「貧乏ゆすり」の科学的健康効果と「君の名は。」妄想談義・特別編「田道間守の正体」

「貧乏ゆすり」の科学的健康効果と「君の名は。」妄想談義・特別編「田道間守の正体」

いつもありがとうございます。
日野です。

今回も後半、マニアックになりました。

本当に早く普通に戻りたいというのが本音なのですが・・・(‘◇’)ゞもう流れるままにいこうかと開き直り気味でもあります。笑

特に後半部分は、妄想が激しいので、興味がなければスルーしていただくのが無難です。

申し訳ございません。

「貧乏ゆすり」の科学的健康効果

前回は、「貧乏ゆすり」は健康に良いということについて触れましたが、貧乏ゆすりは、行儀が良くないということも言われます。

ウィキペディアによれば、貧乏ゆすりの由来についてこう記されています。
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「貧乏揺すり」という名称の由来については諸説ある。

・貧乏人が寒さに震える様子から

・高利貸しが貧乏人から取り立てる際に足をゆすることが多かったから。

・江戸時代に足をゆすると貧乏神に取り付かれるといわれていたから。

・貧乏人がせかせか動いているように、高貴な人からは見えるから。

・貧乏人が緊張のあまり、足をゆすっていたから。

といった説がある。
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ただこの貧乏ゆすりは、健康に対して効果があるということが言われています。

いわば「振動」ですから、これは人体の細胞にとっても、細胞が振動して活性化へと繋がっていくと思われます。

実際に科学的な検証もされてきています。

https://www.taiju-life.co.jp/joyful/health/023/index.htm
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■貧乏ゆすりが多い女性は死亡リスクが低い?!

(前略)2015年にアメリカの医学会誌「American Journal of Preventive Medicine」(2015年9月23日号)に掲載された、ロンドン大学などの研究チームの報告です。

なんと、貧乏ゆすりが多い女性は死亡リスクが低くなるというのです。

イギリスでは、長時間座っているオフィスワーカーの健康問題に焦点を当て、これまで対象を変えて様々な調査が行われてきました。

長時間座ることが死亡リスクを高めるということが知られていましたが、今回の研究では、貧乏ゆすりの多い女性は、長時間座ることに伴う死亡リスクを、下げる可能性があるということが判ったのです。

「第二の心臓」とも呼ばれている足の筋肉を動かすことで、血液を全身に巡らせることができ、死亡リスクを下げる可能性があるというもの。

今回は女性対象の調査でしたが、このような身体の仕組みは男性にも共通するかもしれません。

「貧乏ゆすり」は、実は良く知られた病気にも有効であるとされています。

■貧乏ゆすりでエコノミークラス症候群を予防

エコノミークラス症候群(別名ロングフライト血栓症)とは、狭い飛行機で長時間座っていた乗客が、飛行機を降りた直後に呼吸困難などで倒れる病気のこと。

足を動かさずに長時間座ることで、足の静脈にできた血の塊(血栓)が、足を動かした途端に血流に乗って肺に飛び、肺血栓塞栓症を引き起こすというメカニズムです。

この病気を防ぐためにも貧乏ゆすりが有効とされています。

実際、航空会社も、エコノミークラス症候群予防のための足の運動について、イラストや動画で説明しています。

ただし、この場合、一般的な貧乏ゆすりのようにこまかくゆするのではなく、もう少しゆっくりとした運動です。

当然のことながら、エコノミークラス症候群が起こりうる場所は、飛行機だけではありません。

渋滞中の車中も同じ状況にあります。
このゴールデンウィークに車で遠出する方も、この予防運動を参考にしてみてください。
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上記で述べられている以外にもエコノミークラス症候群は、自宅で座りっぱなしでいる時間が多いときや、オフィスや自宅でのデスクワークなどでも起こる可能性はあります。

エアコンなどの空調設備の整ったオフィス環境や自宅は、航空機内に似ている環境と言えるので、要は、日常の中でも起こりうる症状と言えます。

そういったことを解消していくのに、下半身の運動、貧乏ゆすりならぬ、健康ゆすりがお手軽にできるのが、あしふみ健康ライフと言えます。

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あしふみ健康ライフシリーズ
https://treeoflife.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=%A4%A2%A4%B7%A4%D5%A4%DF%B7%F2%B9%AF
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「君の名は。」妄想談義・特別編「田道間守の正体」

ここから、後半です。長いです。
おそらく、このシリーズ中最長になりました。汗

新型コロナウイルスに関しての「コロナ」=「君」から、「君の名は。」の迷宮に迷い込み、ますます深みにはまっている・・・というところです・・・。汗

前回までの大まかな流れを再掲してみます。
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「三葉」=「みつは」=「光八」=「光神」=「天照大神」!!

