脳腫瘍が消えてしまった衝撃体験と「白」へ生まれ変わる「楽」の道
いつもありがとうございます。
日野です。
水素ホホバオイル大変お待たせしましたが、入荷してきましたので、順次発送させていただきます。
また運命を変えるボディソープも、大変長らくお待たせしてしまいましたが、間もなく入荷してきますので、こちらも来週はじめから順次発送できると思います。
どうぞよろしくお願いします。
脳腫瘍が消えてしまった衝撃体験
前回に、滝風ゴールドマイスターの矢嶋さんに来ていただきましたが、滝風イオンの代理店のなかでは、トップクラスの方なのですが、その方にいろいろとお話をお聞きした中で感じたのは、やはり・・・というか、目に見えない世界を非常に重要視されていたということです。
そのひとつにご先祖様に対しての供養を、非常にしっかりとされているということがありました。
また体験談もいろいろとお聞きしましたが、前回は余命半年の末期がんの方が、7年以上たった今でも、元気にされているという話がありましたが、もうひとつ衝撃的な体験談をお聞きしました。
あくまでも個々の体験談なので、ひとつの体験談として聞いていただきたいのですが、滝風イオンメディックの説明会をされた時に、花粉症の方がおられて、その場にいたら鼻がすっと通ったので、これは良いと購入されていったそうです。
それからしばらくして、今度はお姉さんにプレゼントしたいと、2台目を購入いただいたそうです。
よく話をお聞きするとそのお姉さんは脳腫瘍で、医者からもうすることがないと、見放されている状態だったそうです。
滝風イオンメディックがきてから、お姉さんは抱きかかえるようにして、毎日眠ったといいます。
それから半年ほどして連絡が入ったそうです。
初めは悪い話なのかな・・・と矢嶋さんも思ったそうなのですが
何と・・・
医者で見てもらったら・・・
脳腫瘍が消えていたそうなのです・・・!!
お姉さんは元々アメリカに住まわれていて、脳腫瘍のために一時帰国されていたそうなのですが、元気になってアメリカに戻っていかれたそうです。
もちろん滝風イオンメディックを持ってです。
100Vの変換器があれば海外でも使っていただけますので、そのようにしてお姉さんは、外国でも愛用していただいているとのことです。
これはまぎれもなく実話ですが、しかし滝風イオンメディックが脳腫瘍を消したという証明も、もちろんありませんので、おそらくお医者さんに言っても、そんな馬鹿なことがあるはずないと一笑に付されるでしょう。
ひとつの体験談として聞いていただければと思いますが、このようなことが実際にあったと矢嶋さんからもお聞きしました。
日本機能性イオン協会のクラス分け
マイナスイオン製品というのは確かにいろいろと出ているのですが、じゃあ本当にマイナスイオンが、健康効果が出るだけの量出ているのがどれだけあるのかというと、極めて心もとないものがあります。
大事なことなので改めて述べたいと思いますが、マイナスイオンを大量に出そうとすると、同時に「オゾン」が発生します。
このオゾンは量によっては致死量にもなりうるのです。そのオゾンの問題もあります。
滝風イオンメディックはオゾンの心配も全くありません。
ですから、機械の間近で吸引しても全く問題がないのです。
マイナスイオンについては、日本機能性イオン協会というところで、最高レベルのクラス6に認定されています。
クラスについては下記にあります。
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日本機能性イオン協会のクラス分け
http://www.japan-ion.jp/04_nintei1.htm
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JISによる発生空気イオン密度表示のクラス分け詳細
(発生個数: 製品測定値-バックグランド値)
●クラス1:107 ~108 /m3(10~100個/cc)
●クラス2: 108 ~109 /m3(100~1000個/cc)
●クラス3: 109 ~1010/m3(1000~10000個/cc)
●クラス4: 1010~1011/m3(10000~100000個/cc)
●クラス5: 1011~1012/m3(100000~1000000個/cc)
●クラス6: 1012/m3 以上 (1000000個/cc以上)
このようにクラスが上がっていくほど、マイナスイオンの量は増大していくことが分かると思います。
通常のマイナスイオン製品はほとんどがクラス1が多くて、ちなみに、シャー●さんのプラ●マクラス●ーイオンは、クラス2になるそうです。
それでもクラス2です。しかし滝風イオンメディックは、クラス6以上ということになります。
赤血球などをみても体調が悪いときは、ルロー状態と言って血液がベトベトしている状態ですが、このときにはプラスイオンが、体内にも多いということが考えられます。
ですから非常に大雑把な言い方をすれば、体内や体表面においてプラスイオンが多いほど、体調が悪い状態へと傾いていて、マイナスイオンが多いほど、体調は良い状態へと向かうということが言えるのだと思います。
ですから、今いる空間をマイナスイオンで、それも圧倒的なマイナスイオンを充満させることで、空間とともに健康体になっていくことが、可能なのだと思います。
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NEW滝風イオンメディック
