感謝の伊勢神宮「参拝」とオリオンの三ツ星と三大ピラミッドと相似する伊勢「三宮」

伊勢神宮への参拝①

いつもありがとうございます。
日野です。

先日の12月1日は、毎年恒例となっていますが、伊勢神宮へと参拝させていただきました。

奇しくも、愛子様の誕生日でもあり、また僕の母親の誕生日でもあったという日に伊勢へと行かせていただきました。

メールの個別のご返信などが遅れておりますが、順次ご返信させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

12月1日、2日と快晴に恵まれて、12月にしては暖かい日だったので有り難かったです。

今回も、伊勢神宮外宮、内宮、伊雑宮といういつも通りの参拝となりましたが、事前に下記の清水義久さんの書籍も拝読させていただいていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『「伊勢の神さま」にまかせなさい』(清水義久著)
http://urx2.nu/O6Jr
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こちらは、この通りに参拝しようとするとけっこういくつもの神社がでてきて、1日かけてか、2日くらいあるとちょうどよいという感じになるのですが、今回は時間的に無理とみて断念しました。

また機会があれば、この通りに参拝してみたいと思いました。

興味があればこの本も手に取ってみてください。

伊勢神宮への参拝②

今回も朝の6時くらいに家を出ましたが、外宮に到着したのが8時前ということで、2時間もあれば十分に行ける距離で、近くで有り難いと思いました。

8時前ではありましたが、1日ということもあってか、この時間帯にしては、いつもよりも人は多く来ていました。

ここ4,5年くらいは、ずっと正装での御垣内参拝をさせていただいていますが、やはり気が引き締まるというのか、神聖な気持ち、心から感謝の気持ちで参拝をさせていただけます。

外宮では御垣内参拝をする人が3組くらい待っていたので、しばらく控えの所で待っていたのですが、目をつぶってしばらくたたずんでいると神気が降り注いでくるのが感じられました。

外宮のあとは、内宮へと向かいました。

ちょうど、内宮の入り口の正門からは朝日が差し込んできていました。

内宮でも御垣内参拝をさせていだき、その後は、おかげ横丁を少しぶらぶらして、昨年も食べた、みたらし団子をいただきました。

いくつか種類があったので、家族4人ともバラバラに頼んでいろいろな味を味わいました。笑

おかげ横丁の途中の屋根の上には2匹の猫ちゃんがいて、観光客たちから注目されていました。

1匹を写真に収めましたが、伊勢への旅のいくつかの写真をFacebookアップさせていただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【いざ、伊勢神宮へ】
https://www.facebook.com/hino.kenya/posts/2013372805394600
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

伊勢神宮への参拝③

その後は、少し離れた磯部町にある伊雑宮へ。

交通機関だと離れているので行きにくい場所ですが、車であれば、40~50分くらいあれば行ける距離です。

途中山道がありますが、そこを抜ければ、磯部町に出られます。

伊勢神宮の別宮のひとつとされますが、今までメルマガでは何度も触れているように第3の伊勢神宮とされ、今はまだ表には出ていない小さな社です。

伊勢神宮は、本来「三宮」から成るということが、飛鳥昭雄さん、三神たけるさの著書などで言われていますが、これは、日本の神道の基準が「三」であることを思えば、自然なことであり、実際にたぶんそうなのだろう・・・と思います。

かつては伊雑宮こそ「本伊勢」であると言い出してしまったことから、大問題に発展したこともありましたが、いずれ時が来れば、伊雑宮が整備されて表に出てきますので、三社並び立つときがくるはずです。

その前に、裏である下上賀茂神社が先に動くことになり、第3の賀茂神社でもある「河合神社」が先に表に出てくることになるようです。

伊雑宮は本当にこじんまりした神社ですが、地図を見れば、今の神社の奥には今の敷地の3倍くらいの神域の森が広がっていますので、将来的にその地域が拡充されて伊雑宮の敷地となるのか、もしくは、近くにも森林はたくさんあるので、場所が移されるのか定かではありませんが、おそらくその準備も水面下で成されていっているものと思われます。

いずれにしても時がくれば、伊雑宮も表立って出てくることになり、「三宮」であることが正式に表に出るはずです。

本殿の前で感謝の祈りをさせていただきましたが、かなり強いエネルギーを感じました。

小さい社ですが、この神社の杜が僕自身はすごく心が洗われる感覚となり、ここ10年以上伊雑宮への参拝もさせていただいています。

ぜひ機会があれば、行ってみてください。

二つの木の間から出る光

上記のFacebookに掲載した二つの木の間から出る光の写真は、伊雑宮でも最も好きな場所のひとつで、娘が小さい頃はここでしばらく娘たちが遊びながら、僕自身も癒されていました。

