約束の地「日本」へ集結した理由
いつもありがとうございます!
日野です。
今日もすみません・・・、またマニアックな話題となりました。しかも長いです・・・。汗
時間の関係上寄り道なしで、ストレートに行きます。興味が無い方はスルーしていただければと思います。
「失われた10支族」はどこに行ったのか?
日本という国を見ていくと、古代イスラエルとの深いつながりが見えてくるのですが、正直、このことはまだまだ「異端」の説だと思います。
日本は、いわば極東イスラエルの地でもあり、紀元前の時代、古代イスラエルでは途中で南北イスラエルに分裂して、いろいろな変遷がありました。
南北分裂後、北イスラエルにいた10支族は、戦争に負けて捕囚されたあと戦争のどさくさにまぎれて、ある時、歴史上から忽然と消えてしまいます。
これを「失われた10支族」というのですが、彼らはどこへ行ったのか・・・ということが、未だに分かっていません。しかし、結論から言えば「失われた10支族」は、極東イスラエルの地「日本」へと来ています。
さらに言えば、南イスラエルの2支族や、祭祀を取り仕切っていた「レビ」含めて、イスラエル12支族は日本へと集結しています。
これは飛鳥昭雄さんが言っていることなのですが、失われた10支族の「本体」は、途中、北へと向かいチベットのさらに奥へと向かって、「ある場所」へと行くのですが・・・、別働隊である残りの10支族は、東へと向かい、日本へと来ています。
長い時間をかけてのことなので、途中で各地に定住してしまった人たちも、当然ながらいたと思いますが、大きな流れをみれば、彼らは極東の地を目指しました。
「秦氏」の正体
さらにイエス・キリストの直系の弟子の集団である、原始キリスト教の「エルサレム集団」も、イエス・キリストの死と復活があってしばらくしてから、ある時に、歴史の表舞台から消えます。
彼らも東へと移動していき最終的には、極東の地、日本へとやってきています。彼らの正体が「秦氏」だとされます。
「秦」という漢字を分解すると、「秦」=「三」+「人」+「ノ」+「木」と分解でき、ここから「三柱の木」を意味し、秦氏は「三神」を信奉する集団であることがわかります。
だからこそ、秦氏をルーツにもつ、藤原氏のなかの傑物、藤原不比等が、古事記や日本書紀の編纂を指揮しているのですが、古事記の冒頭には「アメノミナカヌシノカミ」「カミムスビノカミ」「タカミムスビノカミ」という「三神」が出てくるのです。
これは、イエス・キリストが本当の意味では、三位一体ではなく、三位三体であることを言ったのと一致し、「御父」「御子」「精霊」の三神を掲げていたのと、全く同じです。
「御父」=「アメノミナカヌシノカミ」「御子」=「タカミムスビノカミ」「精霊」=「カミムスビノカミ」となり聖書と古事記は全く同じ構図です。
ここから同じ神を信奉する集団であることがわかります。
古代イスラエルからの「東廻り」のルートで、日本へとやってきたのが今述べた流れです。
東廻りと西廻り
さらに言えば・・・古代イスラエルからの「西廻り」の流れもあるのです。
これが、古代アメリカの「インカ文明」や「マヤ文明」の人たちであり、彼らは、やがて、太平洋を横断して日本へとやってきます。
非常に大雑把に言えば、インカ文明の末裔が「アイヌ民族」であり、マヤ文明の末裔が「琉球民族」です。
両民族は民族的にも非常に近い民族であることが、遺伝学的にも分かってきています。
アイヌ民族は「東日本」に定住し、琉球民族は「西日本」に定住するようになります。そして、実際にはアイヌ民族が「縄文文明」となり、琉球民族が「弥生文明」となったのです。
つまり、ここでも歴史を見直す必要があるのですが、「縄文時代」⇒「弥生時代」という時代の移り変わりではなく・・・、縄文文明と弥生文明は「共存」していた・・・、「同時存在」していたということになります。
事実、弥生時代の遺跡などから、弥生時代の発祥時期がどんどん時代が遡っていっていて、時代的にみても、縄文時代とかなり重なってきていることが分かってきています。
そして、「アイヌ民族」や「琉球民族」も、元をたどれば、古代イスラエルにいきつきます。
遺伝学的にも、古代イスラエルの「東廻り」の、「失われた10支族」(=「大和民族」)とも、非常に似ていることが分かってきています。
アイヌ民族や琉球民族は、YAP遺伝子のプラスの因子をもつのですが、大和民族は、YAP遺伝子のマイナス因子をもつといいます。遺伝子的に近い属性になるのです。
ですから、「東廻り(左回り)」と「西廻り(右回り)」で、極東イスラエル「日本」でぶつかって
集結している・・・という構図が見えてきます。
なぜ日本でなければならないのか・・・?
