八幡神の「正体」とカタカムナ生命の書・図像集を脳に「インプット」する方法

八幡神の「正体」とカタカムナ生命の書・図像集を脳に「インプット」する方法

いつもありがとうございます。
日野です。

カタカムナ生命の書・図像集2ですが、「図像集(ずぞうしゅう)」と言うべきところを、「図象集(ずしょうしゅう)」といい間違えていました。すみません(・。・;

これは丸山先生も神社の御札が、100枚位凝縮されたものです・・・とおっしゃっていただけあり、ここ数日使わせていただき、非常にパワフルであることを実感しています。

本当にさまざまな形状が描かれていて、直感的に選ばれて、日々エネルギーを浴びていくと良いと思います。

この図像集を見ながらカタカムナウタヒを唱えても、非常に良い感覚がありますし、瞑想もよりパワフルになります。

先日ご紹介した他者をヒーリングする「アマウツシ」も、実際やってみてとても良いと思いました。
大切な方やご家族へ、関わる方すべてに良いエネルギーを送ることもいいなと思います。

この「アマウツシ」を、自分をイメージすることで、自己ヒーリングもできます。

カタカムナ生命の書・図像集を脳に「インプット」する方法

昨日は、このカタカムナ生命の書を枕の下にひいて寝てみました。

ちょっと畏れ多い気もしましたが・・・

このすごい図像が描かれた書を、寝ている間に脳にインプットしたら、凄いことになりそうだ・・・と、欲張りな発想でやってみましたが(・。・;
今までにない非常にスッキリした快適な目覚めでした。
まだ1日だけなので何とも言えませんが、どんどん運が良くなっていったり、僕の悪い頭でも、カタカムナパワーで、良いアイデアなども浮かんできそうです・・・。笑

そんなにでかくて固いものをアホかいな・・・と思うかもしれませんが(・。・;
枕の下に敷くので、そんなに気になりませんでした。
体の下に敷いたりしても良いのかもしれません。

まあ、いろいろな使い方ができると思いますので、アイデアを出しながら試してみてください。
こんな使い方ができるというのがありましたら、また教えてください。

生涯に渡っての「至宝」

丸山修寛先生が20年試行錯誤しながら研究してきたことを、僕たちは20年ショートカットして、このように上澄み液の最高のエッセンスだけを、いただけるということで、本当に有り難いことと思います。

正直、研究のために膨大な資金も投入されてきたはずです。
そのように見れば、逆にこの価格でも安すぎる・・・と僕には思えてきます。

そして丸山修寛先生の命を削って探求してきた思いが、このカタカムナ生命の書に結晶化していますので、生涯に渡っての「至宝」となってくれるでしょう。

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カタカムナ生命の書 図像集2
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【こだわり逸品】豪華保存版!カタカムナ生命の書図像集2
https://youtu.be/syNcEs6aKWw
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『失われた契約の聖櫃アークの謎』の解釈

筥崎宮へのことを前回触れましたが、筥崎宮はずばり「秦氏」が関わって創建された神社になります。

秦氏の正体は、原始キリスト教のエルサレム教団だといいましたが、秦氏は定説とは違いますが、聖地エルサレムから中国を経由して、朝鮮半島の新羅や伽耶に一時期とどまり、その後、日本へと渡来してきたと思われます。
特に朝鮮半島の神話に黄金櫃伝説が散見されることから、秦氏の移動と黄金櫃伝説は「連動」しています。

筥崎宮のの神社の由来書には以下のように記されていると言います。
「その昔、神宮皇后の三韓出兵の後、凱旋せられ、筑紫の蚊田の里で応神天皇を出産され、その御胞衣(おえな)を筥に容れ(いれ)白砂青松(はくしゃせいしょう)のこの地に納められ、その上に標(しるし)として松を植えられ、やがて地名を筥崎と改められた」

飛鳥昭雄さん、三神たけるさんの『失われた契約の聖櫃アークの謎』から、この部分の解釈について引用してみます。

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呪術的に見れば、御胞衣は本人の分身である。
御胞衣を納めたとは、応神天皇が入っていたとも解釈できる。

王が幼いころに櫃に入っていたとくれば、明らかに新羅・伽耶の「黄金櫃伝説」の流れを汲む。
しかも、筥崎宮の宮司は掛幡氏で、やはり秦氏一族である。

秦氏による「黄金櫃伝説」の連続性は、同時に契約の聖櫃アークの移動でもあると見てもいい。
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このように筥崎宮は応神天皇の御胞衣を、筥(箱)に入れるという象徴的な伝承があります。

