「世」にも美しいガンの治し方と白内障手術の危険なレンズと深い「闇」

8月6日について

いつもありがとうございます。
日野です。

今日も深夜の配信となりすみません。

先日は広島県に行ったと言いましたが、以前にも書いた覚えがあるのですが、僕自身、8月6日生まれということで、広島に原爆が落とされた日でもあり、広島とのご縁を感じるとともに、何か意味があるのだろうか・・・と子どもの頃から思っていました。

とは言っても修学旅行で原爆ドームなど原爆に関して見学をしたというくらいしか思い浮かばないのですが、この誕生日がくるたびに何か心の片隅に原爆の日であるということが心の片隅にありました。

幼少の頃、父の実家である愛媛県の松山市に両親と帰省したとき、父が親と同じくらいお世話になった隣の家に住んでいたおばあちゃんがいて、なぜか「よいしょのおばあちゃん」と僕たち家族は呼んでいたのですが、たしか、よいしょ、よいしょと良く言うからとか、そんな軽い理由だったように思いますが(笑)、そのよいしょのおばあちゃんが8月6日生まれだったのです。

だから、僕と兄の二卵性双生児が偶然にもそのおばあちゃんと同じ8月6日に生まれたときは本当に喜んでくれたといいます。

そのおばあちゃんも90半ばで亡くなられましたが、それまで本当にかわいがってもらったという記憶があります。

そういったこともあり、8月6日というのは何か自分にとっては、いろいろな意味でも想い出深いものがあります。

ムラキテルミさんについて

何年か前に、石原結實さんが指導されて見事にガンを克服されたムラキテルミさんの書籍を立て続けに読んでいたことがあり、その時にムラキテルミさんが8月6日生まれであることが分かって、その偶然の一致に驚きました。
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そして、ブログをされていたので、メッセージのやりとりを少ししていただいたことがあったのですが、その時のことを昨年の誕生日のメルマガの時に触れていました。
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その時にムラキテルミさんがおっしゃってくださったことは、原爆の日に生まれたことは何か平和のことを伝えていく役割があるといったことでした。

その時に、原爆の日に生まれたことをより意識するようになって、何か自分にとっての役割とも関わっているのかもしれないと思ったことがありました。
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また、福島県は3.11によって原発問題が起こりましたが、僕自身、福島県に約4年くらい過ごしていたこともあって何かご縁を感じるものがあります。

「広島県」と「福島県」はともに「島」がつく

そしてこれも書いた記憶がありますが、「広島県」と「福島県」はともに「島」がつくということで何か不思議な奇縁を感じます。

そして、「島」をとった残りの「広」と「福」を合わせると「広福」となり、「広福」=「こうふく」=「幸福」となるように思いました。

そして、逆にすると「福」「広」となり、「福広」「ふくこう」「ふっこう」から「復興」となり、ともに広島は原爆を落とされ、福島は原発問題が起こりともに「復興」を目指すという意味でも共通するものがあります。

だから何・・・?と言われても困るのですが・・・、そういった連想が浮かんできました。

僕自身、広島県と福島県のご縁を感じることから、「広福(=幸福)」や「福広(=復興・福幸)」を意識していきたいということを何となく思っています。

ムラキテルミさんの「世にも美しいガンの治し方」のブログ

ちなみにムラキテルミさんの「世にも美しいガンの治し方」のブログはこちらになります。
https://ameblo.jp/ganwajitakudenaosu/

メッセージのやり取りをさせていただいたときには熱海に住んでおられて、僕自身、千賀一生さんの割り出しで長期風水において2021年に熱海という地が示されていたので、2021年に熱海に行きます!と言っていたのですが、今は京都に移り住まわれています。笑

しかし、京都は京都で、考えてみれば滋賀からは本当に近くなので、またいつか講演会などがあればお会いできるチャンスもやってくるような気がしています。

ブログにはこうあります。
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2009年5月、肝臓ガンで6ヶ所の大病院から余命3ヶ月を宣告。

2009年8月、ドクター石原メソッドをスタート。

2010年10月に完治!ガンを溶かす!。

2012年ガン・サバイバーとして、今もつづく1日1食・断食生活。

たくさんの美しい奇跡が起こりますように。
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今は2人に1人がガンになる時代と言われますが、ガンになったら終わりではありません。

本当に西洋医学以外にもさまざまな対策法があります。

全然諦める必要はないということだと僕は思っています。

目のことについて

今日の午前中はオーガニッククラブで山本化学工業の中島さんに来ていただきました。

そして、目のことについてかなりいろいろと教えていただきました。

僕自身いろいろと学びになりました。

白内障も本来しなくても良い手術をしている人もいる・・・ということから始まり、日本の白内障手術は10年くらいしか持たないということで、だんだんと見えづらくなってくるそうです。

その一番の原因はレンズの素材と質だと言います。

その部分に関して、調べてみると、週刊ポスト2017年3月3日号に以下のように掲載されていました。

今回と次回の2回に分けて掲載してみます。

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白内障手術で危険な眼内レンズが使われ続ける理由と深い闇

白内障は60歳以上の6割、80歳以上のほぼ100%が発症するといわれる。

現代医学において、「白内障は手術をすればほぼ100%治る」といわれる。

しかし近年、「手術によってかえって視力が低下した」というケースも頻出している。

白内障とは、目の中で“カメラのレンズ”の役割を果たす「水晶体」が加齢とともに白く濁る病気のこと。

一度濁った水晶体は元に戻らず、手術で水晶体を除去し、そこに眼内レンズ(人工の水晶体)を挿入する。

眼内レンズには、遠くか、近くかのどちらかでピントを合わせる単焦点レンズと、近くにも遠くにもピントが合う多焦点レンズの2種類がある。

問題は、「眼内レンズの品質」だ。

通常、白内障の手術では眼球を小さく切開し、そこから小さく折り畳んだ眼内レンズを挿入する。

そのため、レンズの素材は柔らかいタイプが好まれる。

「『挿入しやすいレンズ』として開発されたのが、柔らかいアクリル素材を型に流し込む方法(モールディング)で製造されたレンズです。

しかし、この素材は使用期間が経つにつれて、水が染み込む。

そのため、眼内レンズが濁って白内障と同じ状態になります。

実質10年が寿命で、5年で視力が低下することもあるレンズなんです」
 
15万件超という世界トップクラスの眼科手術実績を誇り、欧米の医師から“世界一の眼科医”と呼ばれる深作秀春・医師、このタイプのレンズは、形状にも危険があるとは指摘する。

「このレンズを用いると尖ったエッジ(端)が虹彩の裏をこすってしまうことがあり、炎症が起きる症例が多発しました。

炎症によって眼圧が上がり続発性緑内障のリスクが生じ、失明の危険すらあります。

ゆえに米国眼科学会で大きな問題になり、このモールディングレンズの使用に警告を出しました」

現在はレンズの改良が進んでいるものの、濁りの問題は依然として解消されていない。
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このようにレンズが時とともに濁ってきてしまうのだといいます。

しかし、アメリカで使われているガラス製のレンズは、10年どころか、20年、30年と濁ることなくよく見え続けるのだといいます。

白内障、緑内障、飛蚊症、網膜剥離などさまざまな目の病気がありますが、突き詰めていけば結論は明白だと中島さんは言います。

その大きな原因の一つは「血液の循環」にあると。

つまり、血管、血液の状態が改善されていけば、こういった目の病気も予防できると言うのです。

薄毛についても見ていますが・・・、目についても重要なことなので、数回かけて見てみたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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