長寿村の長寿の秘訣「火麻」と「君の名は。」妄想談義・特別編「アイヌの悲恋伝説」

長寿村の長寿の秘訣「火麻」と「君の名は。」妄想談義・特別編「アイヌの悲恋伝説」

いつもありがとうございます。
日野です。

まずは、お詫びなのですが、スイートヤスゴンボディソープこと、運命を変えるボディソープが欠品となってしまいました。

新型コロナウイルスの影響もあり、アメリカユタ州のミネラルの入荷が大幅に遅れています。

国内に入荷して製造して出来上がるのが8月~9月くらいになるそうです。

欠品する可能性があると、以前のメルマガでもお伝えしましたが、やはり欠品してしまいました。

大変申し訳ございません。

また入荷日程の目処がつきましたら、ご予約で入荷の少し前から受け付けたいと思います。

メルマガでアナウンスいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

長寿村の長寿の秘訣「火麻」

少し前にヘンププロテインについて触れました。

山田豊文先生の「アスリート飯」という本を以前ご紹介しました。

その中で、タンパク質についても述べられていますが、アスリートだけではなく女性やシニア世代にも、プロテイン製品が人気だといいます。

しかし、プロテイン製品の主原料は、牛乳や大豆で、それらが、精製、加工され、なおかつ純度が高い外来たんぱく質が一気に入ってくるために、不自然なことであるといいます。

またプロテイン製品の多くは「スクラロース」「アセスルファムK」などの、人工甘味料が多用されている問題も指摘されています。

プロテイン製品をとれば、筋肉が増強するのではなく、トレーニングがやはり大切で、同時に植物性主体の食事から、たんぱく質を摂取することのほうが大切であるといいます。

そういった意味で「麻の実」は、植物性たんぱく源が豊富であり細胞にも優しいといいます。

少し引用してみます。

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(麻の実は)海外で人気のスーパーフードとして、近年では日本でもブームになっていますが、もともと麻の実は日本の伝統食品であり、昔は日常的に食べられていました。

全国津々浦々、麻の実を使った郷土料理があるのが何よりの証拠です。

麻の実にはアスリートにおなじみのBCAA(分岐鎖アミノ酸)が豊富です。

筋細胞を構成するタンパク質にはBCAAの割合が多く、筋肉をつくる材料として特に重要であるほか、筋肉内で予備的なエネルギー源となったり、タンパク質の合成を促進したり、分解を抑制したり、筋肉痛や運同時の疲労を軽減したりするなど、BCAAには実に幅広い効果が期待できます。

しかも、麻の実にはBCAAの働きに不可欠な、ミネラルやビタミンも豊富となれば、利用しない手はありません。
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このように総合的に見ても、実にバランスがとれたスーパーフードなのです。

そして、この麻の実は長寿食でもあったのです。

麻の実のことを「火麻(ひま)」と言い常食されています。

中国の長寿村で有名な巴馬は山田豊文先生も訪れて、報告を以前セミナーでもされていましたが、下記のサイトに巴馬の長寿の秘訣が記されていましたので、こちらも引用してみます。

長寿には環境や生活、運動習慣も大切であることがわかります。

https://www.club-willbe.jp/column/bama/index.html
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残間
それでは、巴馬の長寿の秘訣について伺いたいのですが、具体的にどういった要因が挙げられますか。

小黒
色々言われていますが、一つは温暖な自然環境です。
巴馬は、熱帯・亜熱帯で、冬が暖かくて夏が涼しい。
マイナスイオンが高く、空気も綺麗なので、非常に過ごしやすい気候です。

二つ目に、生活環境です。
巴馬の人々は自給自足の生活で、日の出と共に起き、暗くなったら寝るという規則正しい生活を送っています。

三つ目に、家庭環境の良さです。
巴馬では、三世代、四世代の家族が一つ屋根の下で暮らし、互いの絆を大切にする文化があります。

村全体が老人、子供を大切にし、いざという時は老人の知恵を頼りにし、意見を求めます。

残間
お年寄りのポジションがしっかりと確立されているんですね。

小黒
四つ目に食生活です。巴馬の人達は、平均の半分ほどのカロリーしか摂取しません。

残間
自然の力、食の力など、様々な要因が巴馬の長寿の源となっているんですね。
食の中でも、特に「火麻(ひま)」という、長寿食材が注目されているそうですが、「火麻」とはどういうものなんですか。

小黒
火麻とは麻の実のことで、中国では古くから不老長寿の秘薬とされてきました。
今や中国でも、火麻を食べるのは巴馬地域だけ。
巴馬の人達は、火麻を絞った麻の実のオイルをおかゆなどにかけて毎朝食べています。

福岡
火麻の栄養価はとても高く、ポリフェノールの一種で抗酸化物質である、不老長寿成分「カンナビシンA」が大量に含まれているそうです。
これは老化の原因となる活性酸素の除去能をもつもの。

巴馬の長寿者は、1日平均40~50グラム(大さじ4~5杯)の火麻を食べるそうで、この食材が、健康で長生きを支える大きな要素だと思います。

ちなみに私も、麻の実を絞った油が大好きなんです。
麻の油はリラックス効果もあって、香ばしい麻の油をおかゆにかけて食べると、とても懐かしい気持ちになって落ち着くんですよ。
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山田豊文先生は麻の実(火麻)の御粥を、毎朝、巴馬の人達は食べているといっていました。

