肌が「もっちり」した感じになりました!と遮光器土偶・番外編「復活体と来世」天空世界編(29)

肌が「もっちり」した感じになりました!と遮光器土偶・番外編「復活体と来世」天空世界編(29)

いつもありがとうございます。
日野です。

バランスガード3個使いのSさんから(この言い方が定着しつつありますが(‘◇’)ゞ)、ビデンスピローサ茶について体験談をいただきました。

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日野様

いつもありがとうございます。

先日の自分のメルマガの体験談を読んで、何だか偉そうだな・・・と思ってしまいました。私は基本食いしん坊です。

食欲のない日等ないくらい。笑
でも今は、くろごと玄米酵素を飲み始めて落ち着いています。

エネルギー的にみると、新鮮な旬のものを取り入れることもとても大切です。旬のものは気の入り方がパワフルです。

日野さんがお店にあるお菓子等に手が伸びていたは、可愛くて笑ってしまいましたが、エネルギー的にみると、いのちの樹さんみたいなお店の商品は有害なものがないので、体が安全と判断し、止まらないスイッチが入ることがあります。

またエネルギーの話をすると長くなるので、この辺でやめて、、、。

今日は先日サンプルを頂いた宮古ビデンスピローサ茶の体感です。

この商品は美肌に効果があります。

それとインスピレーションでは、肝の解毒(裏の表示のウコンを読んだ瞬間だったのでお茶全体の効能ではなくウコンのことかもしれません。)と入ってきました。

1日目に700cc飲んだ夜にはあれっ・・・?何かいつもと違う・・・?ツルツル?ハリが出てきた?みたいな感じでした。

2日目3日目は800cc以上飲み、肌がもっちりした感じになりました。

数日で変化がわかるので続けるともっと変わってくるのだと思います。

常温のまま飲んだり、温めて飲んだりしましたが、やはり説明書通り温めて飲む方が体にはいいように感じました。

このお茶は万人に効くようになっているのか効能がやさしく出る感じでとらえにくく、どういう作用で美肌になるのかは特定できませんでしたが、肝経に少し入るのは体感できました。

仕事の片手間に飲んでしまいもう少しゆっくりと飲めばつかめたかも!と後悔しています。

そして体感で今回しっかりととらえることができませんでしたが、このお茶はまだ他に必ず作用があります。

次回注文して継続して飲んで、より美肌の体感と他の作用も体感できたらいいなと思っています。

※1つ気になったのがお茶の沸かし方でサンプルで頂いた箱には1.5-1.8?の水になっていて、中の説明の紙には1.2-1.5?の水になってました。

濃さの加減で効能には影響はないと思いますが。これを機に逆に質問で、もっと濃く作って飲む量を少なくしても同じ効能が出るのかな?と思ってしまいました。
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いったん、ここで区切ります。

ビデンスピローサ茶が美肌に良いというのはまさにそうだと思います。

以前にも触れましたが、ビデンスピローサ茶を紹介しに来てくださった、女性社員の方のお肌がきれいで、妻がしばらく話をしてから、いきなり「お肌がすごくきれいですね」と言い出したものですから、びっくりしたのですが、確かに・・・と思ったものです。

実際その女性社員の方は、毎日、魔法瓶に入れて持ち歩いて飲んでおられるとのことでした。

3個使いで今は尿量はほぼ一定しています

文中で、おっしゃっていただいたこと「濃さの加減で効能には影響はないと思いますが。これを機に逆に質問で、もっと濃く作って飲む量を少なくしても同じ効能が出るのかな?」という部分はメーカー様に問い合わせてもらい、回答いただきましたので、以下、掲載させていただきます。

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濃い(エキス量が多い)方が効果的だと考えています。

もっと濃く作って飲む量を少なしくしも、摂取できるエキス量が変わらなければ、同じ効果が出ると考えてよいと思います。

しっかり煮出せばエキスはしっかり抽出できますので、しっかりと煮出してくださいと説明しています。

水が少なすぎると抽出できるエキス量が減る可能性もあります。

また、1日の水分摂取量は成人の場合約1.5L必要ですので、お茶以外の適切な水分補給をすることも重要だと思います。

お茶はあまり濃さは気にせず、宮古ビデンスピローサのエキスを沢山取りたいときは、宮古BP(錠剤)が便利です。

以上など、参考になれば幸いです。お客様が継続して摂取しやすい方法でお試しください。
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このように回答いただきました。ポイントはしっかりと煮出すこととおっしゃいましたので、ぜひそのようにしてみてください。

後半部分のイフミックについて見てみたいと思います。

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話は変わりますが、先日のイフミックzoomで言っていた内容です。

老人性の頻尿(回数)は中医学でいう腎虚、尿量が増えるのは代謝が良くなっているのかなと思いました。

私も初めの方に経験しましたが、バランスガードを首に巻いても胸に巻いても尿量が増える、首に巻くと自律神経が整うから??胸に巻いて量が増えるのは不思議でした。

3個使いを継続中ですが、今は尿量はほぼ一定しています。

zoomの中の首に巻くと鼻水が出たという体験も、どこかの機能が活発になったか、邪気が抜けたか?と思いました。

不思議なパワーいっぱいのイフミックなのでしょうね。

レギンス楽しみにしています。またメールします。
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ありがとうございます!

