という漢字はまさに、創世記のエデンの園でのことを象徴的に表す漢字です。
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「そのとき人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいとは思わなかった」
(創世記第2章25節)
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罪穢れのないアダムとエバは、裸であることを恥ずかしいとは思いませんでした。
しかし、その後、蛇(悪魔)にそそのかされて、知識の木の実を食べてしまいます。
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蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。
女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
(創世記第3章4~7節)
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このように、「裸」とは「衣編」+「果」から成る漢字ですが、知識の木という「果」実を食べることによって、目が開け裸でいることを知り、「衣」で覆うようになった・・・だからこそ、「衣」+「果」=「裸」となり、この聖書のエピソードを「裸」という字で象徴的に示しているのです。
逆にそれ以外の説明ができるのか・・・?というほど、聖書との関りを深く示した漢字だと思います。
「ラ」は神を意味する言葉
最後、余談ですが・・・「裸」は「ラ」と読みますが、「ラ」は、太陽神ラーというように、神を意味する言葉でもあります。
「ラ」は「良」でもあり、これも神に繋がっていく意味をもちます。
つまり「裸」の状態で、アダムとエバは最初いたのですが、これは罪を全く知らない状態でした。
それは神に等しい状態であったともいえ、「ラ」=「神」との関りを示唆するように思います。
また、お遊びで・・・「裸」=「はだか(はたか)」=「葉田果」となり、アダムとエバは、エデンの園(=「田」)で知識の木の「果」実を食べて、目が開けることによっていちじくの「葉」で覆った・・・というエピソードが、「裸」=「葉田果」なのかもしれません。
アダムとエバは、エデンの園において罪を犯したために、エデンの園から神に追放されました。
しかし、「もしものこと」(如果的事)ですが・・・蛇のささやきを断固として断っていたら、罪を知らないために善悪を行うこともなく、子供ももたなかったでしょうし、永遠の命があるということも知ることはなかったでしょう・・・。
そして、後の人類の繁栄もなかったことになります。
ある意味、こうして人が存在し、それぞれの人生において喜びや感動、悲しみ、苦しみといったことを、味わうことはなかったでしょう・・・。
そのように見れば、すべては必然であって、すべてが神の祝福であり、「もしものこと」(如果的事)と言うこと自体が、ナンセンスということなのでしょう。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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