植物性タンパク質を増やすほど長生きする!?と「君の名は。」妄想談義・特別編「安達清常」

植物性タンパク質を増やすほど長生きする!?と「君の名は。」妄想談義・特別編「安達清常」

いつもありがとうございます。
日野です。

いつも深夜の配信となりすみません。

今日は時間の関係上簡潔にいきたいと思います。(‘◇’)ゞ

前回に、ヘンプ(麻の実)について見てみました。

山田豊文先生の「アスリート飯」より続きを引用してみます。
今回で終了です。

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健康な人でも、植物性タンパク源の割合を増やすほど長生きするという、日本の研究結果もあります。

赤身肉の摂取量のわずか3%分を植物性タンパク源に置き換えただけで、研究期間中の死亡率が34%、がんでの死亡率が39%、心臓病での死亡率が42%、それぞれ低くなっていました。

加工肉(ハムやソーセージ、ベーコンなど)でも同様で、摂取量の4%分を植物性タンパク源に置き換えた人では全死因死亡率が46%低く、がん死亡率に到っては5割も低かったのです。

一般的には、メインのタンパク源は動物性であり、植物性はあくまでもサブにすぎないと考えられがちですが、実際には正反対にすべきであることが、こうした研究結果からもよく伝わってきます。

これからは麻の実なども活用しながら、植物性タンパク源の摂取量を意識して増やしていきましょう。
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このように前回も言ってましたが、動物性タンパク質よりも植物性タンパク質を主体として摂取していく方が、健康には良いということが分かっていただけると思います。

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ニューサイエンス ヘンププロテイン(麻の実粉末)
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「君の名は。」妄想談義・特別編「安達清常」

ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。

前回は、義経が愛した静御前について見てみましたが、静御前の赤子が男の子であったことによって、頼朝の命によって海に沈められたと伝えられていますが、これも本当にそうなのか・・・

個人的には、生かされた可能性もあるのではないかと何となく思い調べてみたら、そのように言っている方がおられ、個人的にはこのようなストーリーであればいいなあ・・・という希望的観測も含めて、この説に感銘を受けました。

非常に長いので恐縮ですが、抜粋をして引用してみます。

https://vpoint.jp/column/135090.htm
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(※鎌倉での頼朝と政子の前での舞の時から)
それから四カ月半後の七月二十九日、静御前は男の子を出産しました。

その日、頼朝の命を受けた安達清常が、静御前のもとにやって来ました。

お腹を痛めた、愛する人の子です。
静御前は子を衣にまとい抱き伏して、かたくなに引き渡すことを拒みました。

武者数名がかりで取り上げようとしたけれど、静御前は、断固として子を手放さなかったといいます。

数刻のやり取りのあと、安達清常らはあきらめて、いったん引きあげました。

(中略)

けれど御前が寝入ったすきに、磯禅師が赤子を取り上げ、使いに渡してしまいます。

子を受け取った安達清常らは、その日のうちに子を由比ヶ浜の海に浸けて、殺してしまいました。

目覚めて、子がいないことに気がついた静御前の気持ちは、いかばかりだったことでしょう。

「どうせ殺すなら、私を殺してほしかった」

気も狂わんばかりとなった御前の悲しみが、まるで手に取るように伝わってきます。

(中略)
その後の静御前については諸々の伝承があり、はっきりしたことは分かりません。

(中略)
静御前は、源頼朝の前で、堂々と愛する人を思う歌を歌い、舞を舞いました。

これがどれほど危険な行為か、静御前も分かっていたと思います。

そして、言うまでもなく頼朝の怒りを買い、子を殺されることになりました。

(中略)

この物語は、いまから千年も昔の物語です。
そして実話です。
愛する人を慕う静御前の心、戦う勇気、子を思う親としての気持ち。

敵側でありながら、静御前に深く同情を寄せる北条政子。

義経の物語は、千年の時を超えて、いまも昔も日本人の心は変わらないものであることを教えてくれます。
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そして、ここからが、赤子の話に入っていきます。

