窓枠にMAXmini5Gを貼った体験談と「君の名は。」妄想談義・特別編「金色の鷲」

窓枠にMAXmini5Gを貼った体験談と「君の名は。」妄想談義・特別編「金色の鷲」

いつもありがとうございます。
日野です。

前々回にご紹介したピントドライバーですが、やっぱり座り心地が超快適です。

腰が全く痛くなりません。

腰が自然に立つというのかピントなり、腰回りが包み込まれるようにフィットしているので、ずれることなくハンドル操作が快適にできます。

少しだけ、厚みのある分、視線が上がりますので、サイドミラー、バックミラーを、少し再調整だけしていただく必要があります。

あとは、本当に快適です。

これなら長時間ドライブも苦痛にならず楽しくなると思います。

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●ピントドライバーなし
シートに沈み込むように骨盤が倒れ、背中が丸くなり腰に負担がかかってしまいます。
背中が丸いと頭が前に来て、肩が上がり、肘も緊張するので、ハンドル操作にも力が入ってしまいます。

●ピントドライバーあり
骨盤を適度に立てた状態で安定して保つ事ができます。
背骨を正しく骨盤の上に乗せることのできる位置を、シートが教えてくれるので、腰の負担を軽減します。
頭を軽く保つ事ができるので、肩や肘もリラックスした状態で運転する事ができます。
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早速、多くの方からご注文もいただきましてありがとうございます。

ぜひ体感した感想をいただければと思います。

僕自身は今年前半のベスト3には確実に入る感動体験でした。笑

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ピントドライバー
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ピントドライバーエコ
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ピントシリーズ
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窓枠にMAXmini5Gを貼った体験談

MAXmini5Gの非常に興味深い使い方と感想をいただきました。

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いつもありがとうございますm(__)m

窓枠に使用するには寸法が合わなかったので、思い切ってサッシの扉サイズの大きいガラスに、四隅、貼ってみました。(縦横1m以下の小さい窓には、MAXminiのVと5Gを中央に一つずつ。)

どこにどう使うと効果的か、はっきりとは把握していませんが、外部から窓を通してくる熱や圧迫感がかなり軽減されたので、良かったのかな…と思っています^^;
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ありがとうございます。

おそらく窓枠に貼ることで防御されているのだと思います。

丸山修寛先生が、傘の内側に2カ所MAXmini5Gを貼ることを推奨されていましたが、丸山修寛先生のクリニックでは、そのようにした傘が15個くらい、天上から吊り下げられているそうです。(;’∀’)

そして、実際にその下にいると、非常に身体の調子が良かったりするのだそうです。

外を歩くときも、日傘がわりにMAXmini5Gを装着した日傘を、使っていただくのもいいかもしれません。

また、反磁場磁石ですが、寝るときに、DiODiAカードと一緒にカードケースに入れて、首から下げる形で、ちょうどみぞおちあたりに当たるようにして寝てみているのですが、朝起きた時の爽快感というのか、身体のスッキリ感が増した感があります。

いろいろと試してみたいと思いますが、ぜひ良い使い方や、体感などございましたら、教えてください。

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丸山修寛先生開発「反磁場磁石」の効果的使い方(5分32秒)
https://www.youtube.com/watch?v=Bwq41ChCUlc
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※2個まとめてご購入していただくと非売品・反磁場磁石を1個プレゼント!
電磁波ブロッカー MAX mini 5G
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「君の名は。」妄想談義・特別編「金色の鷲」

ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。

前回は、義経とアイヌ娘の悲恋伝説についてみてみました。

またシーボルトの義経=ジンギスカン説について見ましたが、非常に興味深いことに、ジンギスカンの幼少期から青年期などは伝承しかなく、しかもエピソードなどを丁寧に見ていくと、なんと義経のエピソードと重なる部分などもあるのです。

https://00m.in/2Y2A6
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「彼(成吉思汗)の生涯については、これまで山ほどの著述が古今東西の人によって物語られている。読みものとしては、すぐれたものも数多い。
しかし、率直に言って、どれも確かなものはない。
それはチンギス・カンについての史料が、あまりにも虚実入り混じり、どこまでが伝説や創作で、どこまでが史実であるのかわからないからである。
彼の生涯については、彼の子孫たちがつくらせた東西文献の中に語られる。
漢文の正史である『元史』。
モンゴル語を漢字で表記した『元朝秘史』。
そして、ペルシア語によるモンゴル正史の『集史』。
この三つが基本史料となる。
その他、いくつかの文献がある。
ところが、それらが噛み合わない。
特に、権力者に浮上するまでの時期については、どうしようもない。」

村上氏によれば、成吉思汗が確かな姿を持って現われてくるのは、西暦一二〇三年の秋に王罕(オンカン)を打倒して、モンゴル高原の東半の覇者となってから、ということである。

つまり、王罕との対決以前についての成吉思汗の生涯は、史書にはさまざまに描かれてはいても、それらはいまだ謎に包まれているということになる。

そして、成吉思汗のその謎に包まれた時代についての記述が、義経の生涯に酷似しているのである。
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詳細は割愛しますが、ジンギスカン(成吉思汗)のエピソードが、いくつも義経のエピソードと重なるのは、たまたまという確率を超えたありえないくらいの確率だと思います。

