試行錯誤の末に見つけた宝「水素」とDiODiAカードが「手放せません」!

試行錯誤の末に見つけた宝「水素」とDiODiAカードが「手放せません」!

いつもありがとうございます。
日野です。

非常に追い込まれていて(笑)今日は、すみません、簡潔にいきたいと思います。(と書いていて、だらだら長くなりました。汗)

前回、水素の普及に情熱をかけてこられた、株式会社サンテ・テクニカの若山利文先生のことなど触れました。

今もこのメルマガを、前回ご紹介したハイドロブレス2で、水素ガスを吸入しながら書いているのですが、こうしてやりながらできるのは非常に良いです。

お正月前に商品は入荷していたのですが、家に置きっぱなしにしていて、箱が大きいので、何でこんなに大きなの持って帰ってくるの・・・?と妻には怒られていたのですが(汗)何でもっと早くに使わなかったのかと思います。

将来的には場を整えて、サロン的な場所にもしていきたいと思っていますが、水素吸入や、波動測定器機、またゴッドクリーナーも導入したので、そういったものを体験できる場、そして、施術もすこしずつできる場を、つくっていければと思い描いています。

ゴッドクリーナーはこんなのです。
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ゴッドクリーナー・ゴールド
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試行錯誤の末に見つけた宝「水素」

水素については、かなり前に「脳内革命」で有名な春山茂雄先生が、水素が良いというのを言われて、実際に、70代にして血管年齢が20代だというのを聞き、これは水素凄いかもしれないと感じてから注目し続けてきました。

一時期、水素は効かないと言われ、批判的なメディア報道もありましたが、それは商品に問題があっただけで、ブームになるとまがい物が出てくるのは世の常です。そこで惑わされずに本質を見ていく目が必要となります。

若山利文先生は60歳を前にして水素と出会い、依頼一途に水素で多くの人たちを救ってこられました。その若山利文先生の思いの一端をご紹介したいと思います。非常に感銘を受けました。

『健康長寿最後の決め手 水素がすごい!』のあとがきの一部を以下、引用させていただきます。

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水素事業を手がけてから今年で19年になる。

その間、多くの困難に遭遇して、自分が風車に向かって突進するドンキホーテに思えた。自分の能力を越えた敵に対して、斧を振りかざして立ち向かう、カマキリ「蟷螂の斧」の心境も味わった。

自分のやっていることに間違いはない。そう思えるようになったのはいつ頃からだったか、今となっては思い出せないが、「燕雀(えんじゃく)いづくんぞ 鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」という言葉が時として、脳裏に浮かぶようになった。

このフレーズは、医療関係事業の後、水素に出会い、それから19年間、寝食を忘れて水素事業の推進に取り組みながらも、なかなか社会的認知が得られず、苦しい会社の経営状態が続く中で、弱くなりがちな自分の心を励ます栄養剤であった。

高校二年の漢文の授業で、達磨そっくりの表情をした漢文の矢口先生から習って、唯一記憶に残っている言葉である。燕や雀のような小物には、一飛び千里を飛翔する鴻鵠(大きな鳥)の志がわかってたまるか!とつぶやいてきた。

戦後間もない昭和25年12月の暮れ、小学校5年生にして父を明らかな医療過誤によって失い、中学、高校、大学を、働きながらほとんど自分一人の力で生きてきた私は、苦しい逆境の中にあっても弱音を吐かず、高い志を失うことなく胸を張って生きてきたと思っている。

プレッシャーに負けずに、不条理な医療の世界に一撃を加えてやろう、と七十七歳になった白髪の蟷螂は今日も斧を振り続ける。

何十年もの間、医療関係事業分野で試行錯誤を続けてきた私が、ついに見つけたひとつの宝は「水素」であった。この宝は幸運なことに多くの、特に病気で苦しんでいる人達に、お裾分けすることの出来る普遍的な宝であった。

水素と出遭って、不退転の決意で始めた事業も、五年十年と続く経営不振の暗いトンネルをくぐり続けた。

時には声に出して泣きたいほど、苦しい資金不足に心が挫けそうになったこともあった。そんな時は、決して忘れることのできない、昭和26年の出来事を思うことで立ち直ることができた。

