クスリエ絵プレミアムセミナーに参加した話
いつもありがとうございます!
日野です。
先日の日曜日は、東京で丸山修寛先生のクスリエ絵プレミアムセミナーに参加してきました。
東京に行くのは久しぶりであったのですが、今回はJR両国駅から近くの会場ということで初めて両国駅に降り立ちました。
妻に両国駅の会場と言ったら両国国技館だね・・・と言ってましたが、その言葉通り、駅改札付近には力士の手形があったり、駅近くでは実際に力士の方がいて人が集まっていたりして、さすが、相撲の本場である・・・ということを思いながら会場に向かいました。
こんなことを言うと批判もあるかもしれませんが・・・、結論から言えば、相撲は、古代ヘブライをルーツとします。
昨年の11月27日に放映された日本テレビの情報番組「スッキリ」に元貴乃花親方である花田光司氏が出演した際に、唐突にこう語り世間を驚かせます。
「相撲って日本語じゃない。ヘブライ語なんですね」
「相撲は当て字で、日本語じゃないんですね。もともとシュモーというヘブライ語なんですね」
この発言が物議をかもして異様な発言だ、オカルトであるといったことも言われているようです。
しかし・・・これも結論から言えば、これらの発言は本当のことであり、元貴乃花親方の言葉は真理をついています。
そういう意味では勇気ある発言だと思います。
真理とは、一見、世間の常識とは真逆のことの場合もあり、誰もが信じている常識の方が間違っていることは本当に多いです。
この相撲の起源は、旧約聖書にあるヤコブの神の使いとの格闘にあると言われています。
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「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。
ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿(もも)の関節を打ったので、格闘しているうちに腿の関節がはずれた。
『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。
『いいえ、祝福してくださるまでは離しません。』
『お前の名は何と言うのか』とその人が尋ね、『ヤコブです』と答えると、その人は言った。
『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。』」
(創世記32章第23~29節)
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このように、ヤコブが神の使いと闘うことが相撲の本当の起源であるとされていますし、そういう意味では日本の国技、相撲はスポーツというよりは本来は神聖な神事なのです。
そしてエピソードにもあるように、ヤコブはイスラエルという名を神の使いから与えられるのですが、そのことは、イスラエル国家の始まりをも意味したのです。
これが、ヤコブがイスラエルの祖と言われる由縁です。
相撲について①
元貴乃花親方の発言にある「相撲」にあった「相撲」=「スモウ」は、普通に考えたら当て字っぽいですし、では、シュモーというヘブライ語の意味はと見れば、これは、「彼の名は」という意味になるそうです。
「きみの名は・・・」ではなく「彼の名は」です。笑
この「彼の名は」とは、上記のヤコブのエピソードにもあるように、ヤコブが神の使いと格闘したときに、お互いに名前を聞き合います。
神の使いはヤコブに「イスラエル」という新しい名前を与えますが、逆にヤコブが神の使いに名を問うたときに「なぜ私の名前を聞くのですか?」と言われただけで、彼の名を知ることはできませんでした。
これは神の名はみだりにとなえてはいけないということでもあり、だからこそ言わなかったのです。
ですから、そのエピソードからも相撲は、シュモーであり「彼の名は」という意味なのです。
そのヤコブのエピソードに相撲という名の語源をみれば、古代イスラエルと日本の相撲は見事に繋がってくるのです。
相撲について②
さらに相撲の舞台も古代イスラエルのカバラ密教が駆使されているといってもよくて、前回観たように、相撲の土俵は「□」の中に「〇」がありますが、これは「蛇の目」でもあり日の丸を象徴すると同時に、「〇」と「□」でコンパスと直角定規を象徴し、日本こそが元祖フリーメーソン国家であるということを堂々と示しているのです。
フリーメーソンというと悪の枢軸という非常に悪いイメージがあるかもしれませんし、だから日本はフリーメーソンという悪の国家だと思われるかもしれませんがそうではありません。
本質を見誤るとそのように見えてしまいますが、そんな単純なものではないのです。
相撲について③
土俵の上空には三角形の屋根があります。
そして土俵は横から見ると台形になります。
相撲の舞台を真横からみると、これはまさにピラミッド・アイを象徴的に示しているのです。
フリーメーソンのシンボルであると喧伝されるマークです。
http://treeoflife888.lolipop.jp/file/purobidensunome.jpg
つまり、土俵と屋根の間から神の目がのぞくという構図になっているのです。
相撲について④
さらに、大相撲には西と東の「三役揃い踏み」があります。
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大相撲本場所の千秋楽、結びの三番前に、大関・関脇・小結にかなう力士がそろって土俵上で四股(しこ)を踏むこと。
