この価格でこの「クオリティ」は最高です!と遮光器土偶・番外編「ソ連の極秘月探査の行方」

この価格でこの「クオリティ」は最高です!と遮光器土偶・番外編「ソ連の極秘月探査の行方」

いつもありがとうございます。
日野です。

今日の午後からは、第24回Zoomオーガニッククラブにて、株式会社うるばな宮古の、ビデンスピローサという薬草について、谷口さんにお話をしていただきました。

改めて、このビデンスピローサの、素晴らしい効果などについて知ることができて、僕自身も学びとなりました。

非常にシンプルに言えば、このビデンスピローサは抗酸化、抗炎症、抗糖化に力を発揮してくれるものであるということになります。

数年前に、初めてビデンスピローサの谷口さんと女性社員の方が、店に来ていただき商品説明をしていただいた時に、妻が、女性社員の方をみて「お肌きれいですね!何かされているのですか?」と突然聞いたのですが、「ビデンスピローサ茶を毎日飲んでいます」とおっしゃっていたのが印象的でした。

今日も、アレルギー疾患の方や皮膚の疾患の方たち、また花粉症の方たちに、大変喜んでもらっている、という話をされていましたが、美肌にもとてもいいようです。

また、今年の花粉の飛散量は昨年よりもかなり多いようです。

日本気象協会 2021年 春の花粉飛散予測(第3報)
https://tenki.jp/forecaster/t_yoshida/2021/01/20/11215.html

早め早めの対策をしていく必要があると思います。

その対策の一つにビデンスピローサ茶、宮古BP(180粒)、宮古BPドリンクなどを取り入れていただくと良いと思います。

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宮古うるばなシリーズ
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また、いろいろとお得な期間限定のキャンペーンは、以下からご確認いただけますのでまたご覧ください。
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食べると体が温かくなりました

少し前にご紹介した、尾田川農園さんの彩穀(雑穀)についてご紹介しましたが、体験談をいただきました!

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いつもありがとうございます。
先日購入した雑穀ミックス食べました!

尾田川農園さんの雑穀ミックスは4種、7種、10種とあり、どれにしようか~と思いながらも、良いものがいっぱい入っている種類が多いものがいいはず!と10種類を試しました。

手に取ると、良いものいっぱいに感じ、説明書には2合にスプーン1~3杯と書いてありましたが、玄米1合10種1合と同割合で炊きました。

もっちりごはんになりました。
豆も香ばしい感じでおいしかったです。(^-^)

私は普段から黒米も食べているので何も違和感はないですが、黒っぽい炊き上がりになりました。
説明書通りにしてない私のせいかも!?

黒っぽいごはんを見て思い出したのですが、食養生は冬には黒い食べ物が基本食。

アンチエイジングにも黒い食べ物で補強するといいですもんね。
今の時期にとってもいいし、続けると若返るかも。(^^)

あと炒り大豆も入っているので、来月の節分にちなんで、大豆(雑穀10種)ごはんカレーもいいかも!
来月わが家でやってみます。(^-^)/

エネルギーに敏感な私が個人的に感じたエネルギーは、雑穀ミックス10種を食べると体が温かくなりました。

中に入っている食材の効能もあると思うのですが、収穫された土地のパワーもあるのだと思います。

また何か感じたらメールします。
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ありがとうございます!

嬉しく思います。

我が家でも10種を使っていますがもちっとして美味しくなりますね。

それぞれの農家さんが、こだわってつくってくださった雑穀を、こうしていただけることは本当に有り難い事と思いますし、ひとつひとつに生産者の想いなどが詰まっているように思います。

先ほどの方から以下のようなお言葉もいただきました。
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個人的に毎月色々中身を変えてカレーをやっていて、来月は節分だ!豆カレーだ!と思いました。^ ^
(節分当日は恵方巻ですよ。)

豆入り雑穀だったので、ご飯の方に入れるのもアリだなと勉強になりました。

子どもや雑穀が苦手な方でもカレーだったら雑穀も食べやすいと思います。☆

尾田川さんの雑穀はおいしいですけどね。♪

尾田川さんの雑穀はパワーがありました!!
皆さん召し上がって元気に過ごせるといいですね。
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ありがとうございます。

