空海の名に秘められた謎と羊水の読み解き(中編)「ツリー・オブ・ライフ」

空海の名に秘められた謎と羊水の読み解き(中編)「ツリー・オブ・ライフ」

いつもありがとうございます。
日野です。

深夜の配信すみません。

今日は日曜日ですが、今週の月曜日に風邪のためにダウンした時、配信ができなかったのでそのかわりに、今日配信します。
今回と次回は本当に超マニアックな話題となってしまいます。
本当に申し訳ありません。
僕の中では「羊水」については、一応の完結をしておきたいので、おそらく今までで一番マニアックな話になりますが、書いておきたいと思います。

ある意味お遊び的な話になりますので、楽しんでいただければと思いますし、興味がなければスルーしてください。

空海の名に秘められた謎

前回取り上げた超人、空海ですが、空海のバックにも、見ていくと秦氏がいるのです・・・!!
ここにも秦氏か・・・!!と思うのですが、聖徳太子といい、空海といい重要人物のバックには、「秦氏」の影が必ず見え隠れします。

空海は唐の長安に入り、青竜寺の恵果に認められるわけですが、そこに至るまでには、膨大な資金のバックアップがあったとみるべきです。
空海の幼少名は、「佐伯真魚」と言いましたがこの佐伯姓は、秦氏の支族ではないかと指摘されています。
また、「真魚」というのも実に意味深な名前で、「魚」に「田」が含まれていたり、「魚」自体がキリスト教の象徴にもなっているということを思えば、そこに何かあるような気がします。

実際に、ギリシャ語で「魚」は「イクトゥス」というそうですが、この五文字は「イエス、キリスト、神の、子、救世主」を意味する、言葉の頭文字になっているといいます。
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ウィキペディア
https://goo.gl/uwwtgR
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であれば、「真魚」で「真」の「イエス、キリスト、神の、子、救世主」ということで、この空海という人物は生まれながらにして、只者ではなかったということになるのではないかと思います。
のちの名である「空海」という名前自体も、スケールが大きく、とてつもない人物だということが分かります。

日本において、密教の祖となる空海は、興味が尽きない人物のひとりです。
この密教の祖、空海を強烈に意識していたのが、「天海大僧正」であると言われています。

「空海」に対して「天海」。

飛鳥昭雄さんがおっしゃっていましたが、天海のネーミングは、完全に空海を意識しているといいます。
真言密教の祖に対して、天台宗、最澄の流れをくむ系譜の大人物のひとりが、天海。
天海大僧正も、まさにとてつもない人物の一人で、江戸幕府の盤石な基礎を作り上げた人物で、同時に江戸幕府の次に来る時代も、予測してつくりあげた人物です。

そして・・・その正体は「明智光秀」でもあり、日本の国体を護持してきた、秘密組織「八咫烏」のひとりでもあります。
その人物が徳川家康を影で支え江戸幕府の盤石な基盤を築きます。

羊水の読み解き(中編)

ということで、すみません(汗)また話が逸れましたが・・・
ここから「羊水」についての読み解きを、一気にしてしまいたいと思います。

音に返すと繋がる漢字は当然ながら読みという「音」があり、その「音」に返すことで、同音漢字が音で繋がってきます。

「羊水」の「羊」は「ヨウ」と呼びますがこれを音に返してみると

「羊水」=「ヨウスイ」=「陽水」=「要水」=「養水」=「洋水」=「八水」=「葉水」

などが思い浮かびます。

「陽水」とみれば、「陽」=「日」であり「光」となり、天の光を宿した水となります。
「要水」とみれば、「要(かなめ)」の水となります。
「養水」とみれば、「養う水」となり、十月十月かけて生命が養われる水となります。
「洋水」とみれば、「太平洋」などというように「洋」で「大きな海」というように海の水を一般的にさします。
羊水と海水は非常に成分が似ていることがわかります。
「八水」とみれば、これはいつも言うように「八」が「イヤ」「ヤ」とも読むことや、八百万の神々ということから、ずばり「神」を象徴する数字となります。
ここから、八水とは、神に包まれた水とみることができます。

世は「三」や「三十」と関わりがある

「葉水」ですが、これも興味深く「葉」という漢字を漢字分解すると、「葉」=「草冠」+「世」+「木」となります。
「草冠」は表示されないかもしれませんが「艸」と書きます。
草の形に象る「艸」ですが、これは、「三叉」が2つあります。
イエス・キリストが頭に嵌められた「茨の冠」をも象徴します。

