日月神示の「預言」にある恐ろしい近未来と「太陽」の出現を示唆するコロナ
いつもありがとうございます。
日野です。
いつものように毎月のダイレクトメールが追いつめられているので(汗)、簡潔にいきたいと思います。
お客様からメッセージをいただきました。
ご紹介します。
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おはようございます
いつもメルマガを拝見しております、色々とご縁をいただき、感想を書こうと思いながらもう、4月も半ばになってしまいました。
本当に報告したい事が沢山で、まず、3月でしたでしょうか、飼い猫とお風呂に入っていた所、様子がおかしくなりはじめ、目もうつろになり、倒れてしまい、これはもう逝ってしまうかもしれないな
と思いましたが、diodiaカード を2枚持っていたので、体にあてまして、必死に呼びかけました、必死にと言っても、何故か冷静さもありましたが。
なんと、猫の魂が帰ってきたのです。
このようなミラクルをもう何度体験したでしょうか。笑
これを書いている今も、二人でコウケントーという機械にあたっています。
ムーエイジレス枕で睡眠は深くなり、タマネギ粉でますます、体調は良くなり、前回SF的なことも起こっていると書きましたが、ハイヤーセルフ、ロウアーセルフとの統合を果たし、神様に入って頂ける体、心、魂にどんどん近づいています。
コロナウィルスも3月上旬に私に入って来ましたが、今は共存しています。
私の想念が乱れれば、また顔を出すでしょう。
本当に沢山の良いもの達に恵まれて幸せです。
いつもありがとうございます
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ありがとうございます。
猫ちゃんが蘇生したということで本当に良かったです。
DiODiAカードのミラクルを何度も体験されてきているということで、素直に信じて実践されていることが、良い結果になっているのだと思います。
また、その後のやりとりで以下のようなメッセージもいただきました。
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そうそう、最近123のナンバーを良く見るなぁと思って、本屋に入りましたら、日月神示の本がどかんと目に入りまして、一気に読みました、日野さんのメルマガでも何度か見ていましたが、なるほど、凄い本でした、若い頃から知っていたらなと思いました
コロナウィルスは人間にとっては驚異かも知れないですが、地球がどんどん綺麗になっています。
正しい、食事、睡眠、運動をしていれば、人事を尽くして天命を待つですかね。
(中略)
こんな時代ですが、家で楽しく過ごしましょう、いつも日野さんのメルマガを応援しております。
では失礼致します。
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ありがとうございます。
日月神示にもご縁があったということで、ひふみしんじ、ひつくしんじとも言われますが、123からひふみ、日月神示へのシンクロニシティも興味深いものがあります。
僕自身も、この「日月神示」とは20代の時にあったのですが、この日月神示との出逢いがなければ、食への関心も湧かなかったでしょうし、今このような仕事をしていることは、なかったのではないか・・・というほど、自分にとっては大きな影響を受けました。
前にも書きましたが、ちょうどその出逢いの前後で、今の妻と出会って(って、今の妻しかいませんが(-_-;))その妻の名前に「日」「月」が含まれていたので、「日月神示」とのシンクロニシティを感じて、妻との出会いも偶然ではないのだということを、感じたのを今も覚えています。
あ、それだけが妻と結婚した理由ではもちろんないですよ。はい。(‘◇’)ゞ
それはともかく・・・
この日月神示は、聖書との関連性もあり見ていくほどに、非常に興味深いものがあります。
日月神示はある意味日本に降ろされた「預言書」だ、ということができると思います。
地球の浄化作用が起こっている
コロナウイルスがあることで、地球がどんどんきれいになっています、とおっしゃっていただきましたが、まさに大気汚染に覆われていたイタリアや中国の大気が、車での移動や工場の稼働などが止まることで、どんどんきれいな空気になっているのも事実。
地球の浄化作用が起こっていると見ることもできます。
今後、世界はある勢力のある意図をもって、ある一定方向へと動かされていくと思いますし、その中で、経済的恐慌や食糧の危機、そこから引き起こされる戦争(第三次世界大戦)、さまざまな自然災害など、非常に厳しい状況になっていくことも覚悟していく必要があります。
もちろんそうならないように行動し、祈っていくことも非常に重要だと思います。
また、コロナウイルスだけではなく、もっと別の驚異的なウイルスも出現する可能性もあります。
ウイルスとワクチンはセットですから、今後ワクチンの強制接種的なことも、行われていく可能性があります。
ワクチンは、本当に安全なものなのかということもありますが、その中に「あるもの」を含ませていくという話もありますし、僕たちはそういったことを、メディアの報道に惑わされずに、注視していく必要があると思います。
すみません、これは恐がらせようというつもりはなくて、預言書などを見ていくとある程度の流れが分かるのです。
これは非常に有り難いことで、流れをある程度把握していくことで心の準備もできますし、現実を受け止めていくことも、乗り切っていく方法も、実は示してくれているのです。
人事を尽くして天命を待つ
日本でも徐々に人々の自由が奪われていっているのを感じます。
歴史は繰り返すといいますが、戦前と似たような状況に少しずつなっていっているのを、感じている人もいると思います。