雑穀カレーもおいしいでしょうね。

我が家でも何度か雑穀でカレーをしましたが本当に美味しいです。

おにぎりにしても最高です。

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遮光器土偶・番外編「ソ連の極秘月探査の行方」

ここからは遮光器土偶・番外編となり、マニアックな話になりますので・・・(汗)興味がない方はスルーしていただければと思います。

アメリカがサンタクロースの存在を知っていたように、ソ連もサンタクロースの存在を知っていました。

アメリカが、月面着陸を試みたように、ソ連も有人の月面探査、月面着陸を目指していました。

さらに言えば・・・ソ連も極秘裏に月面に降り立っていたのです・・・!!

しかし、国家として絶対に表沙汰にできない事態が生じてしまったのです。

ソ連の宇宙計画について

そのことについてお伝えする前に、ソ連の宇宙計画について簡単にみていきたいと思います。

『アポロ計画の謎と月空洞論』(三神たける・飛鳥昭雄著)を参考に見ていきたいと思います。

ソ連の宇宙開発計画の全貌が明らかになったのは、1989年からであったといいます。

ミハイル・ゴルバチョフ大統領が進めたペレストロイカ(革命)によって、グラスノスチ(情報公開)が本格的に始まってからのことでした。

前回触れたように、1961年のケネディ大統領が月面に人を送り込むいう宣言に、ソ連は焦りました。

そしてこの発言を受けてソ連は、火星探査から月面探査へと切り替えます。

ソ連にとって、アメリカに後れをとることは国家の威信に関わることでした。

月面探査に向けて、ソ連の宇宙開発には2つの流れのもと計画が立てられました。

ひとつは、大陸間弾道弾専門家のウラジミール・N・チャロメイのチーム。

彼らは「プロトンロケット」で人間を月周回軌道に送り出したあと、地球へ生還させるという、月往復飛行「L1計画」を進めます。

もうひとつは、宇宙開発の父とも言われる、セルゲイ・P・コロリョフを筆頭にしたチーム。

L1計画よりもさらに大型ロケット「N-1ロケット」を使った、月面着陸を目指す「L3計画」でした。

簡潔にまとめるとこうです。
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L1計画 
月往復飛行 プロトンロケット チャロメイ

L3計画
月着陸飛行 N-1ロケット コロリョフ
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1964年、ソ連の最高指導者ニキータ・S・フルシチョフは、極秘裏にこのふたつの有人飛行計画を承諾し、両者を競争させることによって、有人月面着陸計画を加速させようとします。

これらを極秘裏にすすめることによって、いわばアメリカに一泡ふかせるつもりだったといいます。

この時点では宇宙開発においてソ連が大きくリードしていました。

もしアメリカが月面に降りたった時に、そこにソ連のロケットが先に到着していたら、アメリカは世界の笑いものとなります。

それは「キューバ危機」の恨みをはらす絶好の機会でもありました。

キューバ危機とはこうです。
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キューバ危機は、1962年10月から11月にかけて、ソビエト連邦がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカ合衆国がカリブ海でキューバの海上封鎖を実施し、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事のこと。
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しかし、ケネディ大統領の宣言からソ連は焦りを生み出し、この焦りがさまざまな軋轢をうみだします。

まずN-1ロケットの開発に時間がかかり、コロリョフと大型ロケットエンジン開発の、ワレンティン・P・グルシコが、エンジンについての考えの不一致から仲違いするようになります。