そして「世」ですが、「よ。一生。よのなか。一世代。三十年。時代。よよ。代々。」といった意味があります。
かつては、一世代が30年とされていた時代があり、そこから「三十年」という意もあるといいます。
「世」の漢字に含まれる「廿」は「20」の意ですが、「十」+「十」の合わせ字が「廿」と言われています。
「廿日市」と書いて「はつかいち」と読むことからも、わかります。
そして、「廿」と「十」を合わせると「世」になると見ることもできます。
ですから「世」は「三十」を表します。

下記の「世」の異字体などをみても、世は「三」や「三十」と関わりがあると見てとれます。

漢字「世」の部首・画数・読み方・筆順・意味・成り立ちなど
世は、世よの中なか / 時代じだい / 代々だいだい / 受うけ継つぐなどの意味いみを持もつ漢字かんじです。部首は一部に属し、画数は5画、習う学年は小学校3年生、漢字検定の級は8級です。読み方には、セ / セイ / よなどがあります。

「世」=「30」=「3+0=3」となり、3という数理があります。

こういったことから・・・

「葉」とは「艸」が「三叉」を象徴する形象が「ふたつ」あることになり、「世」で「三十」ですから、「三」という数理と「十」(十字架)の「木」となります。

これは、今書きながら、思いついたことですが・・・汗
つまりは、「葉」とは聖書から見れば、イエス・キリストの十字架の、場面を象徴しているように思います。
なぜなら、イエス・キリストの他に、2人の犯罪人も十字架につけられているのです。
合計3人で、この3本の十字架は、三神を象徴していると思います。

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ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。「ルカによる福音書(第23章32節~33節)」
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ここから読み解けることとしては「葉」とは、「草冠(艸)三・三」と「世(三十)」から「三」「三」「三」「十」の数理が導かれます。

「三」「三」「三」の三神を象徴する「三」人が「十」字架の「木」にかけられる。(=葉)
そのことを、「葉」は象徴しています。
ここから「葉」とは「死」と「復活」の象徴でもあります。
つまり、「葉水」とは「死と復活」の水でもあり、僕たちは、あちらの世界(死・陰の世界)から、こちらの世界(生・陽の世界)へと、まさに死と復活を象徴的に表しながら、生まれでてくるのです。

「ツリー・オブ・ライフ」

そして、「葉」についてはこちらが本題なのですが、「葉」とは、結論から言えば永遠の命を象徴する「生命の樹(いのちの樹)」を、ずばり象徴します。

「葉」=「草冠(艸)(三・三)」+「世(三十)」+「木」となり、「葉」=「三」「三」「三」「十」「木」となります。
生命の樹の象徴図形は、横は「三本柱」から「三神」を象徴し、縦は「三層世界」に階層がわかれます。

上から、「至高世界」「中高世界」「下層世界」と分けられています。
画像をお借りしますと生命の樹の下記のような三層世界です。
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生命の樹の三層世界と三本柱
http://treeoflife888.lolipop.jp/file/seieminokisansousekai.jpg
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このことを聖書では、太陽、月、星の栄光と呼んでいます。
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太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。
個々の星によって栄光が違います。
コリント15章41節
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人は死後、生前の行いを自らが振り返り、三層世界にそれぞれが審判し、向かうと言われています。

「至高世界」=「太陽の栄光」
「中高世界」=「月の栄光」
「下層世界」=「星の栄光」

「葉」の「三」「三」「三」が三+三+三=九となり、生命の樹で表される横の三柱と縦の三層の、この世の「九」の世界を象徴します。

そのことを「囲」という字で象徴しています。
「囲」とは、この世界の三柱と三層構造「九」の世界を見事に表しています。

「葉」は「生命の樹」そのものを象徴する

「葉」が「三」「三」「三」「十」「木」と見ましたが、「三」「三」「三」で三本柱と、三層世界(三×三=九)まさに「生命の樹」の世界が、象徴的に示されています。

さらに、「十」は、十個のセフィロト(球体)を象徴していると思います。

http://treeoflife888.lolipop.jp/file/seieminokisansousekai.jpg

つまり、「葉」という漢字分解から読み解けることは、「葉」=「三」「三」「三」「十」「木」とは、「生命の樹」そのものを象徴することになります。

ですから「葉水(羊水)」とは、永遠の生命を象徴する、生命の樹の「葉」から零れ落ちた水で包まれている、と読み取れるのです。

つまりは、僕たちは生まれた時から、神の恩寵を受けた聖水に包まれて、生まれでてくるということで、すべてが繋がってくることになります。

彼らはどこへ向かったのか・・・?