僕も最近はまたイフミックを腰と首に巻いて2個使いをしています。(‘◇’)ゞ

先日は、AXFのリカバリアイマスクをして眠りに入ろうとしたら、隣の妻が、何か凄いね・・・と笑われました。(‘◇’)ゞ

あまり人には見せられませんが、いろいろとやってみようと思います。

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ビデンスピローサ茶
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機能性表示食品 宮古BP(180粒)
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イフミックシリーズ
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遮光器土偶・番外編「復活体と来世」天空世界編(29)

ここからは遮光器土偶・番外編となり、マニアックな話になりますので・・・(汗)興味がない方はスルーしていただければと思います。

前回は復活体の事や預言者エリヤについてみました。

「復活体」とは、「不死不滅」の身体です。

信じる必要は全くありませんが・・・人はいずれ「復活体」に身を変えられ、死者も「復活体」となり蘇ります。

この「復活体」が、僕たちの「来世」となります。

これは多くの方から反発を招くと思いますが、「輪廻転生」はありません。

釈迦も、「無記」にあるように、あえて死後のことは語っていません。

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無記とは、仏教において、釈迦がある問いに対して、回答・言及を避けたことを言う。

仏説経典に回答内容を記せないので、漢語で「無記」と表現される。

主として、「世界の存続期間や有限性」「生命と身体の関係」「修行完成者(如来)の死後のあり方」といった仏道修行に直接関わらない・役に立たない関心についての問いに対して、このような態度が採られた。
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釈迦は、死後の世界について明確には語ってはいませんが、絶対神とまみえていましたので「来世」についても、当然ながら知っていたはずです。

「輪廻転生」はありませんが「来世」はあります。

前から言っているように人は死んで終わりではありません。

人の「来世」は、「復活体」となり不死不滅の身体をもつことなのです。

「第一の復活」に預かる者は幸いな者であると、ヨハネの黙示録には記されています。

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また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。

また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために、首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。

(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)

これが第一の復活である。

この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。

この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する
(ヨハネの黙示録 第20章4~6節)
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このように「福千年」の初めに、義人であった人たちは「復活体」となり蘇ることになります。

義人とは、記されているように、イエスのあかしをし、神の言を伝えたために首を切られた人々や、「獣」や、その像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることを拒否した人々のことです。

彼らは、イエス・キリストが再臨したときに、身を復活体に変えられ蘇り、イエス・キリストとともに「福千年」の時を過ごすことになります。

今もワクチン問題などがありますが、今後、世界統一政府の獣(悪魔)に従うか、それとも神に従うのかの選択を迫られる時がきます。

福千年期になると、大魔王サタン(ルシファー)や悪霊たちは、底知れぬ所に封印されています。

そして「福千年」の期間が終わると、大魔王サタンや悪霊は再び復活してきます。

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千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される。

そして、出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は、海の砂のように多い。

彼らは地上の広い所に上ってきて、聖徒たちの陣営と愛されていた都とを包囲した。すると、天から火が下ってきて、彼らを焼き尽した。

そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。

そこには、獣もにせ預言者もいて、彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
(ヨハネの黙示録第20章7~10節)
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このように悪魔は復活してきて再び神に戦いを挑みます。

このときに人間は、唆されて悪魔の側についてしまう人間も、多数出てくるものと思われます。

しかし、天からの火によって結局は、悪や悪につき従った人たちは焼き尽くされます。

これから世界統一政府ができる時がくると思いますが、その時、世界を惑わす世界統一政府のトップの座に座る獣や、彼を崇める某宗派のトップである偽預言者も、最終的にはサタンとともに火と硫黄の池に投げ込まれることとなります。

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また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。

天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。

かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。

死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。

海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。

それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。
(ヨハネの黙示録第20章11~15章)
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福千年期の第一の復活に預かれなかった者も、生前の行いなどに応じて、段階的に復活体の身に預かっていきますが、ヨハネの黙示録に、(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)とあるように、遅くとも福千年期が終わるころには、すべての者は「復活体」となり蘇ることとなります。

そして最終的には、御父と御子の御前に立ち、最後の審判を受けることになります。

これには例外はありません・・・!!

その時に自分の全生涯を走馬灯のようにすべて見せられ、最終的には自分自身で行き先を決めることとなります。

それが「太陽の栄光(日の栄光)」と「月の栄光」と「星の栄光」となるのですが、それぞれの世界は違いますし、それぞれの栄光の世界によって、大きな差があります。

さらには、真の地獄があり、黙示録では「火の池」と記されている場所であり、神の御力を知っていながら裏切ったもの、背いた者もそこへ行くとされています。

「いのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」

とあるように、「いのちの書」に名前が記されていない場合は、そこへ行くことになるようです。

この地獄(火の池)に大魔王サタン(ルシファー)や、つき従った悪霊たちも投げ込まれます。

だからこそ、人は最終的には人生において成したことによって、すべて最後は裁かれるようになっています。

そういった意味ではものすごく公平にできているのです。

もし誰からに酷いことをされたり、裏切られたり、そういったことがたとえあったとしても、受け流していくことが重要です。

酷いことをしたり、裏切った人は、その後悔い改めないのであれば、それに応じた裁きを受けることになります。

ですから、その人を憎み続けたり、恨みを持ち続けることは、自分の肉体にとっても精神にとっても全く良くない事であり、むしろその人が改心するように、祈ることが最善なのかもしれません。

そしてそういったことは、水に流していくのが一番いいのだと思います。

元々、イエス・キリストの弟子たちを迫害していて後に、改心した使徒パウロはこう言っています。
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「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。
(テモテへの手紙一 第1章15節)
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使徒パウロはこう続けます。

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しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。

世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。
(テモテへの手紙一 第1章16~17節)
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イエス・キリストはこのように言っています。

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パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
(マルコによる福音書 第2章16~17)
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人は生かされている

人は、自分の力で生きているのではなく、周りの存在やまわりのすべてのものが存在してこそ、生かされています。

そして、この地球や宇宙を創造した絶対的なる神がいてこそ、存在していることができています。

そのことに目を向けていくことが「来世」をより良い状態へとすることに、繋がっていくのでしょう。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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