会社設立日「妄想」談義と「君の名は。」妄想談義・特別編「アダムとマリアの神性」

会社設立日「妄想」談義と「君の名は。」妄想談義・特別編「アダムとマリアの神性」

いつもありがとうございます。
日野です。

先日は、8月6日に、ツリー・オブ・ライフ株式会社を、設立させていただいたことについて触れました。

あれから、何気なく8月6日で、48歳(自称24歳(‘◇’)ゞ)か・・・と思っていたときに、ふと、あ・・・と奇妙な符合というのか、シンクロニシティに気づきました。

お遊び的な思考で恐縮ですが8月6日は、8×6=48となり、48歳・・・!!

まさに僕の今の仮の年齢ですが(おいおい…)偶然にも、今の年齢となり、さらに、日本語の48音にも通じます。

日本語は五十音で示されますが、完全重複音と濁音を除けば「48音」となります。

12使徒のひとり「使徒ヨハネ」

さらに話が脱線していきますが「48音」で「ヨハネ」と読めて、ヨハネといえば、「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの黙示録」を書いた、イエス・キリストの12使徒のひとり「使徒ヨハネ」を思い起こします。

ちなみにイエス・キリストに洗礼を授けた、「洗礼者ヨハネ」という重要人物もいますが、このふたりのヨハネは別人になります。

ヨハネによる福音書やヨハネの黙示録を記した、12使徒のひとりヨハネ(48音)は、非常に興味深い人物で、12使徒は、ヨハネを除く他の11人全員が、イエス・キリストの死と復活の後の伝導生活において殉教しています。

しかし、このヨハネだけは殉教しなかったとされます。

それだけではなく、このヨハネにはもっと奥深い秘密がどうもあるのです。

それについては、次回覚えていたら触れたいと思いますが、「ヨハネによる福音書」の冒頭には、非常に重要なことが記されています。

有名な一節であり、神はロゴス(言霊)であることを示しています。

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初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。

(ヨハネによる福音書 第1章1~5節)
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言=神=光となり、言(言霊)にはとてつもない力が、宿っていることが示唆されています。

日本語は50音であり48音(ヨハネ)であり、ヨハネ(48音)が福音書において、「言(言霊)」の重要性を表しているのも、偶然ではないように思います。

新約聖書にはルカ、マルコ、マタイ、ヨハネという4つの福音書があります。

その中で、ヨハネは、一番霊的な福音書とも言われていて、実際に4つの福音書を通して読んでみて、個人的にはこのヨハネによる福音書が、特に一番惹かれるものがありました。

「33(32)」=「生命の樹」=「イエス・キリストの死と復活」

話があちこち飛びましたが…汗

8月6日(8×6=48)、48歳にして、株式会社化をさせていただいたのも、48から「48音」、ヨハネ、日本語、言霊・・・などに繋がっていき、さらに、48を同じように「4×8」とすると、「32」という数理が導かれます。

「32」は、これも偶然か「生命の樹」の象徴となります。

生命の樹の象徴図形は、10個のセフィロト(球体)と、22本のパス(小径)から成る図形で、10+22=32となり、生命の樹の象徴する数理が「32」になります。

ツリー・オブ・ライフ=生命の樹となりますので、お遊びで見れば繋がっていきます。

32に隠されたセフィロト(球体)「ダアト」を加えれば、「33」となりますが、これは、イエス・キリストの死と復活時の年齢を表し、「33」も、生命の樹と同時に、イエス・キリストの死と復活を、象徴的に示しているとみることもできます。

「33(32)」=「生命の樹」=「イエス・キリストの死と復活」

すみません、暴走が過ぎましたが、そのようにお遊び的にみていくと、この日が自分にとって、大きな区切りの日となったのは、意味あることのような気がしますし、「48」という数字が、僕の会社や仕事にとっても、今後、重要なテーマが秘められているようにも感じます。

18という数

すみません、あとひとつだけ・・・2020年8月6日をカッバーラで分解すると、2+0+2+0+8+6=18となります。

18か・・・!!