筥(箱)=契約の聖櫃アーク御胞衣=応神天皇=八幡神という図式から見れば。
契約の聖櫃アーク(箱)にまさに八幡神が入った(宿った)ということになるのです。

応神天皇=八幡神

そもそも応神天皇=八幡神というのも、考えてみればものすごいことです。

人が神になるということですから、ここには天皇家の儀式でもある「大嘗祭」が深く関わります。
天皇は大嘗祭という儀式をもって神と一体になるというもの。
宇佐神宮に伝わる「宇佐神宮託宣集」にはこうあるといいます。

「第19代、欽明天皇の御世のこと。突如、金色の鳩が現れ、竹葉の上に止まると3歳の童子と化した。童子は自らを指して「日本15代、誉田天皇広幡八幡磨(ほむだすめらのみことひろはたやはたまろ)であると称した。」

ここから誉田天皇広幡八幡磨が応神天皇のことを指すのですが、こういった由来から応神天皇=八幡神であるとされてきたようです。

「八幡」の由来

契約の聖櫃アークに八幡神が深く関わっているとなれば

八幡神の正体は何なのか・・・?ということが見えてきます。

さらに宇佐神宮も筥崎宮も「秦氏」が深く関わっています。
秦氏が祀る神が八幡神だということになります。

「八幡」は「はちまん」ともいいますが本来は「やはた」といいます。

そう・・・

「八幡」は「やはた」であり「八秦」とみれば、そこには「秦氏」の「秦」という音が入っているのです。
そして実際に、「やはた」は「いやはた」=「弥秦」であるとも指摘されます。

さらにここからが非常におもしろいのですが・・・

「やはた」は「いやはだ」からきていると言います。
さらにイヤハダとは、「イエフダー」の転化だといいます。
イエフダーとはアラム語で「ユダヤ」となります・・・!!
これで正体が見えてきました。

飛鳥昭雄さんによれば

「八幡」=「弥秦」=「イヤハダ」=「イエフダー」=「ユダヤ」!!

つまり・・・八幡神の正体とは、ずばりユダヤ神であったのです。

日本の神道をみていくと、ことごとく古代イスラエルへと繋がっていくのです。
逆を言えば、仕掛けを外すことで、古代イスラエルが浮かび上がってくるようになっているのです。

そもそも、北九州一体は元々「物部王国」があった場所ですが、その後、秦氏の集団が朝鮮半島から大移動してきて「秦王国」を築き上げます。
これが記紀で言えば応神天皇の時代ということになります。
応神天皇の時代、朝鮮半島からは秦氏が大挙してやってきたことが記されています。
これを言うと混乱するかもしれませんが、応神天皇は神武天皇でもあるのです!!
「神」がつく天皇はひとつの「鍵」となっていて、同一神(同一天皇)という仕掛けが、実はなされています。

ですから、初代とされる神武天皇、第10代崇神天皇、第15代応神天皇は「神」でつながり、同一神(同一天皇)となり、旧約聖書の神を信仰する天皇でした。

神武天皇=崇神天皇=応神天皇!!

しかし秦氏は新約聖書の神を信仰する集団でした。
つまり、この時、日本という地において、一足先に日本へと渡っていた旧約聖書の神の集団(物部氏系)と、新たに大陸からやってきた新約聖書の神の集団(秦氏系)が、出逢うという出来事が起こります。

そのことが契約の聖櫃アークの、羽を広げて向かい合うケルビム(鳳凰)に、象徴的に示唆されています。
ふたつのケルビムは旧約聖書の神、絶対神ヤハウェと、新約聖書の神、イエス・キリストの「合わせ鏡」の象徴です。
ですから、両者が極東の地、日本で出逢うことは必然だったのであり、ある意味、神との「契約」であったと思われます。

八幡神の「正体」

筥崎神宮は、日本三大八幡神宮と称せられることからして、本来「筥崎八幡宮」であり、八幡神=応神天皇を主祭神に祀る神社となります。
そして八幡神はユダヤ神だといいました。

であれば、八幡神の正体は明白です。
ユダヤの神といえば絶対神ヤハウェ・・・!!

つまり八幡神=絶対神ヤハウェ!!

契約の聖櫃アークのケルビムの間の三角形からのぞく神の目。
これは旧約の絶対神ヤハウェでした。

宇佐神宮に、かつて契約の聖櫃アークがあり、筥崎宮の「筥」=「箱」が示されている以上、そして、契約の聖櫃アークがあるところに現れる神は、絶対神ヤハウェであることから、その主祭神は絶対神ヤハウェ(八幡神)であるのが、ある意味当たり前だということになります。
契約の聖櫃アークは、絶対神ヤハウェが宿る神器であり、三種の神器が納められる箱でもあります。

非常にマニアックになりましたが(汗)
最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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