安達清常という男が影の主役となります。

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生まれたばかりの赤ちゃんを取り上げた磯禅師(いそのぜんじ)は、静御前の母親です。

鎌倉方の使いで来ていた安達清常(あだちきよつね)は、肚の座った男です。

そこから私は99.999%の確率で、赤ちゃんは死んではいないと解いています。

なぜ頼朝と北条政子は、たかだか赤子を取り上げるだけなのに、安達清常という剛勇の御家人を選んだのか。

そしてその剛勇の御家人である安達清常が、なぜ、静御前の抵抗の前に、すごすごと引き下がったのか。

そしてなぜ、母である磯禅師が子を取り上げたのか。

なぜ子を殺すのに、わざわざ由比ヶ浜まで行って、海に漬けて殺したのか。

なぜ鎌倉を発(た)ったあとの静御前の行方がわからないのか。

これらの疑問に対するもっとも合理的な解は、ただひとつ。

「赤ちゃんは死んでいない」です。

これはあくまで推測ですが、「生まれてきた子を殺せ」というのは、将軍である頼朝の命令です。

この命令が不実行であれば、それは将軍の権威を損ねるものとなります。

けれども、頼朝にとって静御前の子は、血を分けた実の弟の子です。
つまり甥(おい)です。

(中略)
頼朝から見て、実弟の義経は、鎌倉に幕府を打ち立てるに際して、すでに邪魔な政敵です。
ですからこれを討(う)たなければ、将軍としての頼朝の権威に傷が付きます。

けれど、それは義経の罪であって、生まれてくる赤子にまで罪があるわけではありません。

頼朝は静御前に舞を命じていますが、当時の感覚としては、弟の妻は、血を分けた妹と同じものです。

義経が罪人であったとしても、その妻、つまり妹までが罪なわけではない。

そして鎌倉幕府にとっての氏神様が鶴岡八幡宮で、そこでの奉納舞であれば、それは頼朝にとっても、その妻の北条政子にとっても、また御家人たちにとっても、極めて重要な神事です。

その神事に静御前を用いたということは、その時点で、御前を敵とみなしているわけではなくて、かわいい妹であり、頼朝の身内とみなしていることになります。

つまり、簡単にいえば、そこには身内としての愛があるのです。

けれども立場上、頼朝は「赤子は殺せ」と命じざるを得ません。
それをしなければ、頼朝の権威に傷が付くからです。

そして赤子が生まれます。
生まれた子は、血を分けたかわいい甥(おい)です。

その赤子を取り上げ、さらに殺せと命じる。
その役目を委ねられたのが、他ならぬ安達清常です。

安達清常は、頼朝の最も信頼する部下のひとりで、御家人たちの人事を任せられた人です。
(中略)
しかも、たいへんに情が深く、武家に生まれたわけではないお百姓が、幕府の高官となる道を開いた人でもあります。

そして、安達清常の父は、流罪になった頼朝を助け、命を守ってくれた人でもありました。

その人事部長の安達清常に、頼朝は静御前を預けています。

つまり鎌倉幽閉中の静御前の住まいは、安達清常の家です。

鎌倉での静御前の面倒の一切を安達清常が観ているのです。

その静御前が、出産を目前に控えていた頃、京都にいた静御前の母が鎌倉にやってきました。
それが磯禅師(いそのぜんじ)です。

そして安達清常は、その母も一緒に自邸に住まわせています。
出産の日、男が生まれたか女が生まれたか。

このことを頼朝に報告する義務を負っていたのは、もちろん安達清常です。

面白いことに、このときの報告は、安達清常は使いの者ではなく、自分で頼朝のもとに行っています。

「ご報告いたします。静殿の子が生まれました。
「どちらであったか」
「男でございます」
「ならばかねての指示の通りに」
「はい。承知しました」
おそらくそのような会話でしょう。