父親が亡くなってから、ちょうど1周忌に当たる12月2日、わずか39歳で6人の子供達を残されて生活に窮し、実の親、兄弟に金の無心をし続けることの辛さと、断られて万策尽き、耐えられなくなった母親が、柏崎から実家のある荒浜に向かう途中に掛かる鯖石川の安政橋を、小学六年生になった僕の手をしっかりと握り締めながら、雪の降りしきる中を何度も何度も、ためらいながら行きつ戻りつしたことを思いだす。

運よく死なないで済んだが、あの時の母親の背中が、握り締められた手の痛さが、母親の嗚咽が、六十五年経った今も脳裏に焼きついて離れない。

そして私は、不幸にして病に倒れ経済的に、追い詰められた社会的弱者の救済を支援することは、私の社会的義務であると思い続けてきた。

私にとって、「病」は父の敵である。大学を卒業してからずっと医療関係、特に海外の先端医療機器の日本への導入を通じて、病気との闘いに約四十年携わってきた。

そんな中で病気の診断技術が著しい進歩を見たのに対し、治療技術が全くといってもいいほど進歩せず、薬の開発とその過剰投与により、結果として病気を治すどころか、病人の量産という惨憺たる結果を導いてしまったことを、いやというほど見せつけられてきた。

現代医学は病原菌などによる感染症は、押さえ込むことにほぼ成功したが、ガンや膠原病などの難病はもちろん、単なる生活習慣病も満足に治すことさえできていない。

なぜだ?という疑問が頭から離れることがなかった。そんな時、出会ったのが水素であった。

ほとんどの病気は水素を活用することで克服できることを実証するのに、十九年もかかってしまったが、イバラの道は苦しいながらも楽しい「宝探し」の旅路でもあった。
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長くなってしまいましたが、この若山利文先生の思いの原点が垣間見えるエピソードです。

そして水素に関しては、水素と酸素のバランスが絶妙な、ハイドロブレス2という水素ガス吸入機に結実し、さらに、水素のカプセルや水素リッチ電子リッチな、ミネラルイオン電子水も開発され、化粧品にも水素を応用されています。

また少しずつご紹介していきますが、水素を利用して病気のない世界を、真剣に若山先生は目指しておられます。

その理念に共鳴するものがありますし、アイテム自体も高品質のものなので、自信をもっておすすめすることができます。

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トリプルエイチ ミネラルイオン電子水 1000ml
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水素ガス吸入機ハイドロ・ブレス2(ハイドロブレス2)
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株式会社サンテ・テクニカ・水素シリーズ
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良い結果を生み出した理由

DiODiA体験談をご紹介いたします。

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●●です。diodiaカードが手放せません!

64歳、今年3月に65歳になるのですが奇跡が起きています。なんと、あまり勉強もしていないのに、技術士の第一試験に合格したのです!奇跡としか表現の仕方がありません!凄いです!
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おめでとうございます!素晴らしいです。

DiODiAのお蔭というよりも、実力の可能性もあると思いますが(笑)、そのように素直に信頼して委ねていただいているのが、良い結果を生み出したのだと思います。

近況、水素やオルゴナイトについて

最後に・・・
ダイレクトメールで追い詰められているはずが、なぜか、先ほど、ひとりYouTubeライブをしてスマホ棒で撮影したので、ブレブレであまり内容のない動画をアップロードしました。(;´・ω・)
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近況、水素やオルゴナイトについて(5分32秒)
https://www.youtube.com/watch?v=_WtPzPd8VTY&feature=youtu.be
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僕の場合、なぜ今それをするか・・・ということがよくあり、妻にも、今それをする必要があるの?とたまに・・・いや時々言われます。(-_-;)やらなければならないことからの、無意識の現実逃避なのだろう・・・と感じています。汗

うーん・・・。

この前も、テイコク製薬の唄野さんが、昼食を妻と3人で食べているときに、受験勉強で勉強しなければいけない時に、なぜかいつも部屋の片づけをし始めてました・・・ということをおっしゃってて、その気持ちわかります・・・と頷けるものがあったのですが、まさに今もそんな感じです。

調子に乗って、もう一本、ムーエイジレス枕も実際に見てもらおうと、ライブ動画を撮影したので、その映像は、明日の6時半にアップロードいたしますので、暇があれば、ご覧ください。

冒頭あげた水素の若山利文先生、水素に一途に情熱をかけてきたそのお姿を見ると、暗闇の時も、志はぶれずに、その暗闇の先にあるまだ現実には見えない「光」を、すでに若山先生の脳裏には、はっきりと見えた状態で、走り続けてこられたのだということを思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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