「常識」を一度疑ってみる必要性について
いつもありがとうございます。
日野です。
相変わらず車からの映像を、日々アップロードしていっているのですが、下記で話しているように、「ビックバン」宇宙論自体が、間違っている可能性があります。
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【車映像242】ビッグバンはなかった
https://youtu.be/TP7Mr61prV8
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僕たちは「常識」というものを、一度疑ってみる必要があるということを思います。
宇宙の始まりとされるビックバン理論そのものが、「仮説」であって真理ではないということ。
太陽系惑星形成論をみても、それが正しいかどうかは決して分かりません。
惑星はガスやチリが集積して、徐々に固まっていったとされますが、むしろ、どんなに時間をかけても、惑星はガスやチリからは決してできないということが、証明されています。
太陽も灼熱のガス天体ではない可能性があるということ。
進化論もいまだに「仮説」であり、類と類の間の生物は、未だに見つかっていないということ、むしろ外国では進化論は捨て去られていること。
このようなことを見ていくと、そもそも地球誕生から本当に46億年という、歳月がたっているのだろうか・・・、という根本的な問題にまで、行き当たってしまいます。
教科書でのっていることを、僕たちは正しいと教えられてきましたが、そのことを鵜呑みにするのは、非常に危ないと思っています。
教科書に書かれている歴史も、これは表面的なものであり、ある意味勝者の都合の良いものに、残されている可能性のほうが高いのです。
真の歴史は「裏」にあるのです。
天海大僧正が日本の歴史に与えた影響
先日、天海大僧正について、少し学びをさせていただいたのですが、この天海という存在は、まさに今の日本の風習の、基礎を創ったと言っても過言ではない、歴史においては、重要な存在であることが改めて分かりました。
豊臣秀吉の死とともに、突如として浮上してた人物であり、その生涯は生まれからして、謎に満ちた人物でもあります。
徳川家康の時代においては、江戸という都市を方位や風水を駆使して、設計しています。
つまり天海は僧侶であると同時に、陰陽師であった可能性が非常に高いのです。
そしてかねてから噂のある天海=明智光秀という説も、いろいろと見ていくと、かなり信憑性が高いということが分かりました。
否定するほうが難しいのです。
明智光秀と織田信長の争いはある意味、北朝と南朝の争いでもあり、その背後がわかってくると、それは江戸から明治にかけても、北朝と南朝の攻防があったことが見えてきます。
明智光秀は、秀吉との戦いに破れ死んだとされますが明智光秀の遺体は、実は本人のものと確定されたわけではありません。
光秀のものとして、首実検に出された首は三つあったといい、さらに夏の暑さで腐敗が進み、顔面の皮がはがされたものだったといいます。
そして、驚くべきことに戦ったはずの秀吉と、明智光秀は、裏でつながっていた可能性もあるのです。
本能寺の変で、信長が死んだ時に、秀吉があれほど早く戻ってこれたのは、信長が討たれることを、知っていた可能性もあるのです。
そのように見ていくと、明智光秀という人物は、非常に歴史においては、興味深い存在に思えてきますし、後の天海になったとすれば、本当の歴史というのは非常におもしろい・・・、と思えてきます。
なぜ常識を疑うのか?
話がどうでも良いことになりましたが、「常識」を疑ってみるということは、とても大切だと思います。
健康のことにおいても、「常識」と言われるものを疑ってかかる必要がありますし、その最たるものは、未だに医学会では、骨髄造血が金科玉条のごとく掲げられていて、腸管造血などと言おうものなら、その意見は抹殺されるか無視されるということです。
真実よりも、体面を維持することのほうが、大切なことになってしまっているのです。
自分の体は自分で守るしかありません。
お医者さんも一生懸命されているのですが、あくまでも医学会のレールにのっとった、やり方をやられる方がほとんどです。
その医学会のレールが、間違った方向へと向かっていたら、一緒にそこへ僕たちも乗せられていくだけです。
・ワクチンが本当に良いのか
・抗がん剤が本当に良いのか
・降圧剤が本当に良いのか
・向精神薬が本当に良いのか
そいうことを病気になる前に知っておき、そして、病気になった時にどのような選択をするのか。
そのことを今から知っておくべきだと思います。
ということで時間がきたので、ここまでとさせていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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