麻の実油はオメガ3とオメガ6のバランスが良く、こちらもオススメですが、麻の実の粉末も、非常に栄養バランスが良く、グルテンフリーとしても注目され、主食にもなりうる栄養価の高さです。

個人的に玄米パウダーとヘンププロテインが、最高の組み合わせだと感じていて、毎朝、これをベースに、豆乳でつくったケフィアヨーグルトに、甘酒も少し混ぜたりしていただいています。

他にもいろいろ混ぜていますが・・・(‘◇’)ゞ

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「君の名は。」妄想談義・特別編「アイヌの悲恋伝説」

ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。

前回は、義経北行伝説ルートについてみてみました。 

少なくとも、義経は蝦夷までのルートを辿ることができ、現在の札幌市あたりまでの伝承が残っているようです。

蝦夷での伝承は東北に比べればあまり残っていないようですが、それでも、アイヌの神、オキクルミと義経が同一視されるくらいですので、一時的にアイヌの人たちに溶け込んでいた可能性があります。

そこでは、あくまで伝承なので史実かどうかはわかりませんが・・・、義経とアイヌの娘の悲恋物語が伝えられています。

https://japanmystery.com/hokkaido/kamuiiwa.html
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蝦夷に渡った義経主従は、平取(びらとり。現在の沙流郡平取町)のアイヌの長の許に身を寄せた。

その長の娘であるチャレンカは義経と恋に落ち、将来を誓い合うのであった。

しかし義経は蝦夷に留まる意思はなく、遙か彼方の中国大陸を目指して新たな旅に出ようとしていた。

そこで義経はチャレンカに黙って平取を去り、海伝いに積丹半島へと移動したのである。

チャレンカは義経がいないことに気付くと、その後を追って積丹半島へ向かった。

そしてようやく神威岬にまでたどり着いたが、義経一行は既にそこから船に乗って、中国大陸へと旅立ってしまっていたのである。

それを聞いたチャレンカは泣き崩れると、もはや平取に戻ることもなく、そのまま神威岬の突端から身を投げた。

すると、その遺体は石と化したのである。
それが神威岩が出来た由来であるとされている。

チャレンカの義経に対する愛情は、激しい嫉妬の執念となって人々に危害を加えた。

この岬を女性を乗せた船が通りかかると、海が荒れて船そのものを転覆させるという伝説が広まった。

そのために、この岬一帯は女人禁制の地とされるようになった

(中略)
また同様に和人を乗せた船もこの近くを通ると転覆すると言われていた。

いずれもチャレンカが死の間際に叫んだ、呪いの言葉によるものとされている。
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この説を日本で言い始めたのはシーボルトであった

そして、この義経伝説によれば、ここから、さらに大陸にわたってジンギスカンになった・・・という、トンデモ説へと繋がるのですが、この説を日本で言い始めたのは、外国人のシーボルトであったと言われています。

彼は綿密な比較考証から、義経とジンギスカンは同一人物であるという結論を導き出します。

1823年に来日したオランダ商館医員のドイツ人医学者シーボルトは、本格的な日本研究の著『日本』の中で、下のように記しているといいます。

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「義経の蝦夷への脱出、さらに引き続いて対岸のアジア大陸への脱出の年は、蒙古人の歴史では蒙古遊牧民族の、帝国創建という重要な時期にあたっている。『東蒙古史』には豪族の息子、鉄木真が28歳の年ケルレン川の草原において、アルラト氏によって可汗として承認された。…その後間もなくチンギス・ハーンは、はじめオノン川のほとりに立てられた九つの房飾りのついた白旗を掲げた。…そしてベーデ族四十万の支配者となった。」
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簡単に言えば、もし、源義経がジンギスカンであれば、両者が別々の場所に同時期に現れていたら、この説は成り立たないのです。

しかし、不思議なことに・・・両者の生誕時期もほぼ同じ時期とされ、また、ジンギスカンの前半生は伝説に彩られ、義経が死んだとされる1189年より後の1990年代に、ジンギスカンは突如として歴史の表舞台に現れてくるのです。

明智光秀の死後、しばらくしてから突如として天海が現れるのと似ています。

ウィキペディアにはこうあります。
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シーボルトは、さまざまな伝承、説話、先駆者達の研究を綿密に検討した結果、義経が蝦夷へ行き大陸へ渡った説を支持した。

まず彼は二人に関する年代的な一致点に注目し、義経が死んだとされるのは1189年であり、その後蝦夷から大陸へいけば、1190年代にモンゴルに到着したことになる。

一方、ジンギスカンは生年月日が不詳であり、前半生の資料が少なく、1190年代に突如としてモンゴル中央平原に出現した可能性があるとした。

またジンギスカンが登場したときの九つの房をつけた白い軍旗や、モンゴルや中国になかった長弓を、ジンギスカンが得意として使い、これは義経がモンゴルに持ち込んだと考えた。
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「九つの房」とあることから、「九」は義経と関わりの深い数字です。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ「九郎判官(くろうほうがん)」と言われた源義経。

「九つの房」とは意味深いです。

また、白い軍旗は、源氏の旗色。

もちろん偶然かもしれませんが、興味深い一致です。

次回も義経とジンギスカンの一致について簡潔にみていきたいと思います。

日野

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