「羊水」の映像でも述べたように「十二支」と「羊」の関わりも、あるように思います。

十二支の八番目が「未(ひつじ)」ですが、「未」=「羊」となるので、両者は繋がりがあると思います。
十二支の第「八」番目が「未」であり「羊」であり、「八」は「神」を象徴する数字です。
そして、「未」=「み」=「三」となるように、「三」にも通じる言葉になります。
「未」という漢字は、「未来」「未然」というように、先の時代を指します。

結論から言えば、「未」=「羊」から読み解けることは、「未」来において「羊」=「神の子羊イエス・キリスト」が、再臨するということを象徴的に示しているように思います。
それと、同時に、古代イスラエルの十二支族(羊)の集結を、意味するのではないかと。

聖書においては「羊」は「十二支族」の「支族」をも、象徴的に表していることがわかります。
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イエスはまた言われた。
「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。

(中略)

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。

(中略)

わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

(中略)

わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。
わたしは羊のために命を捨てる。
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。
その羊をも導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。

こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネによる福音書・第10章)
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このように、羊の集結について触れられており「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。」とあります。

かつて、古代イスラエルは南北朝に分裂し、その後、北朝にいたはずのイスラエル十支族は、戦乱の混乱から、何処へと消滅してしまいます。
これが歴史上の謎のひとつ「失われたイスラエルの十支族」です。

しかし、結論から言えば、彼らは滅びたのではなく、戦乱の混乱に乗じて、ステップロードなどを通って神の預言に従い東方へと向かいます。
チベットあたりで本体はさらに北へと向かいますが、その別働隊は、さらに東の果てを目指します。
そして最終的に、別働隊は東の果ての日本へと来ます。
彼らが、旧約聖書の民であり、物部氏の集団です。
そして残りの南朝にいた二支族も、後に日本へと来ていると思われます。

チベットの人たちと日本人が、遺伝子的にも似ているとされるのは、この移動でチベットのあたりを通過しているからです。

彼らはどこへ向かったのか・・・?

結論から言えば、釈迦が北の果てに存在するといった「シャンバラ」・・・!!
そこを目指してさらに北の果て目指しました。
シャンバラとは実在します。
ダライ・ラマ14世もシャンバラは存在するということを言っています。

いずれにしても、古代イスラエルの十二支は、近い将来、一つに集結します。
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こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
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大和民族もそのひとつだといえますし、琉球民族もアイヌ民族も羊のひとつです。

北の果て「シャンバラ」へと向かった、イスラエル十支族の本体も、いずれ十二支族の集結のときには、ある場所から帰還してくるものと思われます。

「神の元に集結する古代イスラエル十二支族」

これは映像でも述べましたが「羊」という字を見ていたら、そう見えてきただけで、偶然なのかもしれませんが・・・

「羊」という漢字を分解して「羊」=「八」+「十」+「二」としています。

かなり強引であると自分でも思いますが・・・

「羊」=「八(神)」+「十(イスラエル十支族)」+「二(イスラエル二支族)」となり、「羊」という漢字で「神の元に集結する古代イスラエル十二支族」と読み解けます。

「十」+「十」=「二十」=「初」

最後に、十月十日(とつきとうか)かけて生まれてくるということが言われていますが、これも組み合わせると「朝」という字になると、よく言われたりしますが、これもおもしろいと思います。

「朝」=「十」+「月」+「十」+「日」

「朝」という太陽が昇る一日の始まりで、それは人の生涯の「初まり」をも意味します。
この「十」と「十」という数理を足すと「二十」となります。
そして「二十」は、「二十日」となれば「はつか」と読みます。
「二十日」=「はつか」というのも、常識では読めませんので当て字になります。
当て字にするということは、その言葉や漢字が重要な意味をもつことを、示唆しているとみていいでしょう。

「太秦(うずまさ)」や「斑鳩(いかるが)」という、秦氏との関わりが深い地が、このように当て字にして重要な意味を込めているように、「二十日(はつか)」というのも、重要な意味があるように思います。

「二十歳」も「はたち」と読ませ「二十」という数字は、特別な数字だと思われます。
確かに「二」+「十」=「王」という漢字になることを思えば、非常に重要な気がします。

「二十日」=「はつか」=「初日」から「十」+「十」=「二十」=「初」となり、僕たちが生まれてくるということは、この世のこの肉体をもって、「初」の体験をしにくるものだということでしょうか。

「十」月「十」日で数字の「十」「十」で「二十」、これを合わせると「王」となるので、「王」つまり天の主、神なる存在が十月十日見守っている・・・ということでしょうか。

「羊」の形象から聖書に関わりのあるもの

ここまでが、映像で述べたことを補足して述べてみました。

そして、最後の謎解きを次回にしたいと思いますが・・・「羊水」の「羊」という漢字を数日前に何気なく眺めていた時に、この形は・・・!!と思ったのと、この羊水が「生命の樹」と関わりがあるということを感じていたので、この「羊」の形象から、これまた聖書に関わりのあるものが見えてきました。
次回、これで羊水については終えたいと思います。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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