もう少しだけ義経とジンギスカンの共通項を以下からみてみますと・・・

http://yayaho000ou.web.fc2.com/newpage1.html
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日本侵略興亡史 鹿島著
これは 全部で639ページの本です。
義経とジンギス汗のことは、およそ100ページにわたって、いろいろと説明されてありました。
その中のP155 には 次のように記載されてありました・・・・・

鞍馬寺では義経の死を1227年8月15日なりとなして、今日まで700年間、毎年窃かに遮那王祭として称して、その追悼会を営んでいるという事である。
只、義経の死を鞍馬寺では8月15日としてあるのに比べて、成吉思汗の死は8月18日とあるために、三日間の相違があるだけである。

・・・・・・と記載されていました。

P243には筆者である弁護士の鹿島氏は、昭和十年から終戦の年まで、陸軍の特務機関員として満蒙の土地にいた。
1939年頃にはラマ僧の修行と称してラマ寺に入り込んだ。
ダライ湖とボイル湖の中間の草原地帯に建つ、ガンジュリミョオという古いラマ寺であった。
このラマ寺では毎年八月十五日に、オボー祭という催しがあった。
オボーというのは郡境に立つ小塔のことだが、八月十五日は成吉思汗の命日〔実際は18日〕のお祭りとのことであった・・・・・・

祭りの垂れ幕には笹リンドウの紋様がついていた。
長老はポロポロになつた金襴緞子の陣羽織を着ていた。
どうみても顔はモンゴルなのに、いでたちは昔の日本の武将であった。
笹リンドウの紋様がついた祭りの垂れ幕は、八月十五日にオボー祭のときだけ、だしてくるのだそうです。
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鞍馬寺での8月15日の遮那王祭り。

義経の稚児名は「遮那王(しゃなおう)」と名乗ったところからきていると思われます。

同じ日、成吉思汗の命日として「オボー祭り」がなされています。

これもまた、偶然の一致にしては出来過ぎの感があります。

オボー祭りの時に出される「笹リンドウの模様」の垂れ幕は、源氏と深い家紋と言われ、鎌倉市のシンボルマークは「笹竜胆(ささりんどう)」の家紋がデザインされていますが、源頼朝公が幕府を開かれたことに由来しています。

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それから満蒙でバス路線の調査を命じられたという、石川豊水氏の体験談も記載されてあります。

それによると、法庫から西に老爺廟という地点があって、そこの墓石には、源家の紋章である笹りんどうが確認できた・・・と説明されてありました・・・・。

老爺廟の墓石の源家の笹りんどう紋章と、ここから西南の熱河省には、なんと平泉〔へいせん〕という地名が存在するそうです。

・・・はたして これらは偶然なのでしょうか・・・・

昔昔、ここの土地にやって来たのは、ゲンギケイであると現地の人たちは語るそうです。
ゲンギケイ・・・源義経・・・・・
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さまざまなシンクロニシティから、源義経とジンギスカンの関りは、無視できないものとなっているように思います。

「昔、ホウガン様は金色の鷲を追って、クルムセ国に渡った」

アイヌの言い伝えに「昔、ホウガン様は金色の鷲を追って、クルムセ国に渡った」とあるそうです。

上記のサイトには、「ホウガン様」は判官様で、義経のこととなり、「金色の鷲」とは黄金のことと思われるので、黄金を求めて、「クルムセ国」とは、シベリアかモンゴルの、騎馬民族国家のことであろう。としています。

おそらくそのように解釈していいのでしょうが、ひとつ気になったのは「金色の鷲」とは、確かに黄金、砂金などと関わるものとみれないこともないのですが、金色の鳶とある以上は金色の鳥となるように思います。

確かに奥州藤原氏は、もともと莫大な黄金を手にしており、その黄金のネットワークは、奥州だけでは決してまかなえない量であることが分かっています。

つまり東北、北海道、そして樺太やシベリアなども含めた、黄金のネットワークもあったのではないかと指摘されています。

しかし、もうひとつの解釈として「金色の鷲」とは、素直に見れば「金色の鳥」や「金鵄」を思い起こさせます。

つまり・・・金色の鷲とは、「金鵄」のことであり、「神」であり、もっと言えば「イエス・キリスト」ではないかと・・・!!

となると、「金色の鷲を追って」とあるのは、神武天皇が金鵄に導かれたように、金鵄=イエス・キリストに導かれて、クルムセ国、つまりシベリアあたりになるのか、いずれにしても大陸に渡った・・・ということかもしれません。

また金鵄とは八咫烏でもあるので、秘密組織八咫烏が義経をかくまいながら、預言の成就のために、大陸へと導いていった・・・となるのかもしれません。

義経は果して何を想い大陸へと渡っていったのか・・・
自分の運命や役割をどのように受け止めていたのか・・・

今となっては神のみぞ知る、ですが興味は尽きません。

「昔、ホウガン様は金色の鷲を追って、クルムセ国に渡った」

義経という人物。

衣川の戦いにおいて簡単に死ぬような存在ではないと思いますし、一筋縄ではいかない器の大きさをもっていたように思います。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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