「寝=ネ=示」からつながる「神・真の世界」とこの世界は「幻想」という逆転の構図
いつもありがとうございます!
日野です。
前回は「意識」とはどこにあるのか・・・そして「睡眠」とは何なのか・・・ということについて、かなりぶっ飛んだ話が展開されました。
馬鹿にしていただいても全くかまいませんし(笑)、ただ、睡眠というものを全く常識はずれの視点から見ることで、睡眠というものに対して違う角度から、見つめ直していただければ・・・ということも思っています。
そして人体の無限の可能性について、少しでも思いを馳せていただければということも思っています。
潜在意識のパワー
すみません。今回もマニアック全開の話になってしまいましたので、興味がなければスルーしてください。
寝ている間は、自分の意識では何が起こっているのかは分かりません。それは潜在意識が優位になっているからです。潜在意識はまだまだ計り知れない奥深いものがあると感じますし、その潜在意識のパワーは、顕在意識とは比較にならないくらいの、可能性が秘められていると感じます。
おそらく・・・というか確実に、人生において大成功をしている方は、この潜在意識を意識的にしろ無意識的にしろ、活用している方だと思います。
「意識」は人体にはない・・・!!脳は意識の受信装置であり意識と肉体を繋ぐのが脳である・・・!!という、オランダの外科医のピムファンロンメルという人ですが、非常に興味深いと個人的には思っています。
そして、この空間こそが「本質」であるという話にも繋がってきます。
今、インターネットの世界は「クラウドサーバー」といい、空間上にデータを保存するようなことが、実際にできてきていますが、これは、まさに「脳」の機能と似ているように思うのです。
脳もまさに「クラウドサーバー」であり、この空間上から、本当は・・・アイデアや直感などを受け取ることができるポテンシャルは、「ある」ということを感じます。ですから意識はこの空間上を、駆け巡っているということも言えるし、意識は瞬間、思った人の元へと届きます。
非科学的な考えかもしれませんが、僕は意識は光速を超えると思っていますし、そのことが「こだま(音速)」「ひかり(光速)」「のぞみ(意識)」という、新幹線(=進化(ん)線)というネーミングに、象徴的に表されていると言われています。
その能力が常人よりも優れている方が、実際にはたくさんおられると思いますし、そいうったことを「天啓」として受け取っておられる方が、ビリーダンの三浦社長であり、丸山修寛先生であると感じます。
人に喜んでもらうものを、たくさん生み出されていることが何よりも、天に添う意を受け取っておられるということであり、素晴らしいことであると感じます。
一方で、犯罪者が、声が聞こえたといって凶悪犯罪を犯すことがありますが、これは真逆の声によって、真逆の方向へと導かれてしまった例だと思います。
「霊体」「見えない存在」というのも「陰陽」があるということであり、だからこそ慎重に見ていく必要があると思います。
そのことが、聖書にも天使と悪魔の構図で描かれています。これは象徴というよりも実際のことを描いたことだと僕自身は感じています。
「睡眠(主意明)」の本質
それにしても「睡眠」は「睡眠」=「すいみん」=「主意明」とマニアックにみれば・・・「主」=「おおもと」の「意」が「明らか」に示され、その明らかに示されたおおもとの意を、ダウンロードしているのが「睡眠(主意明)」の、本質なのではないかということを言いました。
では「寝る」「眠る」と言いますが「ネる」「ネむる」ということで、「ね」という音が気になります。「ね」=「ネ」であり「ネ」とはカタカナの「ネ」ですが、「示偏」の「ネ」でもあります。「神」という言葉に示されるように「示偏(ネ)」自体が「神」の象徴でもあります。また「寝」=「ね」=「子」「根」「音」とみれば、「子」=「一」+「了」で「始まり(一)」であり「終わり(了)」を示唆して、「あうん」でもあり「アルファ」であり「オメガ」でもあり、「すべてを包括する大いなる存在」「すべてを包括する宇宙」などをを示唆しているように思います。
そこから「寝る」ことは、潜在意識から大いなる存在へと繋がっていく時であるということを思います。また、「根」から根源なるもの・・・ということが、思い浮かびますし「音」は「立」+「日」から成る漢字で「光」を潜在意識に「立ち上がらせる」ということになり、つまり寝ることが「光」=神に等しいものに包まれているのだ・・・ということを、象徴しているのかもしれません。
それが「ね(寝)」という言葉の本質であるのかもしれません。「寝る(眠る)」の「ね」は何かそういった「おおもと」「大いなる存在」を彷彿とさせるものへ、繋がっているように思います。
「寝=ネ=示」からつながる「神・真の世界」
また、「寝室」=「神室」ということも以前触れましたが、「寝」=「しん」から「神」=「真」=「新」と見れば、「寝」とは「神」と繋がり、「真」の我、「真我」と繋がり「全く新たな自分に生まれかわる」ことを、示唆しているようにも感じます。
