移動してきた湖「琵琶湖」
いつもありがとうございます!日野です。
今回はすみません、ややマニアックなある意味トンデモ話になってしまいました(-_-;)
興味があればご覧ください。
琵琶湖については前回も触れたように、移動する湖とも言われており、ずっと今の場所にあったわけではありません。
アカデミズムで言われている琵琶湖の移動に関しては、以下のような変遷をたどったとされています。
ウイキペディアからみてみます。
琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。
湖は次第に北へ移動し、現在から約100 – 40万年前、比良山系によって、止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。
大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。
この琵琶湖の移動の推移に関しては、おそらく地質学的にみてもこのとおりなのでしょうが、一点、決定的に間違えているであろう点があります。
それが、年代です。
創成期の大山田湖ができたのが、約400万年~600万年前であるといいますから、恐ろしいほど長い年月をかけて琵琶湖は移動してきたことになります。
しかし、これは年代測定が正しい場合は・・・という条件がつきます。
そして結論から言えば、この年代測定法が間違っている可能性があり、そうなった場合はすべての土台が崩れてしまうのです。
ですから、そういう視点からみれば、今までの地質学的な歴史、もっといえば、地球の歴史年表を見直す必要がでてきてしまいます。
現代のアカデミズムでは炭素14法やカリウムアルゴン法などの放射線測定で年代調査を行っていますが、その測定自体、完璧なものではありません。
現代の牡蠣を測定したら約2600年前のものと測定された、ということもあるくらい信憑性が疑われるものでもあるのです。
ですから、その測定法で導き出した琵琶湖の年代も、鵜呑みにしないほうがいいということです。
斉一論の崩壊と、日本列島大激変の謎
この従来の年代測定法は、斉一論をもとに導き出されています。
斉一論とは、この地球が何事も大きな変化がなく、平穏無事に推移していった場合を想定しているのです。
もし・・・かつて地球規模の大激変があったりしたら、これらの斉一論を基準に導き出された年代は全く当てにならないということになります。
そして実際にかつての地球は大きな激変がありました。
その最たるものが、地球の陸地がすべて水没するほどの大激変・・・そう・・・ノアの大洪水です・・・!!
そんなのは聖書の物語であり、実話ではないと思うかもしれませんが、不思議なことに世界中に洪水神話はみられるのです。
いずれにしても、年代測定法を絶対視してしまうと、本質が見えなくなる可能性があります。
日本史上最初の大戦争「倭国の大乱」と女王卑弥呼
話がそれましたが、琵琶湖は、かつて現在の位置よりも、かなり南であったということになります。
そもそもどうして琵琶湖は移動したのかということなのですが、これは日本という地殻が動いたからに他なりません。
琵琶湖だけが移動するということはないのです。そこには、おそらく日本列島大激変とも連動してくるはずです。
地殻の変動があったからこそ水が移動したということになるのです。
そして結論から先に言えば、琵琶湖が大きく動いたのは、2世紀後半の可能性があります。
その時代、倭国大乱という日本の動乱の時代があったのですが、倭国大乱とは日本史上初の大規模な戦争であったとされていますが、その時に、大きな地殻変動があったことも指摘されています。
大きな地殻変動があったからこそ、争いが起こった・・・ともいえるのかもしれません。
この日本が大きく動いた動乱で、日本の大きな地殻変動とともに、琵琶湖もまた動いた可能性があります。
その後、動乱を制したのは、邪馬台国の女王となった卑弥呼でした。
彼女の登場によって倭国が安定したとされています。
逆転日本列島によって邪馬台国の位置は特定されている!
邪馬台国は九州説の方には本当に申し訳ないのですが、
結論を言えば、邪馬台国の中心地は、奈良の纏向遺跡であったと思われます。
なぜいまだに邪馬台国の位置が特定できないのか・・・。
それは飛鳥昭雄さんなどが指摘されていますが、
今の日本列島、今の世界地図で当時の魏志倭人伝で記されている行程を辿ろうとしているところに最大の過ちがあったのです。
邪馬台国当時の日本の地形や方向は、今と全く同じであったのか・・・。
実は違っていたのです。
その傍証となる地図が残されています。
混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)
という地図になります。
下記がその図です。
よく見れば、日本がなんと九州を北にして描かれています。
この地図には不思議な点が数多く存在する。
まずは、日本列島。九州を北にして90度傾いた南北に長い国として描かれている。魏志倭人伝では、邪馬台国が北九州沿岸の国から、南の方向にあると記述されているが、この地図で南に進むと畿内方面に至ることから、「邪馬台国畿内説」の論拠の一つとなっている。
実際に、そのことを裏付けるような地域があります。
北九州には、東松浦半島と北松浦半島がありますが、この位置関係が良く見るとおかしいのです。
本来、方向からいえば、北松浦半島があるべきところに「東松浦半島」があり、西松浦半島というべきところに「北松浦半島」があるのです。
つまり見事に90度左に倒れたような形になるのです。
ですから、これを素直に、北松浦半島を「北」に持ってこようとすれば、
九州の西にある北松浦半島を、北に90度傾けて本来の北に戻してやれば、かつての「北松浦半島」「東松浦半島」本来の方角通りの地形に戻るのです。
そのように松浦半島を本来の方角にしてやれば、九州を北にして本州が下に繋がる逆転日本列島となり、これがまさに混一疆理歴代国都之図で描かれた日本の地形と同じになるのです。
もし仮に・・・
この位置関係が当時の日本と世界の状況であったとすれば・・・
魏志倭人伝に記されている行程を素直にたどっていくと見事に畿内の纏向遺跡あたりにたどり着くのです・・・!!