この5月6日で緊急事態宣言はすんなりと解除されるでしょうか・・・。
簡単には終わらないように思います。
そういったことを見ていくと暗澹たる気持ちになるかもしれません。
しかし、そういった負の側面さえも、神の視点、神のレベルからみれば想定の範囲内なのです。
聖書などの預言書にある程度の流れは記されています。
そしてそういった厳しい時代をへて光の世界、ミロクの世がやってくると、聖書や日月神示でも書かれています。
ということは・・・
最終的な結果はもうはっきりと分かっているのですから、その過程に振り回される必要はないということになります。
以前にも言いましたが、預言というのは恐がらせるものではなくむしろ「希望」なのです。
ですから、むしろ先ほどのメッセージをいただいたように、「正しい、食事、睡眠、運動をしていれば、人事を尽くして天命を待つ」という心境でいることが大切ですし、あとは、日々楽しく、一生懸命に目の前の人、身近な人を喜ばせることを、意識して実践していけばいいのではないかと思います。
というか、それしか僕たちにはできないのです。
日月神示の「預言」にある恐ろしい近未来
コロナは、「567」で「みろく」だと言いましたが、コロナウイルスは、元々太陽のコロナの形状に似ていることから、付けられた名前でもあります。
ウィキペディアにはこうあります。
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ウイルス粒子表面のエンベロープ(膜構造)に、花弁状の長いスパイク蛋白の突起(S蛋白、約 20 nm)を持ち、外観がコロナ(太陽の光冠)に似ていることからその名が付けられた
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つまりは、いろいろなところで指摘されているように
今回の新型コロナウイルスの出現は「太陽」の出現をも示唆していることになります。
「太陽」とは、光であり、日本では天照大神であり聖書からみれば、イエス・キリストです。
「平成」の「平」が「一八十」と漢字分解できるということを、以前何度か触れましたが、「一八十」は「いわと」と読め、これは「一八十」=「いわと」=「岩戸」です。
ここから「平成」とは、「一八十(岩戸)」「成る」と読み解けますから、天照大神の「天岩戸開き神話」を彷彿とさせます。
つまり「平成」(=岩戸成る)の時代で、岩戸開きの完成が示唆されていたのです。
そして昨年から「平成」から「令和」の時代となりましたが、その令和の開始の年、昨年後半から、この新型コロナウイルスが出現しているのは、偶然ではないと思えてきます。
たとえ人為的なものであったとしても、それもまた「神意」に含まれている流れと見ることができます。
この「令和」とは、「令」=「零(ゼロ)」にもなり、一度、すべてを「零(ゼロ)」にしてから「調和」させる意味があり、これは、「破壊(令=零)」と「創造(和)」でもあり、日月神示でいう「建て替え立て直し」を、示唆した時代に突入したことを意味します。
まさに今、新型コロナウイルスによって、人々の生活や経済的な現実的側面の「破壊」がなされ、同時に今までの価値観の破壊が、起こっている状況とも言えます。
日月神示の建て替え立て直しについては、数多く述べられていますが、一部を記していますと・・・
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もっとも苦しいのは一年と半年、半年と一年(=計三年)であるぞ。
死んでから又蘇られるように死んでくだされよ。
マコトを心に刻みつけておりてくだされよ。
至恩の巻 第12
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残る者の身も一度は死ぬことあるぞ。
死んでからまた生き返るぞ。
三分の一の臣民になるぞ。
これからがいよいよの時ざぞ。
日本の臣民同士が食い合いするぞ。
かなわんと云うて外国へ逃げてゆく者出て来るぞ。
神にしっかりすがっておらんと何も分からん事になるから、早く神にすがりておれよ。
神ほど結構なものないぞ。
上つ巻,第38帖
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悪は霊力が効かんようになったから最後のあがきしているのざぞ。
…神界と現界のこと、この神示よく分けて読みてくだされよ。
松ー20
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神の仕組み狂いないなれど、人民に判らねば、それだけこの世の歩み遅れるのぢゃ。
この世は人民の手引かねばならんから、苦しみが長くなるから、千人万人なら一人づつ手引いてもやりやすいなれど、世界の人民、動物、虫けらまで助ける仕組みであるから、人民早う改心せねば、気の毒いよいよとなるぞ。
秋ー25
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世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、何がなんだか、我よしの人民には、いよいよ分からなくなり、あせればあせるほど深みに落ち込むぞ。心の窓大きく開いて、我の欲を捨てると遠くが見えてくるのざ。
月光ー40
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三年と半年、半年と三年ぢゃ(=計7年)、この間は暗闇時代、火を灯しても暗いのであるぞ。
…日は三日と半日、半日と三日、次に五年と五年、五日と五日ぢゃ。
扶桑ー6