「瀧」=「さんずい」+「龍」=「水=青」+「龍=蛇」=「青銅の蛇」=「イエス・キリスト」
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宮水三葉=天照大神
立花瀧=瀬織津姫(天照大神の荒魂)
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立花瀧=五芒星=火(日)=イエス・キリスト=橘の五弁の花=白=男性性

宮水三葉=六芒星=水=天照大神=桜の五弁の花=ピンク=女性性
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「花」=「草冠(艸)」+「化」=「茨の冠をかぶるイエス・キリスト」+「人遍」+「匕」(=「死と復活」)=「イエス・キリストの死と復活」!!
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前回、「美」の意味をみましたが「羊」+「大」から、大きくて立派な羊を意味している・・・と一般的には言われていますが、何かピン・・・ときませんししっくりしないものがあります。

しかし、羊とは、旧約聖書の時代に羊や牛を屠る神事が、行われていた事をみれば、「犠牲」を意味し、大きな羊、羊の主となり、神の子羊イエス・キリストを「羊」が象徴すると言いました。

つまり「羊」とは、屠られ犠牲になることによって罪を贖うことを意味し、さらに「大」=「一」+「人」ですから「大」=「唯一の人」となり、「羊」+「大」で、人類の罪を一身に背負って犠牲となった、唯一の人「イエス・キリスト」を「美」で示唆しているとみれば

非常にすっきりと謎が解けるように思うのです。

その罪穢れの一切ないイエス・キリストが全人類の罪を贖う姿・・・、それこそが「美しい」と思い、この漢字にしたのではないでしょうか。

「羊水」=「イエス・キリストの水」

ここで、「羊」にまつわる非常に不可思議な言葉があります。

以前にも取り上げたのですが、それが「羊水」です。

なぜ「羊(ひつじ)」の「水」なのか・・・。

これが見ていくとよく分からないのです。

「羊」は「ヨウ」ですから、大洋などの「洋」に通じ、水にも通じるとも言えますが、しかし、なぜ「羊」なのか・・・。

「洋」を意味するのであれば「洋水」でもいいようなものですが、「羊水」であることにやはり意味があると思います。

調べてみると、羊水とはこうあります。

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妊娠時に、羊膜内を満たしている液。
羊膜上皮から分泌され、胎児を保護し、分娩(ぶんべん)を容易にする。
胎水。羊膜液。
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羊膜を満たす水から「羊水」となるそうですが、では「羊膜」は、なぜ「羊膜」なのか・・・となると、またその理由はよく分かりません。

羊水はなぜ羊の水と書くのか・・・以下のような回答もありました。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000001315
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羊膜の内側を満たす液なので羊水という。
羊膜の語源は、ギリシア語のamnionからきています。

これは、いけにえの血を入れる鉢のことで、羊膜を意味するようになったのは、

(1)羊水に血が混ざって、いけにえの血を入れた鉢のように見えるから
(2)羊膜の形が鉢に似ているから
(3)軟らかさが小羊に似ているから
などの説がある。
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軟らかさが小羊に似ているからという説などは、こじつけの感がぬぐえませんが、「いけにえの血を入れた鉢のような」というところで、少し近づいたような気がします。

そして、前回も見たように「聖書」をベースに漢字を見ていくと、この「羊水」の疑問も、不思議とすんなりと読み解くことが可能だと思います。

つまり、「羊水」とは、「神の子羊」=「イエス・キリスト」の象徴であることからみれば明白で、「羊水」とは神の子羊イエス・キリストの水だということです・・・!!

