元寇の「神風」を引き起こした真の原因と「未来」を救う波動医療

元寇の「神風」を引き起こした真の原因と「未来」を救う波動医療

いつもありがとうございます。
日野です。

先日の九州行きの目的のひとつ、量子波動機器の体験について触れましたが、実際に5月末か6月上旬には、パソコン上にセットアップして、島社長に持ってきていただきやり方などレクチャーを受ける予定です。

まずは自分でいろいろと使ってみて、使い方なども習熟していきたいと思います。
その後、7月くらいからご提供していければと思っていますが、また前後するかもしれませんので、状況などお伝えしていきます。

おそらくこういった量子波動機器で、自分の健康状態を見るというのは、あと5年もすれば、当たり前のようになっていくのではないかと思います。

この量子波動機器については、下記の2冊の本が参考になると思います。
興味がありましたら手にとってみてください。

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『未来を救う「波動医学」 瞬時に診断・治療し、痛みも副作用もない』(船瀬俊介)
https://goo.gl/mDvS1P
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「波動医学」とは何か?
「生命」は波動エネルギーだった!
分かってきた宇宙エネルギー、プラナの秘密
“命の波”を正すと、ガンも消える……

――臓器は固有周波数を持ち、病気は周波数の乱れで起きる――
●波動のズレで病気を「診断」
●波動の調整で病巣を「治療」

近未来医学の二本柱は……
「断食」(ファスティング)
「波動」(バイブレーション)
現代医学の行き詰まりは打開できるか?

●主な目次
プロローグ 生命は、波動エネルギーだ
第1章 見よ! 生命を産み出す「波動」の神秘
第2章 〝命〟の現象は、すべて〝波〟の現象だ
第3章「宇宙」「存在」「生命」
──神秘は波動が解明
第4章 瞑想からメタトロンまで、波動医学のパイオニアたち
第5章 黙殺、弾圧、暗殺……研究者を襲った医療マフィア
第6章「波動医学」の礎 千島・森下学説
第7章「メタトロン」……未来を救う波動医療装置

鬼才・船瀬俊介の渾身作!

「新しい医学の芽が若々しく天をめざして伸び始めている。その1つの芽が波動医学の新芽である。それは、急速に成長している。その理論は明解である。『病んだ組織・臓器は、固有周波数からズレている』だから――周波数のズレを検知すれば「診断」できる。周波数のズレを調整すれば「治療」できる。これが、波動医学の2大原理である。」(プロローグより)
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そして、もう一冊が下記の本です。

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『セルフチェック&セルフヒーリング量子波動器【メタトロン】のすべて未来医療はすでにここまで来た! 』内海 聡 (著), 内藤 眞禮生 (著),吉野 敏明 (著), 吉川 忠久 (著)
https://goo.gl/MWyCDc
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量子エントロピーを応用したメタトロンを実際に活用し、操作に習熟した4人が、それぞれの方向性から語り尽くしたメタトロンの入門編!

吉野敏明:メタトロンが提示する「喪失感」「悲しみ」「陰うつ」「義憤」「復讐心」「けち」「無感情」「愛」「親切心」などの感情の情報が、誰が行っても正確に、必ず再現性を持って出てくることがとても重要なのです。

これが暗示療法やカウンセリングなどの、スキルを伴う精神診断と決定的に異なることです。

内藤眞禮生:従来より、発達障がい児には消化吸収や腸内細菌叢の問題など、消化器の問題が多く認められると言うことは、世界の共通認識になっていますが、メタトロン・サクラによる測定でも、ハッキリと、その傾向が可視化されました。

吉川忠久:たとえばメタトロンでの計測の際に、パソコンの画面に肺の画像が出て、そこに被測定者の肺に関する数値が提示されます。

肺の画像に数値が提示されるので、自分の肺の状態が視覚的に理解できる仕組みになっています。

この「視覚的に理解できる」仕組みがメタトロンの長所です。

(中略)