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このように日月神示には、非常に厳しいと思える預言もいくつもあるのですが・・・
これは「預言」となりますので、警告でもあり、示されることで、そういったことも想定して、心の準備をしていくことが重要だとなります。
そういったことを想定していないと、そういったことがやってきてから、心乱され、こんなはずではなかったと巻き込まれていくことになります。
「太陽」の出現を示唆するコロナ
「死んでから又蘇られるように死んでくだされよ。」
「死んでからまた生き返るぞ。」
というのは、死んで蘇ったイエス・キリスト、もしくは岩戸に隠れて(死して)岩戸から出てきた(復活・蘇り)天照大神を彷彿とさせますが、これはいずれ僕たち人間にも起こることを示唆しています。
このことも「預言」であり非常に深いことを言っています。
「神の仕組み狂いないなれど」とあるように、「預言」は、ちまたの「予言」とは全く質の違うものなので、外れることがありません。
そして、聖書には大患難時代が約7年続くとあるのですが、日月神示にも、上記で書かれているように計七年、火を灯しても暗い暗闇の時代がくることが示されています。
両者は共通する「預言」が多々あるのです。
日月神示は、読んでいて恐い・・・と初めのころは思った時期もあったのですが、しかし・・・何度も言いますが、聖書にも日月神示にも、「光の時代」が来るといい、また釈迦もそうですが「ミロクの世」が来ると言っているように、最後は光の時代がやってきます。
最後は悪に支配されてしまう世になるのではない、ということです。
これははっきりしています。
ですから、これからいったいどうなっていくのだろうと、暗澹たる気持ちになるのではなく、ハッピーエンドの映画と同じで最後はどうなるか、僕たちは、本当は知っているのです。
最後はバッド・エンドではなくハッピー・エンドなのです。
だから不安や心配に陥るのではなく、今を誠心誠意生きればいいのです。
今を楽しめばいいのです。
こういったとき「今ここ:」「二元論」は非常に役立ちます。
ただ、これを自力で乗り切ろうとか自分の力で切り開く・・・、とやっていると非常に厳しくなります。
もう自分以上のものに委ねていくしかないという時がおそらくきます。
というかもう来ていると思います。
「主」を「どこに」置くのか
ですから、少し前に言った「主」を「どこに」置くのか・・・ということが、おそらく・・・最も重要なことのひとつになってきます。
主を、自分自身に(=神として)置くのか、主を、誰か素晴らしい人に頼って、その人に置くのか、主を、神に置くのか、自分は神に繋がっている存在ですが、自分=神と自分を神と同格にすることは、堕天使ルシファーと同じことをしていることになるので注意が必要です。
誰か素晴らしい人についていくといっても、所詮は、その人も人でしかないので、100%完璧な人はいません。
また、神といっても、世界にはいろいろな神がいて、神をかたる悪魔もいますし、神と繋がっていると自称する人も、非常にたくさんいますし、偽物の神もそれこそ無数に存在します。
そのなかで、本当の神に委ねることができれば、幸いなのかもしれません。
こういった時代だからこそ、惑わす予言者、神の言葉を語ると自称する人、神と通じている、という人がたくさん出てきます。
しかし、99.9%は偽物だと思ったほうがいいかもしれません。
いろいろとごちゃごちゃと言いましたが(汗)
ひとつ心の片隅に留めて置いていただきたいのは、最後はハッピーエンドであるということです。
悪魔や悪に通じた動きをしている存在は、最後は一掃されていきます。
いずれ時が来れば地球も生まれ変わりますが・・・、その生まれ変わった地球上に、彼らは残ることはできません。
僕たちの生き様が最後判別されるということになります。
ですから日月神示が伝える
「死んでから又蘇られるように死んでくだされよ。」
という言葉が非常に重みをもつのです。
この世だけが、すべてではないのです・・・。
ということで、非常にアヤシイ話になってしまい申し訳ありません。
かなり話がそれてしまったように思いますが(汗)
「令和」とは、「ゼロ」にして「和」する時代を示唆し、まさにいったんゼロになって「和」する、つまり建て替え立て直しが行われ、調和の時代へと向かうことを示唆し、同時に、以前「令和」の読み解きで伝えたように
「令和」
=「令」+「和」(「ノ」+「木」+「口」
=「令+口」+「ノ」+「木」
=「命」+「ノ」+「木」
=「命ノ木」=「生命(いのち)の樹」・・・!!
となり、聖書で言われる、エデンの園にかつてあったという生命の樹へ、人類がいよいよ至る・・・というか、生命の樹へと「還る」時代が来たのだ・・・という、示唆にもなっています。
つまり、聖書と日本の元号も完全にリンクしており、元号は偶然の名づけではない・・・!!ということになります。
見事に人類の向かう流れとリンクした名づけがされているのです。
そういったことをみても日本という国は普通の国ではないのです。
生命の樹へ人類が到るということは、人類は「永遠の命」を得る時が近づいた、ということも示唆しています。
とんでもない時代に僕たちは生きているのかもしれませんし、むしろそのことにワクワクするような心意気で、この時代を生きていったほうが「得」なのかもしれません。
簡潔にと言いながら長くなってしまいましたが、また非常にマニアックな話で、引いてしまった方もおられると思いますが(-_-;)すみません・・・。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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