「羊水」=「イエス・キリストの水」

イエス・キリストという言葉に違和感があれば、この世界や人類を創造した、「創造主」の水でもいいと思いますが、それが「羊水」だということになり、僕たちは生まれながらにして「イエス・キリストの恩寵を受けた水」に、包まれて生まれでてきたということになります。

そのことは「羊」という漢字を見ても示されているように思います。

「羊」の中には、上のチョンチョン、これは「八」と見ることもでき、「八」は「神の象徴」

また「羊」の中に「三」も見えます。これは「三神」。

さらに言えば、「羊」をみていると、真ん中の横軸と縦軸で「十」=「十字架」が浮かび上がります。

すなわち「羊水」とは、「八」=「神」の「恩寵」に包まれ「三」=「三神」「三本柱(生命の樹)」の真理に最初から包まれて、「十」=「十字架」により、イエス・キリストの死と復活の象徴で生まれる前から罪が贖われている・・・それが「羊」に含まれていることから、「羊水」とは非常に意味深な言葉であることがわかります。

かなりの妄想ですが・・・汗

つまり僕たちは、最初から神の恩寵を受け、生まれながらにして、すべての罪穢れを贖われて生まれてきているのだ・・・とも言えます。

ですから、罪の意識に苛まれる必要は本当はないとも言えます。

また、「羊水」は、「ヨウスイ」ですから、「羊水」=「陽水」「八水」となり、光の水(陽水)でもあり「神の水(八水)」でもあると言えるのかもしれません。

「常世の国」と「エデンの園」

話が初めからそれていますが・・・前回、「立花」=「橘(タチバナ)」からこの「橘」が、「非時香実(ときじくのかぐのみ)」であり、それは「生命の樹」に繋がることを見ました。

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橘=「非時香実(ときじくのかぐのみ)」=「不老不死の樹」=「永遠の生命を象徴する樹」=「生命の樹」=「イエス・キリスト(の十字架)」
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この生命の樹を象徴する「非時香実(ときじくのかぐのみ)」は、「非時香菓」とも表記されます。

不老不死になるという実ですが、この「非時香実(ときじくのかぐのみ)」にまつわるエピソードをみていて、非常に気になるものが、また出てきてしまいました・・・(‘◇’)ゞああ・・・そうだったのか・・・!!と。

再掲してみます。

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天皇の命で田道間守(だぢまもり)が常世の国に非時香実を探しに行く。

この実を食べると不老不死になるといわれ、海の彼方の誰も行くことのできない国にあるとされている。

田道間守は苦労してこれを持ち帰るが、すでに天皇は亡くなっており、陵墓の前で泣き叫んだまま息絶えてしまう。
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この中で、非常に気になったのが、天皇の命で非時香実を探しに行く「田道間守(だぢまもり)」の存在です。

これはまた意味深な名前です。

「非時香実(非時香菓)」が「生命の樹」を象徴すると言いました。

つまり、この神話は、エデンの園に生えるという「生命の樹」を、探しに行くエピソードを描いているのであり、その「常世の国」とは「エデンの園」であり、そこに生える「非時香実(非時香菓)」とは、永遠の生命を象徴する「生命の樹」に他なりません。

事実、「常世の国」とは何かといえばウィキペディアにはこうあります。

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常世の国(とこよのくに)は、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界である。

一種の理想郷として観想され、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた、日本神話の他界観をあらわす代表的な概念で、古事記、日本書紀、万葉集、風土記などの記述にその顕れがある。

こうした「海のはるか彼方の理想郷」は、沖縄における海の彼方の他界「ニライカナイ」にも通じる。
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常世の国、理想郷、ニライカナイ、これら海の遥か彼方の理想郷とは、日本という国の根幹に聖書がある以上は、もう答えは明らかです。

「常世の国」とは・・・「エデンの園」を指します・・・!!

「田道間守(だぢまもり)」

となると、「田道間守(だぢまもり)」という存在がやはり気になるのです。

「田道間守(だぢまもり)」とは「田」+「道」+「間」+「守」から成ります。

やはり繋がっていました・・・!!

これで、答えが見えてきました。

まず、「田」とは何か・・・ということですが、これは、以前にも何度か触れていますが、結論から言えば・・・「田」=「エデンの園」です・・・!!

いきなり何を言っているんだと思うかもしれませんが、この「田」は「田んぼ」という意味ももちろんありますが、根幹的には「エデンの園」を象徴的に示した漢字なのです。

創世記第2章8~10節にはこうあります。
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主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

エデンから一つの川が流れ出ていた。
園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。
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後半部分、「四つ」の川となっていたという部分に注目です。

エデンの園の中央から四方向へと流れ出る川を、象徴的に示すと「田」という字になるのが分かるでしょうか。

つまり「田」という漢字の象形そのものが、「エデンの園」の象形であるということになります。

そして、「田」は「デン」と読みますが、「エデン」とは「江田」となり、4つの川で満たされたことを象徴し、「恵田」とみれば、「恵(神の恵み)」を受けた「田」(エデンの園)=「恵田」となります。