一説では、6+6+6=18だから、18は666で悪魔の数字だと言われますが、これは一側面しかみていない、非常に浅い思考となります。

18=3+6+9(ミロク)でもあり、5+6+7(コロナ)でもあります。

善と悪は表裏一体であり、世の中の現状は、善を悪とされ、悪が善にひっくり返って信奉されていたり、悪魔が天使や神をよそおい、この世界を跋扈しています…。

いずれにしても、2020年8月6日に18の数理が表わされているのだとしたら、ミロク(369.666)やコロナ(ミロク)(567)も、表わされているのかもしれません。

そして、18と言えば「十八番」となります。

一番の得意技・・・つまり、自分にしかない能力を、この世界の中で使わせていただくことが、大事であるというメッセージと受け止めました。

僕の中では、2020年8月6日という日に設立された会社ということで、その日から導かれる意味合い、「48」「48音」「言(言霊)」「日本語」「32」「生命の樹」「イエス・キリストの死と復活」、「18」「十八番」「369・567(ミロク)」・・・、こういったキーワードを胸に・・・、新たな気持ちで、日々、今目の前のことに向き合っていきたいと思います。

「君の名は。」妄想談義・特別編「アダムとマリアの神性」

ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。

前々回は、イエス・キリストの母マリアについて触れましたが、彼女を異常に神聖化しているスピリチュアル業界の人や、某キリスト教系の団体がありますが、これは本質から「ズレ」ていく可能性があり、妄信することは「危険」です。

「ファティマの予言」についても、聖母マリアからのメッセージがあり、さまざまな予言や奇跡が起きたとされていますが、聖母マリアを語る霊体の正体は、本当に神から来ているのか非常に疑問があります。

同じように世界中で言われているマリア信仰は、申し訳ないのですが、悪霊に利用されている可能性が極めて高いと感じています。

奇跡や予言は、悪霊も得意です。

ですから、たとえば大災害などの予言を当てたからといって、この人は凄い、神からの啓示を受けている、と思ってしまうのは早計です。

本当に慎重に見ていく必要があります。

人類の始祖アダムはどうやって誕生したのか…!?

話は変わりますが、(あとで繋がってきますが)聖書に記されている人類の始祖アダムは、神に創造されたと言われていますが、これも常識で考えれば理解し難いことかもしれません。

しかしよく考えてみれば、人類はどうやって誕生したのかという命題に行き着きます。

もしアダムが、誰か母なる女性から産み落とされたと「仮定」したら、(実際はそうではありませんが)では、そのアダムの母なる女性は誰から生れたのか…?となりますし、卵が先か、鶏が先か、という話になっていきます。

人類の始祖アダムはどうやって誕生したのか…!?

別に聖書に限らなくても、常識的に考えれば、人類は最初の一人がいたはずです。

では最初の一人は、どうやってこの世界に誕生したのか?という疑問に行き当たります。

突き詰めていくと・・・最初の段階で、どうしても、神から創造されるか・・・、もしくは天文学的なありえない奇跡的偶然の確率のもとに、生命が自然発生したのか…?ということになってきます。

そこに「神の介在」があった…

しかし、どんなにアミノ酸などの栄養素があったとしても、それを設計する存在がいなければ絶対に形にはなりません。

たとえば、今こうして便利に使えているスマホなども、部品だけがあったとしても、それを設計して組み立てる存在がいなければ、スマホという形にはなりません。

同じように、人間もさまざまな元素から成り立ちますが、たとえ人体を構成する元素がこの宇宙にあったとしても、その元素を組み合わせてつくりあげる「意図」がなければ、決して形にはなりえません。

この時点で、申し訳ないのですが無神論というのは、どう考えても成り立たないのです。

この世界を素直に見ていくと、何か神なる存在、創造主なる存在がいないとおかしいと思えてくるのです。

人類の始祖とされるアダムの誕生は神が介在して創造された…、と考えるのがある意味自然なことでもあり、同時に、マリアの処女懐妊によるイエス・キリストの誕生においても、これが事実であるとするならば、そこに「神の介在」があった…という結論しかないのです。

事実、天使ガブリエルがそのことをマリアに告げにきて、マリアがそのことを最終的には受け入れています。

以下の訳では「マリヤ」となっていますが「マリア」と同じことです。

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六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。

そして御使は彼女から離れて行った。

(ルカによる福音書 第1章26~38節)
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このように、マリア(マリヤ)の処女懐妊については、この聖書の記述を信じるのであれば、まさに真実であったことがわかります。

しかし、前々回であったか触れたように、敵側の男に蹂躙された結果、子どもが生まれた映像を、タイムトラベルによって見てきたという方もおられますし、常識的に科学的に考えて、処女懐妊はありえないとして、否定する方もたくさんおられると思います。

ある意味・・・聖書の記述を常識的に理解しようとすれば、理解できない部分はたくさん出てくるでしょう。

しかし、前にも触れたように、こういった神聖な出来事を否定する考えには、「サタン的思考」が介在している可能性があると、個人的には感じています・・・。

非常に長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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