つまり、女王卑弥呼のいた邪馬台国の中心地は纏向遺跡にあった!という結論になります。
西日本、九州邪馬台国連合
もちろん九州も無関係ではなく、当時、邪馬台国連合というべき状況で、邪馬台国の支配域はおそらく関西から九州にかけて広がっていたのだと思われますが、卑弥呼のいた中心はやなり纏向遺跡であろうと思われます。
もちろんこれが絶対ではありませんし、間違っているかもしれません。
原点に戻れば、魏志倭人伝は記述の間違いや方向の間違いなどなく、
極めて位置を正確に記していたのです。
当時の中国の測量技術などは非常に正確であったとされ、その記述が正しいという点から見ていかなくてはいけなかったのです。
日本の地形が現代とは違っているという土台から間違っていたのです。これでは答えにたどり着くはずがありません。
果ては邪馬台国は、沖縄にあった、いや日本にはなく、朝鮮半島にあった・・・などという珍説もでてきてしまったのです。
卑弥呼の都は美しいウォーターフロントであった!
話が大幅にそれまくっていますが・・・
琵琶湖はこの邪馬台国の時代、地殻変動の影響で、今の位置よりは南にあったと思われます。
そして卑弥呼の都があった(?)纏向遺跡付近は、琵琶湖などの影響で湿地帯であった可能性が指摘されています。
『日ユ同祖論対談 飛鳥昭雄×久保有政』にはこうあります。
久保 日本の奈良も、古くは「ヤマト」と呼ばれていたわけですね。興味深いことに奈良というのは、ヘブライ語では「川」という意味になるんですよ。
飛鳥 奈良は、昔は沼、湿地帯、川だらけだったんです。琵琶湖がかつて、移動する湖だったことは科学的にもはっきりわかっています。
で、ここからは飛鳥説なのですが、どうもその琵琶湖の水脈の延長が、奈良盆地まで流れこんでると思われるフシがある。
ですから卑弥呼の都、邪馬台国はーーもちろん奈良盆地にあったと仮定しての話ですがーー
見事なほど美しいウォーターフロント地帯で、周囲はほとんど湖だったのではないでしょうか。
実際、そのころの残存物・・・というと語弊があるかもしれないけれど、奈良の北にある京都盆地の下は、巨大な貯水池になっていて、その水量は琵琶湖に匹敵するほどなんです。
あのあたりはほとんど水、水、水なんです。
邪馬台国近畿説の有力な候補地である巻向(纏向)の周辺からは、運河跡もたくさん見つかっています。運河なんて、大きな水たまりがなければできませんからね。
われわれがいま知ってる奈良は乾いた土地ばかりですが、そういうことがあるので、奈良が川の町だったというのはものすごくよくわかります。
このように、奈良盆地には、かつて「古奈良湖」があり、湿地帯であった・・・というのは歴史的にも言われています。
ですから、古代奈良はまさしく湿地帯であったことと思いますし、それがいつの頃からか干上がって、現代のように乾いた大地になったとありますが、
これは水が干上がったというよりは、水の移動があったからこそであり、琵琶湖の北への移動と連動していると思われます。
ですから水の移動とともに、同時に地殻変動もあったということになります。
2世紀後半から3世紀にかけては、日本の地殻変動はかなり激しく、激動の日本列島であったと思われます。
その混乱期の果てに、朝鮮半島に待機していた古代ヘブライの民が集団で移動してきて、空白の4世紀を経て、大和朝廷成立へと繋がっていったと思われます。
万葉集には「水」と関わるような歌が読まれています。
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみ かっても知らぬ恋もするかも
「海原」や「佐紀沢」などかつて奈良が、湿地帯であったことを思わせる情景が歌われています。
京都の地下にも膨大な水が抱え込まれた巨大な貯水池のようになっているといいます。
ですからウォーターベッドのように、京都は地震の被害も最小限に抑えられるような地形になっているようです。
元号がまもなく変わる今、次の元号に変わったどこかで、新しい天皇陛下は、いずれ京都御所に住まいを戻す可能性も大きいのではないかと思われます。
実際に水面下ではその方向ですすめられていると言われています。
琵琶湖の水も重要度を増していくように思いますし、この地に住まわせていただいている以上、 水の浄化をしていくことや水の浄化を成すものを伝えいていくことは、大切なことだと思います。
DiODiAですが、第3弾の入荷分も今日完売してしまいましたので、次回、来週に入荷次第順次発送させていただきます。今しばらくお待ちくださいませ。
長くかつマニアックな話題となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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1972年8月6日生まれ、兵庫県西宮市出身。10代前半の頃から不思議な事や、目に見えない事に興味をもち、この世の謎や宇宙の謎を解明したく、精神世界に関する本などを読み漁る。愛知県立大学国文学科卒業後、三重県のスーパーに就職するも、1冊の本がきっかけで食の大切さに目覚め、仕事に矛盾を感じて退職する。食や農業に関わることがしたいと、自然食レストラン、農業、パン作りを体験した後、実家の滋賀県に戻り、オーガニックショップのフランチャイズの店長になる。現在は独立してオーガニックショップを経営して、食や健康に関しての啓蒙活動をして、体を元気にする食材や商品などを提供する。健康のことにとどまらず、精神世界や自己啓発のこと、人生をより良く発展繁栄させていく生き方を探求し、その学びをメルマガやyoutubeで精力的に発信し続けている。量子力学的な見地と人体の叡智を健康をミックスした独自の境地を築き、人体と空間と地球と宇宙が調和した生き方を提案している。メルマガは約4000人に配信、you tubeでは累計再生回数約800万回、チャンネル登録者数2万人を超える。
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