考えてみれば「寝る」ということは、その日、1日をいったんリセットして次の朝、全く新しい自分に生まれ変わるということもできます。
僕たちは、日々、実は死んで生まれ変わっている・・・少なくともそういう気持ちで毎日を過ごしていければ、本当に新鮮な気持ちで、新たな全く未知の今日を、再び始めていくことができますし人生がより充実していくような気がしています。
「寝」=「しん」=「し(ん)」=「死」=「四」と繋がり「四」は「し」であり「よ(ん)」とみれば、「死」であり「蘇り」の「よ」も同時に含むことになります。すわなち「寝る」とは「死んで」「蘇る」ことでもあるのです。
日本人は、古来から死んで蘇るという信仰を持っていて、そのことを如実に示すのが新年に飲む「お屠蘇」の儀式です。
よく見ると「お屠蘇」という言葉はかなり奇妙な言葉だと感じます。なぜなら新年という縁起の良い時に「屠殺」の「屠」という漢字が混じっているからです。しかしこれは、明らかに意味があってのことであり、「お屠蘇」の儀式とはずばり「屠殺(死んで)」「蘇る」ということを象徴した儀式なのです。
そして、漢字や日本の文化風習は聖書になぜか繋がっていきます。聖書、特に新約聖書においてまさに死んで蘇った人物がいます・・・。
そいうったことにも、日本という国に繋がってくるのが、日本の奥深さであり、ある意味恐ろしいところでもあるのです。
この世界は「幻想」という逆転の構図
話を戻すと・・・「睡眠」というものを見ていくと、何気なく僕たちは普通に寝て起きてということを、日々繰り返していますが、本当は寝ている間に僕たちが知らない間に・・・でも本当は潜在意識がすべて知っているのですが、とても重要なことが成されているのだとしたら、やはり睡眠の環境や意識や人体は整えていくことで、良い状態で眠りにつくということが、大切なような気がします。
眠っているときこそが、実は「本質」との繋がりのときであり、本当の「真我」が発動している時なのかもしれないと思います。
そして僕たちは、起きている時が本当の世界であると思っていますが、量子力学などから見ていけばこの世界は、本当は素粒子レベルで見れば、「波」であり「粒子」であるというファジーな世界であってもっと言えば、この世は「幻想」である・・・!!ということも言われているのです。
となると・・・本当の世界は、実は「寝ている時に」アクセスしている、立ち上がっている可能性だってあるのだと感じますし、事実、そういったことを言い出している科学者もいるのです。
本当だと思っていた世界が「虚構」であり、嘘だと思っていた世界が「真実」であったという逆転の世界が展開されている・・・そういう可能性もあると、僕自身は感じています。
この世とあの世という陰陽の世界で見ても「この世」が真実で、あの世が「虚構」だと常識では思われていますが、実は「この世」が虚構の世界で、「あの世」が真実の世界であるということも一部では、言われ始めているのです。
ということで・・・レム睡眠とノンレム睡眠について触れるはずが・・・また勝手にすみません大きく暴走してしまいました・・・。(汗)次回から現実に戻りたいと思います。笑
ただ、睡眠とは何かこの現実とは何なのか・・・ということをぜひ、ご自身で問いかけていってみてください。
睡眠とは「寝」=「しん」=「神・新・真」に通じるように、本来はおそらく神聖なものであり、神に通じるものでもあり、真の我、真我に出会える時でもあり、新しい自分に生まれ変わる時でもある・・、そういう気持ちで睡眠というものを見つめ直すことができれば、今日からまた眠る時の意識も、変わってくるのではないでしょうか。
環境を清浄な空間にして整えていき、人体を整えて、意識を整えて、良い状態で眠りにつく意識が、芽生えてくるのではないでしょうか。
すると、おそらく・・・睡眠中の質や本質との対話(あるとすればですが)も変わってきて、潜在意識が書き換わっていくことで、現実もどんどん変容して人生がより豊かに発展的になっていく、いや、本当はすでに初めから、素晴らしい完璧な世界が、この現実にも波及して広がっていたのだと気づくのではないか・・・、それは内面の世界が外面に波及するからで、内面(潜在意識)の完璧さに気づけば、外側の世界も本来、完璧であったということに気づくのだと思います。
そして今の現実の完璧な世界を(決して完璧だと思えなくても)ありのまま受け入れた時に、外側の現実も、急速に変容がおこったり、現実が動き出したりしてくるのだと、そのように僕は感じています。
まだまだ書きたいことはありますが止まらなくなりそうなので・・・汗
ちょっと抽象的な話になり理想論に聞こえるかもしれませんが、僕としては核心部分であると思っています。
本当に長くなってしまい、かつかなりマニアックになってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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