内藤眞禮生:メタトロンには、ベジタテスト(相性テスト)という優れた予測機能があります。

ある物質の波動を測定し、被測定者の波動と重ね合わせた時に、それが良い方向に行くのか、逆に悪化するのかを予測し、表示する事ができます。

(中略)
吉川忠久:身体の各臓器や器官が各々周波数を持っています。
ひとつの音、つまりひとつの周波数です。

そして、身体全体の周波数は、各臓器や各細胞の周波数が集まった結果です。

ですので、ヘッドセットを付けるだけで、各臓器、ひいては骨や血液、遺伝子の周波数の状態が解析できるわけです。

“メタトロン”とは:ロシアが宇宙飛行士の健康管理のために開発した、健康チェックと健康調律のための波動機器!

セルフヒーリングのNEW WAVEとしての、その使用例と現場からの最新報告!
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今回導入させていただく機械は、日本でメタトロンと出ている機器と元は全く同じとなります。

出回ったルートが違うということになり、島社長が独自のルートで膨大な調査を重ねた結果、本当に優れたものを別のルートから仕入れた、量子波動機器となりますので、名称も違います。

また僕自身もしっかり学びこの量子波動機器については、お伝えしていきたいと思っています。

「筥崎宮」と「元寇」

前回にも触れましたが、福岡県の博多湾にあるマリンワールド海の中道へと行った帰りに、「筥崎宮」へ立ち寄ってみたいと思い、わずかの時間ですが、立ち寄ることができました。

ウィキペディアから少し引用してみます。
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筥崎宮(はこざきぐう)は、福岡県福岡市東区箱崎にある神社。

式内社(名神大社)、筑前国一宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

別称として筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)とも呼ばれる。

京都府八幡市の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに三大八幡宮の一つ。

社名の「はこ」の字、は円筒状の容器を意味する「筥」が正字であり「箱」ではない。

ただし筥崎宮の所在地・駅名などは筥崎宮の「筥崎」では、筥崎八幡神に対して恐れ多いという理由から「箱崎」と表記する。

元寇の際に亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。

以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。
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三大八幡宮の一つだということからも、重要な神社であることが分かります。

この筥崎宮は、神社の境内はそんなに広いわけではなく、街中に鎮座する神社なのですが、実際には博多湾まで、いくつかの鳥居があり、長大な参道になっているのだといいます。

また筥崎宮といえば、元寇との関わりも深いことが知られており、公式ホームページから一部引用してみます。
http://www.hakozakigu.or.jp/history/
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鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き、未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。

後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ、筥崎宮は隆盛を辿りました。

江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
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元寇とは、2度にわたるモンゴル帝国からの日本侵攻になります。

その舞台が、主に北九州の対馬、壱岐、博多であったといいます。
ウィキペディアから一部引用してみます。
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元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)および、その属国である高麗王国によって、2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。

1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。

特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった。
主に九州北部が戦場となった。
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モンゴル帝国の皇帝、ジンギスカン(フビライ・ハーン)については、日本では、義経伝説に称されるように源義経=ジンギスカンではないか・・・と、まことしやかに言われていますが、これもあながち一刀両断に否定もできないというのがおもしろいところで、実際に義経は平泉では死なず、蝦夷地(北海道)に渡った痕跡も残されていることなどがあり、さらに大陸に渡って成吉思汗(ジンギスカン)になったなど、いろいろと言われています。

これについても興味深いものがありますが、源義経には「秦氏」が関わっているところが散見されますので、並の人物ではない・・・ということが分かってきます。

また機会があれば、触れてみたいと思います。

今回は、元寇の博多湾への侵攻において、初めの文永には、対馬、壱岐と戦いに敗れ博多湾まで元寇が攻め入ってきます。

ここでも各地で激戦が繰り広げられますが、元軍が優位で、日本軍を次々に打ち破っていきます。

結局、日本軍は持ちこたえられずに、多くの犠牲を出しながら博多・筥崎を放棄して、水城へと敗走したといいます。

しかし、ここから不可思議なことが起きます。

ウィキペディアにはこうあります。
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10月21日の朝になると、元軍は博多湾から撤退し姿を消していたという。
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いったい、何が起こったのか・・・!?