このことからコロリョフのL3計画は大幅に遅れをとって、アメリカの猛追を許すきっかけとなります。

N-1ロケットはスペースシャトルを上回る人類史上最大のロケットでした。

それだけ推進力も必要になってくるのですが、燃料構造が一本化されていないという致命的欠陥がありました。

グルシコが燃料構造の改善案を出しますが、コロリョフはプライドからこの案を拒絶します。

このことによって両者の亀裂は決定的になります。

最高指導者のフルシチョフも両者の仲をとりもとうとしますが、両者の溝は埋まりませんでした。

そしてその頃、最高指導者がレオニード・ブレジネフに変わります。

その状況下で、コロリョフは突然、急死してしまいます。

1966年1月14日、コロリョフは大腸がんの手術中に、出血多量で死んだといいます。

が・・・事実はそうではありませんでした。

温情化のフルシチョフと違い冷徹であったブレジネフは、L3計画の失敗の全責任はコロリョフにあるとして、彼の命によって粛清したのです。

コロリョフは権力闘争にあけくれ、L1計画で使われるプロトンロケットを奪い、自分のL3計画に使おうと画策し、月面着陸の名声を独占しようとしていたといいます。

そうったこともあり粛清されてしまいます。

コロリョフの死とその後の宇宙開発の流れ

いずれにしてもコロリョフの死によって、ソ連の宇宙開発は流れが大きく変わっていきます。

結果的には、コロリョフという障害が取り除かれることによって、ソ連の月面探査は加速します。

頓挫していたL1計画も復活し、1966年11月には宇宙船ソユーズの無人テストが行われ、有人月面着陸計画が推進していきます。

そして人類初となる月往復飛行をL1計画で行うこととして、目標日程を1968年11月に定めます。

アポロ11号が1969年7月20日に月面に到着することになるのですが、そこまでの期間を考えればいい勝負となってきました。

ただソ連首脳部には焦りがありました。

1967年は、当初、ケネディ大統領が月面着陸を目標にしていた年であったからです。

ソユーズの無人テストが1966年に行われていますから、もうアメリカの月面着陸の予定の1967年まであまり時間がありません。

予定通りアメリカが月面着陸計画を実現すれば、月を自国の領土にされかねないという危機感がありました。

そのような中で1967年4月、ソ連発の有人飛行実験が宇宙船「ソユーズ1号」によって行われます。

しかし・・・地球周回軌道に乗ることは成功したものの、太陽電池パネルに異常が発生し、さらに電子制御装置が故障し、宇宙船はコントロール不能に・・・、脱出用のパラシュートも開かず宇宙船は大地に激突。

残念ながら、宙飛行士ウラジミール・コマロフは命を落とします。

この状況を重く見たソ連は、ずっと拒み続けていた国連提案の「月天体条約」を認める発言をします。

この条約は、月や月以外の天体を、地球上のいかなる国家も領土としないというものでした。

いわばお互い先を越されたときの安全策として、結局、国連全会一致で可決されます。

そして、L1計画のプロトンロケット・ブロックDが完成し、ソ連はアメリカの先を越そうとロケットを立て続けに打ち続けていきます。

1968年3月、ソユーズL1宇宙船「ゾンド4号」が、月の軌道近くまで到達し、地球に戻ってくることに成功します。

1968年9月、亀などの動物を乗せた「ゾンド5号」も打ち上げに成功し、今度は月の周回軌道に乗ったあと無事帰還します。

1968年10月には、無人宇宙船「ソユーズ2号」と、ギオルギー・ベレゾヴォーイが搭乗する有人の「ソユーズ3号」が、地球周回軌道で接近を試みるものの、最終的にドッキングに失敗します。

1968年11月、再び無人宇宙船「ゾンド6号」が月の周回軌道に乗ったあと、地球に帰還するもの、最後にパラシュートが開かず墜落。

再度、無人の試験をすることを決定しますが、時すでに遅し・・・。

1968年12月に満を持して打ち上げられたアメリカのアポロ8号が、宇宙飛行士を3人乗せたまま、月の周回軌道に乗ることに成功し、無事帰還するという人類初の快挙を成し遂げるのです。

このことによって、月面探査の第1ステージは、アメリカの勝利となります・・・。

この時点で、アポロ11号が月面着陸を成功させる1969年7月まであと7カ月でした。

しかしソ連も負けてはおらず、最終ステージの第2ステージにおいて、熾烈なデットヒートが繰り広げられていくのです。

そしてその月面探査の最終局面において、ソ連は絶体絶命のピンチに陥り、そこで、とんでもない出来事に遭遇することとなるのです……。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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