丸山修寛先生が推す「十言の神咒」の威力と「君の名は。」妄想談義・特別編「いろは歌の真意(後編)」
いつもありがとうございます。
日野です。
先日の、第7回Zoomオーガニッククラブに引き続き、今日の夕方18時半から、第8回Zoomオーガニッククラブを開催しました。
今日は、株式会社玄米酵素の嶋本さんに、先月に続いて登場していただきました。
連日参加いただいた方たちもおられて、本当にありがとうございました。
両日ともに、僕自身も学びをいただきました。
今日は「プチ断食講座」ということで、これだったら、できる・・・!と思っていただいた方も、多かったのではないかと思います。
またごく一部にはなりますが、ピックアップしてお伝えできればと思います。
「アマテラスオホミカミ」
先日の丸山純輝社長の講演については、丸山修寛先生がサプライズで登場されたとお伝えしましたが、丸山先生は、毎月1日と15日は、氏神様に感謝の参拝をされているそうです。
先日の15日も、朝4時に起きて丸山社長も叩き起こされて(?)一緒に行ったそうなのですが、丸山修寛先生は、今日行った誕生日の参拝は、本当に大きな気づきをいただけましたと、その一部をお話してくださいました。
その神社での気づきは、本当に大きな見えない存在から、愛されている・・・ということだったと言います。
それは絶対的な神のような存在だと思いますが、そういった存在から、自分は絶対的に愛されているんだということを、改めて感じられたといいます。
本当にそうなんだろうなあと聞いていて感じました。
そしてこの地球に人間として生まれている以上は、一人一人に惜しみなく本来、天からの光りは降り注がれているはずです。
しかし、つい日常の生活にまみれてしまい、そのことに気づけなくなったり、そこから目を逸らしてしまったりして、自信をなくしてしまっている方が多いのかもしれません。
そういった中で、丸山先生は、「十言の神咒(とことのかじり)」の言霊を、最近、患者さんやセミナーなどでも、伝えているとおっしゃっていました。
以前、このメルマガでもご紹介したことあったと思いますが、「十言の神咒(とことのかじり)」とは、「アマテラスオホミカミ」という十音になります。
天照大神、天照大御神といった表記がありますが、読みは「あまてらすおおみかみ」ですので、「ア・マ・テ・ラ・ス・オ・ホ・ミ・カ・ミ」となります。
非常にシンプルな言霊だと思いますし、日本の最高神でもある、天照大神の御加護がいただけるものと言われています。
また十音ですから、「十」という完全数でもあり、「十」を「十字架」の象徴とみれば、天照大神=イエス・キリストで、この十音はイエス・キリストの象徴も、含まれているのかもしれないと感じます。
イエス・キリストも天照大神も「太陽神」でもあるので、「アマテラス」=「天照」=「太陽」と繋がってきます。
丸山修寛先生が推す「十言の神咒」の威力
また、驚くべきことに・・・丸山修寛先生は、「十言の神咒(とことのかじり)」を唱えていくことで、電磁波対策になりますとおっしゃっていました。
それは患者さんたちに唱えてもらうと、実際に患者さんの体調が変わったり、悪い症状が消えたり、電磁波の障害が消えたり、といったことが起きたそうです。
「心の電磁波を消してしまう」ともおっしゃっていました、電磁波は「ノイズ」が問題であり、このノイズを取り去って、電磁波を整えてあげれば、有益な電磁波になるというのが、丸山先生がおっしゃっていることですが、どうもこういった、パワフルな言霊を唱えることでも、人体の波長なども整い、人体の生体電気のノイズが取れて、生体電気の流れが整うということになるのかもしれません。
日本は言霊幸う国と言われますが、言霊の力は想像以上に凄いのでしょう。
非常に興味深いお話でした。
「君の名は。」妄想談義・特別編「いろは歌の真意(後編)」
ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。
前回は、いろは歌から、「とがなくてしす」=「咎なくて死す」や、「イエス」が浮かび上がってくるということを見ました。
このような全く別の意味を、そこに暗号のように隠す歌や句を「折句」といいます。
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折句(おりく、 英: acrostic)とは、ある一つの文章や詩の中に、別の意味を持つ言葉を織り込む言葉遊びの一種。
句頭を利用したものがほとんどである。
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前回の「咎なくて死す(とかなくてしす)」と「イエス」を再掲してみます。
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いろはにほへと●
