終末の大患難時代に入る「印」と「君の名は。」妄想談義・特別編「御菓子」
いつもありがとうございます。
日野です。
前回、下記の日月神示の預言をみました。
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子の年、真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ
『磐戸の巻』第16帖
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ここから、あくまでひとつの可能性として、2032年を子の年の本番とすれば・・・2027年もしくは2028から、2032年の子の年を軸にして、2036年か2037年までが本当の正念場になってくるように思います。
そして世の立替の正念場とはおそらく聖書で言う、大患難(艱難)時代の7年間も含むものと思います。
ですから、2020年を軸に前後5年となると、もう大患難時代に入っている必要がありますが、まだそこまでは押し迫っていません。
2020年を軸に前10年、後10年とみれば、数年後には大患難時代に入る・・・という見方もできますので、もしそうであれば少なくとも、あと数年で大患難時代に入るということになるので、今後そういった想定もしつつ、注視していくことが重要ですが、今の時代の流れからいえば、2020年代の後半くらいからというのが妥当なような気がします。
この正念場、大患難時代に入る「しるし」のひとつとして、世界統一政府の樹立があります。
3月下旬に、英国のブラウン元首相は、この新型コロナウイルス拡大に向け、一時的に「世界政府」を樹立するように呼びかけました。
これもひとつの「しるし」なのかもしれませんが、今回のコロナパニックのように、世界的な危機を過剰演出することによって、世界はひとつになっていこうという機運が今後も高まっていくと思います。
ワクチンの強制接種もなされていくでしょう。
そしていずれ世界統一政府が樹立されます。
その時が、大患難時代に入るひとつの「しるし」となります。
聖書に記されている大患難時代
一見、世界が一つにまとまることは良い事のように思えるかもしれませんが、これは世界の支配者層にとって、非常に都合の良い事になります。
一部の支配者層による完全なる独裁となっていきます。
今も日本ではじわじわと国家権力が強化され拡大されていっていますが、次のコロナの第二波が来た時は、さらに強制力がかかってくる可能性もあります。
それはともかくその世界統一政府のトップにたつのが、聖書に記された「獣」となります。
圧倒的なカリスマ性をもち、彼にまつわる奇跡的に思われる出来事も起こるでしょう。
常識的に考えれば某国のその時の大統領が、その椅子に座ることになるでしょう。
おそらくこのままいけば、誰もが知っている元大統領になるのではないか・・・と思われます。
そして宗教的トップにたつ「偽預言者」がその獣を称えます。
遅くとも2020年代後半にはその兆候がでてくる可能性があります。
大患難時代はこのように記されています。
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その期間は,神による創造の始めからその時まで起きたことがなく、また二度と起きないような患難の期間となるからです。
(マルコによる福音書第13章19節)
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日月神示に記されている大患難時代
時期を特定しようとする必要は本来なくその時期はある意味、すでに創造主によって定められていますから、僕たちはそれに従うしかないのですが、大事なのは、心の準備をしていくことだと思います。
ある程度の流れを想定しておけば、その出来事を受け止めていくことができます。
また冷静に対処していくことが可能です。
日月神示には第二十四巻 黄金の巻 第五十九帖にはこう記されています。
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金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのぢゃ。
三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。
少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ。
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日月神示が最初に記されたのが、昭和19年、1944年です。
上記の神事は、昭和24年~25年、つまり、1949年~1950年に書かれています。
この記述を素直に信じるならば、ミロクの世にするために百年もつづけて嘘は云へんぞ、とあり、ということは、逆に考えれば百年以内にミロクの世にする、ととれますから、神示が降ろされた1944年、もしくはこの黄金の巻が書かれた1949年~1950年から100年後ということは、2044年から、2050年頃となり、少なくとも、この時までにはミロクの世に移行することが見えてきます。
そうなると、やはり2032年が子の年か、遅くともその次の2044年の子の年前後十年に、正念場はやってくるとなります。
2030年代から世界は大きな変革期を迎える
またもうひとつあげるとすれば「令和」の始まりに、新型コロナウイルスが起こったということは、「五六七」=「コロナ」=「ミロク」=「ミロクの世」の合図であり、コロナは、太陽のコロナを象徴する、すなわち「太陽」の時代がくるとみてきました。
ここからみれば、「令和」時代にミロクの世が成就する可能性が高いと思われます。
新型コロナウイルスは、その「合図」とみれば、これが終末の導入期というよりは「しるし」「サイン」であって、本番はこれからであるとうことになります。
「令和」の時代に、大詰めを迎えるということを考えれば、単純にみて、今の天皇陛下は今60歳ですから、平成天皇と同じく85歳まで在位したとしてそれまで25年。
となると、25年後は2045年となりますから、それまでには、時代は大詰めを迎えるというひとつの可能性があります。
このように、いろいろと見ていっても、遅くとも2030年代から2050年くらいまでの間には、世界は大きな変革期を迎えるでしょう。
そうなると、あまり猶予は残されていないとも言え、今後、世界ははっきりと二極化していき僕たちは、選択を迫られ中途半端は許されない時代になっていくと思われます・・・。
「あしふみ健康ライフ」お客様の感想
あしふみ健康ライフですが、多くの方におっしゃっていただきありがとうございます。
これをしていると、下半身の循環が良くなり特に腸にも良いのか、便がスムーズに排出されていくのを感じます。
おそらく、リズミカルに動かすことで自律神経のバランスも整い、腸の動きが改善していくのだと思います。
改めて、下半身を動かすことの大切さを感じています。
また、お母さんやお父さんへプレゼントをしたいとおっしゃって、ご購入していただく方も何人もおられ、素晴らしいことと思います。
「あしふみ健康ライフ」を使った方の感想が、メーカーさんに寄せられていますが、いくつかを取り上げてみます。
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家族も驚き!こんなにちゃんと話すなんて!
