続・丸山修寛先生に降りてきた パワフルな「ハフリ(祝)」と今年も訪れたベジレストラン「喜心」

続・丸山修寛先生に降りてきた パワフルな「ハフリ(祝)」と今年も訪れたベジレストラン「喜心」

いつもありがとうございます。
日野です。

数日前の伊勢神宮参拝の折に、昨年も行かせていただいたのですが、ベジレストラン「喜心」さんへ立ち寄り、昼食をいただいてきました。

昨年、伊勢神宮参拝の時に立ち寄って、家族ともどもすっかり気に入ってしまい、今年も自然に立ち寄る流れに。

おそらく来年も行ってしまうと思います。笑

喜心さんの店の様子やいただいた料理やべジスイーツなど、Facebookにアップしましたので興味があればご覧ください。

ついでに、Facebookされている方は、いいね!もポチッと押していただくと嬉しいです。笑
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【ベジレストラン、喜心さんへ】
https://www.facebook.com/hino.kenya/posts/2017531358312078
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下記、HPのアドレスになります。
http://kishinvege.web.fc2.com/

ちょっと分かりにくい場所にあるのでナビに従って行ってみてください。

続・丸山修寛先生に降りてきた パワフルな「ハフリ(祝)」

少し前にご紹介した、丸山修寛先生に降りてきた「ハフリ」についての動画。
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丸山修寛先生に降りてきたパワフルな「ハフリ(祝)」
https://youtu.be/YhyZTwlWl94
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この動画に対してご質問をいただきました。

以下に掲載させていただきます。
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いつも視聴させていただきありがとうございます。

さて、はふりのことですが、丸山先生のカタカムナ道場では、真ん中の次は左右どちらかと書いてありましたので、あまりこだわりがないのだろうと思います。

それで、この動画を視聴していて思ったのですが、生命の樹に向かって右からとおっしゃっていましたが、向かうということは、自分が神様か何かと対峙していることになると思います。

しかしながら、丸山先生は自分自身とそのまわりを取り巻くように、生命の樹の立体構造が存在しているとお考えだと思うのです。

それが正しいのであれば、向かってではなく、自分目線で左右を考えるべきではないかと思ったわけです。どうでしょうか?
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いただいたご質問は、核心をついた内容の質問で、僕の言い方が悪かった点もあったと感じたのですが、以下のようにお答えしました。

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貴重なご意見ありがとうございます!
そうですね。基本あまりこだわらなくても良いと思います。

生命の樹に対して、僕の言い方が分かりにくくてすみません。

生命の樹はアダムカドモンという、いわば人体と符合するのですが、それは通常向こう側を向いていることになります。

そして鏡像反転することでこちらを向くことになります。

ですから、おっしゃっていただいたように、人体も生命の樹と重なり、自分を中心として生命の樹の立体構造があるということも言えます。素晴らしい見解だと思います。

そういったことから通常は、向きは、生命の樹と人体は同じ方向を向いているとみてよいと思いますので、やはり人体の右側、生命の樹の右側は比例して、高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)、もしくはヤハウェ=イエスキリストに比例します。

ですから、カタカムナウタヒの第7首からみても、中心、右、左という順になると、人体の生命の樹、生命の樹ともに違和感がない、と感じました。

そのあたり含めて続編の動画を撮りましたので、よかったらご覧ください。
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ちょっと長くなってしまいましたが、上記のご質問を含めて、もう少し奥深い部分を説明した動画を撮ってみました。

ただし・・・

あくまで僕自身の勝手な解釈なのでその点をご了承下さい。

マニアックな話にもなっていますので興味があればご覧ください。
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続・丸山修寛先生に降りてきたパワフルな「ハフリ(祝)」(34分07秒)
https://www.youtube.com/edit?o=U&ar=2&video_id=OdhqDVzhGdM
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詳細は動画をご覧いただければと思いますが、ここで言っていることは、「ハフリ」というのは、まさに3×3に沿った動作であるということです。

これは、3×3の魔法陣を表すと同時に、その魔法陣の元になった「生命の樹」にぴたりと符合する動作にもなっています。

生命の樹の象徴図形の三本の柱は、真ん中が均衡の柱、右側が、慈悲の柱で、左側が峻厳の柱を象徴します。

神は1柱、2柱、3柱と数えるように「神」の象徴になります。

三本柱で「三神」を表します。

真ん中、左右に手を合わせて振り下ろす動作は、この三神に対しての動作に符合します。

そしてそれぞれの柱を「上中下」と振り下ろしていきますが、これが横の階層に符合します。

生命の樹は、三階層になっていて、ティファレトという10個の球体によって、それぞれの階層に分かれているのですが、一番下のマルクトという球体、これは滅びの世界ですので、ここを除けば、残りの9個のティファレトがそれぞれ3個ずつ、三階層に区分けされます。

一番上から
「至高世界」
「中高世界」
「下層世界」
となっています。

聖書では、太陽の栄光、月の栄光、星の栄光という、三階層の世界があることが示されていて、僕たちは死後、魂の状態に応じて、この三階層の世界へとそれぞれ向かうと言われています・・・。

話を戻しますと、人類は、神の雷光である「カヴ」が、生命の樹の一番上のティファレト「ケテル」から放たれて、ジグザグに下降して一番下の滅びの世界、マルクトに到達します。

その時、初めて、この一番下のマルクトの位置に立つことができると言われています。

そしてここから、神の雷光とは逆に生命の樹の上昇の道を歩み始めるのです。

三回転半というかなり重要な概念

ちなみに、この神の雷光「カヴ」は、生命の樹を立体図形と見れば、三回転半しているのが分かります。

これは生命の樹に蛇が三回転半巻き付く姿にも相当することになります。

この三回転半というのはかなり重要な概念で、人類が未来において体験するという苦難の三年半にも相当し、またモーセの放つ蛇が旗竿に三回転半巻き付くことにも符合します。
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主はモーセに言われた。
「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」
(旧約聖書 21章8節)
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また、江戸時代において、離婚に際して、夫から妻へ交付される離縁状のことを「三行半(みくだりはん)」と言いますが、これは江戸時代、三行半に書く習慣から、そう言われたといいますが、それは表向きの理由であって、本質的には、生命の樹の三回転半の雷光や、生命の樹に巻き付く三回転半の蛇などから、来ていることは間違いないと思います。

左右どちらからすればいいのか?

いずれにしても、ハフリの動作によって、三神と三層世界への動作となり神を祝福する、自分自身の生命の樹を祝福するという動作になっている・・・そのように思うのです。

まずはやってみることです。

真ん中の後、左右どちらからすればいいのかというのは結論、どちらからでもいいと思うのですが、要は、自分の中にある生命の樹視点で見るか、正面に「鏡像反転」して向き合った生命の樹視点で見るのか・・・という違いでしかありません。

あの動画の最後のほう話しながら感じたのですが、どちらからもやればいいという感じがしました。

ちょっとこれについてはもう少し検証してから、お伝えすることが出てくればお伝えしてみます。

まずはシンプルな動作なので、継続してみようと思われたら継続してみてください。

また気づいたことや体感したことがあれば、ぜひご報告いただければと思います。

僕もやってみます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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