ちりぬるをわか●
よたれそつねな●
らむうゐのおく●
やまけふこえて●
あさきゆめみし●
ゑひもせす●
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●いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
●ゑひもせす●
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ここまでの解釈が、いろは歌の半分であると、前回言いました。
では、もう半分の解釈とは何なのか・・・ということですが、もう予想がつくかと思いますが、「とがなくてしす」は、7文字の最後の文字を拾っていきました。(最後は5文字目)
では、最初の文字を拾っていくと、何か意味が浮かび上がってこないだろうかということです。
以下見てみましょう。
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●いろはにほへと
●ちりぬるをわか
●よたれそつねな
●らむうゐのおく
●やまけふこえて
●あさきゆめみし
●ゑひもせす
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このように、最初の文字を拾っていくと「いちよらやあゑ」という文字が浮かび上がります。
しかし、これだけでは、何のことかよく分かりません。
これを「ヘブライ語」でみた方がいます。
君が代もヘブライ語でみると、非常に興味深い意味が浮かび上がりました。
この最初の文字を拾った「いちよらやあゑ」をヘブライ語で見るとどうなるのか・・・
久保有政さんのサイトでは以下のようになるといいます。
「いちよらやあゑ」=「イーシ・エル・ヤハウェ」=「神ヤハウェの人」・・・!
そのことについて下記サイトから引用させていただきます。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/049irohauta.htm
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そこで、唐突に聞こえるかもしれませんが、ここでヘブル語(ヘブライ語)の言葉を取り上げたいのです。
「ヘブル語がなぜ昔の日本の歌に関係するのか」という疑問については、後でお答えすることにしましょう。
ともかく、そのヘブル語とは、「イーシ・エル・ヤハウェ」という言葉です。
これは「イチ・ヨラ・ヤアエ」に、発音的によく似ていないでしょうか。
「イーシ・エル・ヤハウェ」は、じつは、「神ヤハウェの人」を意味する言葉です。
「イーシ」は人、「エル」は神、「ヤハウェ」は聖書に出てくる神の御名です
(中略)
したがって、いろは歌に隠された言葉は、「神ヤハウェの人」(すなわちイエス・キリスト)「咎なくて死す」となります。
さらに左上、左下、右下の文字を続けて読むと「イエス」となります。
するとこれは、「神ヤハウェの人イエス、咎なくて死す」のメッセージを、折り込んだ歌ということになるわけです。
まさにキリスト教の思想です。
私は、これは古い時代の日本にもやって来ていた、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)がつくったものと考えています。
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このように、いろは歌は、非常に深い意味を宿した歌であったということになります。
「神ヤハウェの人」とありますが、実際に、絶対神ヤハウェの霊体が、人間に受肉したのがイエス・キリストという存在になります。
この世に人となって現れた神を「現人神」と言いますが、人類史上においてイエス・キリストは、唯一の現人神であったということになります。
「神ヤハウェ(が受肉した)人」こそ「イエス・キリスト」であり、そのイエス・キリストが「神ヤハウェの人」「イエス」「咎なくて死す」という意味を織り込んだのが、いろは歌だとしたら、やはり普通の人が作ったものではないということになります。
久保氏が言うように景教徒かもしれませんし、もっとさかのぼって、原始キリスト教徒、秦氏系の流れをくむものが、つくったのかもしれません。
空海のバックにも秦氏がいましたから、空海の可能性もゼロではないと思います。
いずれにしても、いろは歌の作成には、聖書に造詣が深く、イエス・キリストを真実の神と崇めていた存在か集団が、関わっていたのは間違いないでしょう。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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