3分経った頃、背中がポカポカしてきたーと言われました。
いつの間にか10分経ち、痛みや疲れもないと20分経過。
その間、公園で散歩していることを事細かにはっきりお話していただきました。
普段は高齢者特有のむにゃむにゃしたしゃべり方なのに。
これを見ていた家族も「こんなにちゃんと話すなんて!」と驚きの様子でした。
やはり体に血が巡り、脳が活性化されたと思われます。
その後は疲れたのでしょうか、ぐっすり寝ておられました。
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なんか歩きようごたあ(歩いてるみたい)!
10分くらい足ふみした時には、「体はもうポカポカしよる。」「背中やらもうポカポカ。」とのコメント。
足ふみしてみてどうですか?という質問に対しては、「感じが良いよ。」「なんか歩きようごたあ(歩いているみたい)、はっはっは(笑)」と嬉しいコメントをいただきました。
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足が勝手に動いているみたい座ってできるし、全然きつくないです。
足が勝手に動いてるみたい。
勝手に動いてくれるから楽です。
5分くらいやってると足がホカホカしてきます。
これがあればどこへでも持っていけるからうれしいです。
よかもん見つけてくれてうれしいです。
ありがとうございます。
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ということで、単純なことですが身体を動かすだけで、体が活性化していくことを改めて感じています。
下半身を動かすことは「脳」にも良いと言いましたが、これは認知症予防の運動としても、非常に良いのではないかと個人的には感じています。
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あしふみ健康ライフシリーズ
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「君の名は。」妄想談義・特別編「御菓子」
ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですが、前回は、天王族最大の聖人と言われた、預言者「エノク」との飛翔する「エノクの街」について、ぶっとんだ話をしましたが、いずれ天から下ってくる・・・ということが記されています。
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また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
(ヨハネの黙示禄第21章2節)
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「菓」という漢字の意味や菓子の深意
そして、話を戻しますと、前々回に、橘を探しにいった田道間守という人物は、「菓子の神」「菓祖」としても信仰されている・・・というのをみて、また気になってしまい、そもそも、御菓子は、なぜ御菓子(おかし)と言うのだろう・・・と疑問に思いました。
前々回の最後にこう言いました。
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菓子の始まりとしては、田道間守が、橘を常世国(とこよのくに)から持ち返ったというエピソード、ここに起因するのだとしたら、「菓子」とは常世の国にある生命の樹の、「果物」に由来するという可能性も見えてきました。
そうなってくると「菓」という漢字の意味や菓子の深意もみえてきます。
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そうです。
「菓」という果物は、橘(生命の樹)にある果実を、持ち帰ったとみることができますので、この「菓」とはずばり「生命の樹」の果物を指す・・・!!と思われます。
事実、「菓」を漢字破字法でみると「菓」=「草冠」+「果」となり、さらに分解すると「菓」=「艸(草冠)」+「田」+「木」となります。
「艸」は「植物」で、「田」は「エデンの園」の象徴でしたし「木」は「生命の樹」の象徴。
「菓」とは「エデンの園に生える生命の樹」!!となります。
生命の樹の果物(御菓子)をいただくことで
では、なぜ「御菓子」とか「菓子」と言うのか・・・ということですが、「御菓子(おかし)」については「御」は、「神」の象徴、「菓」は、「生命の樹」となり、「子」は「一」+「了」から成る漢字ですので、「始まり(一)」と「終わり(了)」となり、生命の樹(菓)が、「始まり(一)」の場所であり、「終わり(了)」の場所でもあることを、象徴しているのかもしれません。
僕たち人類は、アダムとエバのいたエデンの園の「生命の樹」から始まり、いずれヨハネの黙示録で幻視されたような、いのちの木のもとに最後は立ち還るのです。
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御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。
この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。
川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
のろわるべきものは、もはや何ひとつない。
神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。
彼らの額には、御名がしるされている。
夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。
主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。
(ヨハネの黙示録第22章第1節~5節)
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ですから、預言とは決して絶望の書ではなく希望の書なのです。
「御菓子(おかし)」とは、「神(御)」が示した「菓(生命の樹)」は「始まり(一)」と「終わり(了)」に存在する・・・ということを象徴しているのかもしれませんし、その神が創造した生命の樹の果物(御菓子)をいただくことで、永遠の生命をいただくことを象徴した名残が、「御菓子」にはあるのかもしれません。
「御菓子」は「神が示した生命の樹とイエス・キリスト」
また、「子」=「始まり(一)」と「終わり(了)」は、「アルファ(α)」であり「オメガ(ω)」であるという、聖書の言葉とも関わってきます。
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「事は成就した。わたしはアルファでありオメガである。最初であり最後である。わたしは 渇く者にはいのちの水の泉から価なしに飲ませる。」
(ヨハネ黙示21:6)
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つまり「子」(一+了)とはイエス・キリストであり、絶対的な神を意味します。
だからこそ、干支の十二支は「子」から始まり子に戻って終わる・・・とも言えますし、そうなると、「御菓子」は「神が示した生命の樹とイエス・キリスト」となり、やはりお菓子をいただくことは、神から授けられた「果物」をいただくという、神聖なことを象徴していたのかもしれません。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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