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「辛」と「幸」のちょっとした「差」
前回は、
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産みの苦しみの後には喜びがあるように「苦」の後には「楽」があるように、「闇」の後には必ず「光」が差し込みます。これもまた、法則のような気がします。
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ということを言いましたが、前回、「苦」という漢字について、そこには聖書の影響があるということを見てみました。
ちなみに、「辛」という漢字も以前にも触れましたが、「辛」=「立」+「十」から成る漢字になるので、これはずばり「十字架に立つ」こと、すなわちイエス・キリストの十字架のことを示唆しています。
そのことが、イエス・キリストや全人類にとって「辛い」ことなのだと。
しかし、よく言われるように、そこに「一」を加えると「幸」という字に成ります。
「辛」と「幸」はたった「一」があるかないかという少しの「差」なのですが、このちょっとした「差」が幸不幸を分けるということになります。
「一」とは何なのか・・・。
この世の「ひとつ」となり、これはこの世の「真理」なのかもしれません。
その「一」という「真理」であり「法則」を掴むことができれば、「辛」から脱却して「幸」へと転換することが、可能であるということを教えてくれているのかもしれません。
「楽」という漢字
話がそれましたが、「苦」とともに「楽」という漢字を見ていくことで、何かが見えてくるのではないかと思います。
「楽」の旧字は「樂」という字です。
「糸」の上部分ですが、これは全くの私見ですが「三」を意味するように思います。
三画ということもありますが、下記の「糸」の旧字の象形を見て、三個の○によりいとをして繋げた形象があったからです。
https://okjiten.jp/kanji193.html
つまり「糸」の上部が、左右対称にあるということで、「三」+「三」という絶対三神の合せ鏡になっています。
これは三本の竹をひとつにした「門松」が左右対称にあるのと同じく、旧約聖書の三神と新約聖書の三神を、示唆しているのかもしれません。
「白」へ生まれ変わる「楽」の道
楽という漢字の中核は「白」+「木」から成ります。
「白」は真っ白というように新たな、更にするという意味合いがありますので、「白」「木」でまっさらな新たな木という意味に受け取れます。
「苦」によってイエス・キリストの十字架のあと、3日後に蘇り復活体となりますが、これこそ、新たな生まれ変わりであり、そのことと「白」「木」が象徴的に示しているような気がします。
「木」を「十」+「人」と見れば「十」字架の「人」が、「白」のように、まっさらに蘇る、すなわちイエス・キリストの復活を象徴しているように思います。
さらにいえば、「白」とは、ずばりイエス・キリストのことを、象徴的に示唆する字でもあります。
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『六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。』
(マタイによる福音書第17章)
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白光しているイエス・キリストがいますが、「白」はひとつの意味合いとしてイエス・キリストを示唆しています。
ここから「楽」=「樂」は「白」=イエス・キリスト、まっさら、蘇り「木」=十字架の人、もしくは生命の樹=イエス・キリスト
糸の上部が左右一対=絶対三神の合せ鏡となります。
こういったことから「楽」とは、絶対三神に包まれた永遠の命を象徴するイエス・キリストが、復活体と成るということが示唆されているのかもしれません。
また、イエス・キリストが全人類の罪を背負い「苦」を味わった後、「楽」という復活体となって蘇ったように、僕たち人類においても苦のあとには楽がある・・・
これは人生においても苦の後には必ず「楽」があるとう示唆とともに、絶対三神に包まれた世界に、復活体となって到達できるという、示唆になっているのかもしれません。
「苦楽を共にする」というのは、これは神でも仏でも絶対的な存在でも、宇宙創造神でも良いのですが、そういった目には見えないこの世を創造した存在と共に・・・、そういった存在を信頼して身を委ね苦楽を共にしていく・・・、という意味合いがあるのかもしれないと感じました。
つまり夫婦で苦楽を共にするという事も言いますが、本来の「苦楽を共にする」とは、絶対的な存在と苦楽を共にするということを、言っているのかもしれないと思いました。
どんなに辛く苦しいと思った出来事があったとしても・・・
この宇宙は絶対的な存在に包まれた宇宙である・・・
そのことを確信していれば、やがてくる「楽」という光を、受け取ることができるということではないかと思います。
非常に独断で偏った見方になってしまったかもしれませんが、マニアックな話になりすみません。
と言いながら書いていますが(・。・;
最後まで読んでいただきありがとうございます!
日野
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