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ちなみに、かつては横綱はありませんでしたから、この大関、関脇、小結が「三役」といって最上級の位になっていました。
これがずばり「三神」を象徴していて、さらに生命の樹の象徴図形でいう太陽の栄光の部分、ケテル、コクマー、ビナーの至高の三角形を象徴的に表しています。
この「三役揃い踏み」で力士がシコを踏む時の三役の並び方が非常に興味深いのです。
東は上向きの三角形の配置で、西は下向きの三角形の配置となります。
つまり、東は力士を結ぶと「△」の形状となり、西は「▽」の形状となるのです。
このように上下の三角形を示し、これは陰陽合一であり、合体させるとダビデの星である六芒星が浮かび上がる構造になっています。
そして、2つの三役(三神)が並び立つことから、「合わせ鏡」になって、旧約聖書と新約聖書の「三神」が合わせ鏡となることを示しています。
日本でいえば、古事記と日本書紀の三神の合わせ鏡を象徴しています。
それを三本の竹からなる門松であり、門の両側に並べるのも全く同じことです。
このように、相撲という国技は神聖な神事であり、そのルーツは古代イスラエルへと結びつくのです。
オカルトだと言われようが、そうなのだから仕方がありませんし、元貴乃花親方は、真っ当なことを言っているのですが、世間の理解がついていっていないということになります。
「平生業成」(へいせいごうじょう)という言葉
ということで・・・、丸山修寛先生のセミナーの話を書くつもりであったのですが、両国駅のことを書いていたら相撲に繋がり、そこからマニアックな話とかなり横道にそれてしまっていますが(-_-;)、クスリ絵プレミアムセミナーは100人を超える人たちが参加されていて丸山修寛先生の人気ぶりがうかがえました。
約3時間のセミナーであったのですが、非常に濃密な内容のセミナーでした。
また今回学んできたことをお伝えしていきたいと思っていますが、そのセミナーの中核のメッセージとしてはいくつかあったのですが、そのひとつが、「平生業成」(へいせいごうじょう)という言葉を言われました。
正直、勉強不足でお恥ずかしいのですが初めて聞いた言葉でした。
ウィキペディアからみると以下のような意味になるそうです。
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平生業成(へいぜいごうじょう)は、「平生に業事成弁(生きている平生に、往生の業事が、完成(成弁)する)」という意味の浄土宗の言葉であり、親鸞の開いた浄土宗の教義を漢字4字で表したもの。
「平生業成」と聞くと、平生の行いのように使われる場合があるが、誤用である。
浄土真宗の教えは、念仏を称えたら死んだら極楽へゆけるものと誤解されている場合が多くあるが、平生業成からもわかるように、生きている今、救われるということである。
「平生業成」の文字そのものは、蓮如の『正信偈大意』『御文』に出てくる。
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ということいで、生きている今絶対的な安心を得ることの大切さ、そして、人生には、これ一つ果たさなければならないという大事な目的があって、それは、現在、完成できる。だから、早く完成しなさいよ。
といった教えになるそうです。
不安な毎日で生きているよりも、本当に自分の人生、愛と慈悲を軸にして思いっきり自由自在に好きなことをやりきっていきましょう、といったことをおっしゃっていました。
本当にそうだと思いました。
また、もうひとつの中核の教えが未来は確定してしまいましょう・・・!!ということです。
時間軸において、僕たちは過去、現在、未来と歩んでいるようだけれども、本当は、全く真逆の時間軸を生きているのだということ。
時間は未来から現在へ向かってきて、そして過去に流れていくというものだ。
ということになります。
これは本当にその通りだと思いますし、だからこそ、未来を確定してしまえば、あとはやってくる未来を受け取るだけなのだということになります。
実際に時間は今この瞬間はすぐに過去へと流れ去っていきます。
そしてすぐ先の未来が今この瞬間になってというその繰り返しです。
ですから、あくせく歯を食いしばって、遥か通り理想の夢に向かって頑張っていくのではなく、理想の未来を確定してしまえば、あとは飄々と力を抜いて今この瞬間を全力で生きていれば、その確定した未来は、やがて未来からやってくるということになるのです。
どちらの生き方がいいでしょうか?ということです。
だから、極端なことを言えば、「努力はいらない」ということになります。
未来からやってくるのだから、自分にとって周囲にとって、意識の制限枠を外した最高に輝かしい未来を先に「確定」して、あとは当然の如く、そうなるという余裕の心で待っていればいいということになります。
人生に振り回されるのではなく、人生の創造者となっていきましょうということになります。
ぜひともに、それぞれの人生を創造していきましょう。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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