まるで「約束の地」であるかのように、日本という小さな島国に、古代イスラエルの人たちが集結してきているのですが、正直、不思議でした。
なぜ日本でなければならないのか・・・?しかし、ようやく、僕自身腑に落ちた部分がありました。それは超古代文明を見ていくと、なぜ、日本でなければならなかったのかが見えてくるのです。
「三神」への崇敬
不思議なことに、カタカムナの、今回カタカムナバレル・コアに刻まれた、第7首のウタヒには、「三神」が現れています。
それが「アマノミナカヌシ」「タカミムシヒ」「カムミムスヒ」であり、これは古事記の造化三神と見事に対応します。
ということは、文明断絶以前の、超古代文明でも、おそらく「三神」への崇敬があったということになるのです。
これは極めて重要なことで、だからこそ、四大文明が全く新たな始まりではなく、文明が「断絶」した後の再開であったことの、ひとつの傍証にもなります。
そして、おそらく超古代文明の遺跡である、エジプトの3大ピラミッドも、まさに「三神」を象徴的に表しているのです。
そして、カタカムナバレル・コアは、表裏に「右回り(右旋)」と「左回り(左旋)」で、第7首の歌が刻まれています。
この右旋と左旋がぶつかることで、新たな空間が生まれ出るといいますが、古代イスラエルから東廻り(左回り)と西廻り(右回り)で、極東の地「日本」に集結することで、両者がぶつかってそこで、新たな国の大きなエネルギーが発生したのかもしれません。
そして、なぜ、日本という地でなければならなかったのか・・・ということですが、その鍵が超古代文明にあるといいました。
結論をいえば、驚くべきことに・・・超古代文明の中心地が・・・まさに日本であった・・・!!のです。そのことが、天皇古事記である「八咫烏秘記」には記されているといいます。
前回、八咫烏秘記の一部を掲載してみました。
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失われた超大陸パンゲア文明「アスカ」の謎
https://goo.gl/4k9kTq
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「太古の昔 地玉には龍が棲み水には巨大な怪物どもが蠢いておった!大地は単で 中央には人の祖の地があったが、日球へと昇華した後この世界は、生き物が喰らい合う死すべき有様となった!人は始祖を除き、兄弟や姉弟が睦んで子をなし五色の人種が誕生したが、始祖の末は中央の黄金色の黄人で、歴代の王となり世界を治めた!」
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兄弟や姉妹という近親相姦がなされることによって、さまざまな人種が生まれたといいます。
なかには、五色の人種や、巨人も存在したといいます。逆に小人もいたようなのです。
そして、「黄人」は「黄金人」とありますが、これが、日本人や古代イスラエル人を含むモンゴロイドになります。
ノアの大洪水には、ノアの息子とその妻が乗り込んでいますが、彼らが、「セム」「ハム」「ヤフェト」となり、文明断絶後の世界を造っていきます。
「セム」=「黄人」「ハム」=「黒人」「ヤフェト」=「白人」となります。
「赤人」と「青人」は表舞台から消えますが、今も存在はしています・・・。
「セム(黄人・黄金人)は、「預言者」が現れる系譜となり、歴代の王となって世界を収めます。
これは、別に黄人が優れているということではなく、そのような役割をもっていたということになります。
「八咫烏秘記」の続きを見ていってみます。そこには衝撃的ですが「アスカ」や「ナラ」が記されています。
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「ふたりの始祖は単一大地の東の端に住み、そこを「安宿(あすか)」と定め以後は世界をアスカと称した!!アスカは始祖のはじめが住んだ地として「寧楽(なら)」とも称した!アスカは安らかな地、ナラも同意で「也」「成」でもありアスカナリで一対となる!そこは大災難の後の葦原中国(あしはらなかつくに)の天越根国(あめのこしねのくに)とならん!」
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次回、この文については解説をしてみたいと思いますが、「ふたりの始祖」とは「アダム」と「エバ」であり、日本神話でいえば、「イザナギノミコト」と「イザナミノミコト」になります・・・!!
「アダム」=「イザナギノミコト」「エバ」=「イザナミノミコト」
そして、単一大地とは、まだこの時代、大陸は分裂する前の、ひとつの巨大大陸であったことがわかります。
これを「パンゲア大陸」と言います・・・!!
そして、パンゲア大陸の「東の端」を、「安宿(アスカ)」と称したとありますが、このアスカこそが、もうお分かりのように・・・、大陸の「東の端」とあることから、今の「日本」ということなります・・・!!
そして驚くべきことに・・・、アスカは始祖のはじめが住んだ地として「寧楽(なら)」とも称した!
「寧楽」=「なら」=「奈良」!!
このように、かつての単一大地であった「超古代文明」の中心地が、「アスカ」であり「ナラ」であったといいます。
だからこそ・・・ノアの大洪水で文明が断絶した後、古代メソポタミアや古代イスラエルあたりで端を発した文明の人たちは、その後、かつての超古代文明の中心地「アスカ」「ナラ」を「約束の地」として、それはおそらく、人類の記憶や預言によって知らされることで、この約束の地「日本」へと、東廻りと西廻りによって、長い年月をかけて移動して集結したのでしょう。
それは、日本という地でなければならない必然性があったということです。
今、日本に僕たちがいること、あるいは日本人として生まれたてきたことは、偶然ではない何かが、あるような気がしてなりません。
カタカムナの叡智に触れていくことは、超古代文明の叡智を取り戻すことであり、その失われた叡智を活用していく、大きなきっかけになるのかもしれません。
今、この時に、カタカムナバレル・コアが出てきたことも、偶然ではないような気がします。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
日野
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