命令は「殺せ」です。

けれど安達清常が、言葉の額面通りに赤子を殺すような脳のない男なら、頼朝は大切な鎌倉御家人たちの人事を、安達清常に委ねたりしていません。

要するになぜ安達清常が選ばれたのかといえば、安達清常が、頼朝の命令を最も良い形で実現できる男だからです。

それが上司と部下の信頼関係というものです。

安達清常は、屋敷に帰ると、言葉通りに赤子の引き渡しを求めます。

静御前は猛然と抵抗する。

これは抵抗してもらわなければならないことですし、静御前からしてみればお腹を痛めた大切なわが子です。

そして愛する義経の子でもあります。

安達清常は、いったん引き下がり、母親の磯禅師に委細を話します。

赤子は安達清常が預かること。
そして、あとのことは任せてもらうこと。
磯禅師は承諾し、赤子を安達清常に渡します。

渡された安達清常は、殺すだけなら屋敷でも構わないのだけれど、わざわざ屋敷を出ていきます。

そして由比ヶ浜で海水に漬けて殺したことにして、信頼できる人に赤子を預けます。

そうとは知らない静御前は、失意の中で毎日を泣いて暮らす。

そして母とともに、鎌倉から出ていくことを命ぜられます。

母子ふたりで鎌倉を出て、峠を越えたところに、安達清常が立っています。

静御前から見たら、安達清常は鬼にも悪魔にも見えたことでしょう。

その安達清常のもとに、ふたりが近づきます。

安達清常は、笑っている。

そして、うしろに控えた女性に、たいせつに抱いている子を、静御前に渡させます。

母子というのは、不思議なもので、どんなにたくさんの赤ちゃんがいても、自分の子はひと目でわかるものなのだそうです。

静御前もまた、その渡された赤子が、たいせつな我が子とわかったのでしょう。
赤子を抱きしめると、そのまま泣き崩れてしまいます。

安達清常は、そのまま何も言わず、語らず去っていきます。

一度は失ったと思っていた我が子が帰ってくる。

しかし、静御前は、その子が我が子と名乗りをあげることはできません。

そうであれば、磯禅師も静御前も、名を変え、見知らぬ土地でひっそりと暮らすしかない。

こうして、静御前の消息は、以後不明となっていったのでしょう。

歴史というのは、表面に現れた、書かれたことだけを読んでも、事実はわかりません。

とりわけ我が国では、「~と書いておこう」ということがよく行われた国柄でもあります。

しかし、いろいろなことをつなげあわせてみると、意外と、「おそらくこうだった」というストーリーが見えてくるものです。

頼朝も北条政子も、安達清常が「由比ヶ浜で海水に漬けて子を殺した」という説明を受けた時、安達清常が赤子を生かしたことを察したものと思います。

海水に漬けて、海に流したのであれば、遺体の確認はできない。

安達清常ともあろう武士が、トップの命令に対して、そのような遺体の確認もできないような始末をするはずもない。

となれば、安達清常は赤子を流したことにして、生かしておいたということは、容易に察することができます。

そうであれば、一日も早く母子を対面させてあげたい。

けれど、産後の肥立ちの期間は、大切に寝かせておかないと、母体が危なくなります。

だから、静御前の体力の回復を待って、すぐに鎌倉からの放逐を命じているのでしょう。

日本という国は、どこまでも命を大切にする国柄です。

けれど建前は建前として、たいせつにしていかないと、世の秩序が乱れます。

その間にあって、ひとりの赤子の命を救った安達清常という武士は、まさに尊敬に値する武士であると思います。
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ということで、長い物語になりましたが・・・このように解き明かされると、確かにすべてが納得できるのです。

ちなみに、この静御前の男の子は、通説で言われるように水に沈めて殺されたのか・・・?と潜在意識に(フーチに)問うてみると「ノー」と出ました。

あくまでひとつの可能性ですが、安達清常という一人の武士によって、生かされた・・・そういう可能性もあると思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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