「田(口+十)」=「エデンの園」

余談ですが、って余談ばかりのような気もしますが・・・「田」は「口」+「十」とみることもでき、「口」は「囲い」であり、境界線、「十」は「十字架」の象徴ですが、イエス・キリストの十字架の象徴ですが、これは罪穢れを一身に背負いますので、罪穢れが祓われた状態、すなわち、罪穢れのないアダムとエヴァが住んだ完全なる場所の象徴。

ただこの地で蛇(悪魔)に唆されて、知識の木の実を食べて「原罪」を負い、エデンの園から追放されてしまうのですが。

「田」の「十」は同時に、縦軸と横軸ですから、陰陽合一であり「完全なるもの」の象徴。

それが「田(口+十)」=「エデンの園」だと言えるのかもしれません。

「道」=「ミチ」=「未知」=「三千」=「三智(三知)」

すぐに話がそれてしまいますが(汗)、「田道間守(だぢまもり)」とは、「田」+「道」+「間」+「守」でしたが、次の「道」という漢字は、「田」の「道」となりますので、「田道」で「エデンの園への道」となります。

「道」とは「道路」という意味のほか、「人の守るべき義理。宇宙の原理。教え」を「道」といいます。

つまり、エデンの園で神が示した「道理」です。

そして「道」は「ミチ」となり、「道」=「ミチ」=「未知」=「三千」=「三智(三知)」と展開できます。

ここから「道」とは、「未知」で「未だ知らない」ことですが、それは裏を返せば、最終的に到達して知るべきもの・・・、それが人類が到達する「道(未知)」だということです。

さらに、「三智(三知)」から、「道」とは「三神があることを知り(三知)、三神の道理、真理を知ること(三智)」を意味します。

そして道を「三千(ミチ)」とみれば、「三千」すなわち「三千世界」を示唆します。

「三千世界」とはウィキペディアにこうあります。
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三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)は、仏教において、一人の仏が教化する世界のことであり、仏教の世界観における宇宙の単位であり、世界は無数の三千大千世界から成る。

仏教の世界観では、須弥山を中心として、日・月・四大州・六欲天・梵天などを含む世界を一世界とし、一世界が1,000個集まったものを小千世界といい、小千世界が1,000個集まったものを中千世界といい、中千世界が1,000個集まったものを大千世界という。

大千世界を三千大千世界ともいう。
略して三千世界といい、三界、三千界ともいう。
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つまり「三千」=三千世界とは、この世は「三層世界」から成るということを示唆しています。

そのことを、エデンの園に生える生命の樹の象徴図形の「三本柱」でも示唆しています。

「田道」とは、エデンの園(田)で示された生命の樹(三千)の真理となり、同時に、エデンの園(田)への「道」を示唆します。

「田道間守」という存在

では、「田道間守」の「間」は何かということですが、「間」「これとそれとに挟まれたところ」とあるように、エデンの園と今人類がいる場所との「間」とみることができます。

つまりエデンの園(田)へ到る(間)「道」・・・そのことが「田道間」で示されているように思いました。

そして「田道間守」の「守」とは、「守る」ということです。

これで完全に見えてきました。

すなわち、エデンの園(田)へ到る(間)「道」もしくは、エデンの園にある三千(三の叡智=三智)が「守」られている、そのことを象徴しているのが「田道間守」という存在の名前で、これは偶然ではないと思います。

あまりにも出来過ぎています。

さらに「間」もよく見ると・・・「間」=「門」+「日」から成る漢字です。

「門」は、「建築物の外囲いに設けた出入り口」で「日」は「太陽」・・・。

「門」をくぐると「日」(太陽)へと至り、エデンの園へと至る・・・

ここから、「田道間守」は、太陽(日)に存在する、エデンの園(田)へ至る(間)「道」を「門」によって「守」る・・・そのことが示されているように思います。

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こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。
創世記3章24節
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つまり、「田道間守」がとりにいった「非時香実(非時香菓)」とは、やはり「生命の樹」に繋がるのです。

そもそも「立花」=「橘」とは「常緑樹」であり、一年を通じて葉が緑色であることや、黄色い実が比較的長い間、枝に残ることなどから、縁起の良い木とされているといいます。

これもまた、永遠の生命を象徴する「生命の樹」にふさわしいのかもしれません。

ということで・・・また横道にそれてしまい、橘と桜の対比まで到達できませんでした。(-_-;)

迷走が続きますが・・・最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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