妻もここは人が少ないからいいと気に入ってくれています。笑

また何度も触れていますが、伊勢神宮の外宮と内宮、伊雑宮は位置を見れば明白なのですが、ほぼ、西北、東南ラインの線に沿って配置されています。

このラインを西北に伸ばしていけば元伊勢籠神社へと行き当たるのですが、この伊勢三宮の配置については、良く見ると、あるものに似ています。

そう・・・、斜めの点とみれば、まさにオリオンの三ツ星と似ているのです。

さらにはオリオンの三ツ星を模したとされるエジプトの三大ピラミッド。
これらとの関係が示唆されるのです。

しかも微妙に屈折している点も見事に一致します。

しかし・・・、決定的な違いがあります・・・!!それは、伊勢三宮が、西北、東南ライン上にあるのに対して、オリオンの三ツ星やエジプトの三大ピラミッドは東北、西南ライン上にあるのです!!

つまり、斜めラインが対称的になっているのです。

では、両者はやはり全くの無関係なのかというとそうではなく、この左右対称のラインになっていることこそが奥義と深く関わっているのです。

そしてわざとその左右対称になる配置にしたということが見えてくるのです。

このように仕掛けは徹底しています。

それについてはまた述べてみたいと思います。

「三」と関わりの深い動作

前回、丸山修寛先生のハフリについて述べてみましたが、これも、「三」と関わりの深い動作になることを見ました。

人体の三本の管に対して、それぞれ上中下と手を合わせて振り下ろす動作をしますが、三本の管は、そのまま生命の樹の三本柱とも対応します。

生命の樹は人体をも模しているのです。

神を模して人間が作られたと聖書には記されていますが、絶対三神を象徴的に表した「生命の樹」は人体にも浮かび上がるのです。

三本柱は神の象徴であり、聖書でいう絶対三神であり、古事記の造化三神に相当します。

ですから、伊勢三宮というのも、まさに「三柱の神」に相当することになります。

さらに伊勢の地をそのまま見て、伊勢三宮を、三柱に見立てれば、左に来るのが「伊勢神宮外宮」、真ん中に来るのが「伊勢神宮内宮」、一番右側にくるのが「伊雑宮」となります。

つまり、向かって左側の柱が「峻厳の柱」であり、聖書でいえば聖霊ルーハであり、古事記ではカミムスビノカミです。
ここに伊勢神宮外宮がきます。

中央の柱は「均衡の柱」であり、絶対神エロヒムであり、アメノミナカヌシノカミ。
ここに伊勢神宮内宮がきます。

右側の柱は、「慈悲の柱」であり、ヤハウェ=イエスキリストであり、タカミムスビノカミ。
ここに伊雑宮が配置されています。

このように、ハフリという動作をすることで、自然に、三神へ向かっての礼拝というのか動作となっているのです。

ですから心構えとしては、これは三神に対しての動作にもなるということを思い、心からの感謝の気持ちで向き合い、その神意をいただくという気持ちで、三カ所に対して手を合わせて振り下ろせばいいように思います。

日本に仕掛けられた国仕掛けは、見ていくほどに、その精緻さと奥深さには驚嘆します。

こういった叡智が、古代イスラエルの旧約聖書や新約聖書の集団によって、成されてきた・・・

もっと言えば、ノアの大洪水以前の叡智カタカムナに残されているような、そういった遥か古代からの仕掛けも含めて、連綿となされてきたということは非常に凄いことだとは思うのですが、そういったことさえも封じ込めて、日本人自身にも見えないようにして、世界の目から守ってきたと言えるのかもしれません。

しかし、やがて気づかざるを得ない時がきます。

伊勢の地には「蘇民将来」という札がよく掲げられていますが、これは、素直に見れば、「将来」において「民」が「蘇る」と見ることができます。

ですから、将来において日本人が本来の日本の姿や日本の役割に気づき、覚醒を起こして「蘇る」ということを示唆していることになります。

日本という国の奥深さを感じますし、僕自身は素直に日本という国が凄い国であると思います。

ということで、すみませんが、伊勢へ行ってきた報告とマニアックな話のみとなってしまいましたが・・・(;’∀’)、今回はこのあたりとさせていただきます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

コメント

タイトルとURLをコピーしました