そのまま元軍が攻め入ってきたら総崩れの可能性もあったはずですし、戦況としては元軍が圧倒的に優位でした。

このあたりについて、ウィキペディアでは非常に興味深いことが記されています。
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元軍の撤退理由については、日本軍が逃げ去った夕日過ぎ頃、八幡神の化身と思われる、白装束30人ほどが出火した筥崎宮より飛び出して、矢先を揃えて元軍に矢を射掛けた。

恐れ慄いた元軍は松原の陣を放棄し、海に逃げ出したところ、海から不可思議な火が燃え巡り、その中から八幡神を顕現したと思われる兵船2艘が、突如現れて元軍に襲い掛かり元軍を皆討ち取り、たまたま沖に逃れた軍船は、大風に吹きつけられて敗走した、としている。
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何とも不可思議と言うか白装束の人たちはおそらく、神社の人たちだと思うのですが、ここにはいわゆる神意が働いた・・・というような出来事が綴られています。

『八幡愚童訓』という書物に記されているので、おそらく荒唐無稽な作り話を載せているとは、考えにくいものがあります。

偶然、たまたま、大風がやってきて難を逃れたのか・・・
しかし、これが、2度に渡って日本は難を逃れています。
これが「神風」と言われるものですが、結論から言えば、これは偶然ではなく必然的に引き起こされた可能性がある・・!!ということになります。

現代からしたら、そんな非科学的なとか、神風なんて・・・と思われると思いますが、少なくとも白装束の人たちは、神の力を信じていた行動であると思います。

あるサイトにはこの白装束の人たちは、宇宙人ではないか・・・と書かれていましたが、それは飛躍しすぎだと思います。(・。・;

この時、実は、伊勢神宮でも神職の人たちの動きというものがありました。

今でもまことしやかに伝えられていますが、元寇の時の神風を引き起こしたのは、まさに伊勢に鎮座する神からであった・・!!と思われるのです。

伊勢神宮の内宮には別宮として「風日祈宮(かざひのみのみや)」があり、伊勢神宮の外宮にも別宮「風宮」があるのです。

ウィキペディアにはこうあります。
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古くは現在の末社格の風神社であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に、神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。
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元寇の「神風」を引き起こした真の原因

ここからさらに話は非現実的になっていきますが・・・
このような言い伝えがあるといいます。

下記サイトから引用してみます。
今日は引用ばかりですみません(・。・;
https://kamism.jp/isejingu-tera/
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文永の役(1274年)の言い伝え

1回目の元寇の際、内宮と外宮、それぞれにあった「風社」に、伊勢神宮の神職ら12人が祈祷します。
すると、2つの社は鳴動し、紅の雲が発生、周辺の大木や岩を巻き上げて、西へ西へと飛んで行きました。
そして、それらの大木が元の船団の上に落ち、元の軍を退けたと伝えられています。

弘安の役(1281年)の言い伝え

二度目の元寇の際にも、似たような言い伝えがあります。
文永の役の翌年に設置された法楽舎が存在しており、神仏が力を結集させたことから、元軍に拳ほどの雹が降り注ぎ、海が大いに荒れてしまいます。
その結果、約4千と言われた船のほとんどが海中に沈んでしまった、というものです。
ご存じのように、元寇の時に起こった「神風」はその後、長き渡って語り継がれることとなります。

風宮と書いて、「かぜのみや」と読みます。
外宮の別宮です。かつては無名な社に過ぎませんでしたが、元寇における神威があまりにも大きかったため、一気に社から宮になったそうです。

元寇の衝撃は、当時それほど大きかったということですね。
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つまり・・・

結論をいえば、伊勢神宮での祈祷が、神風を引き起こした・・・ということができます。
そして、それ以前から「神風」は伊勢にかかる枕詞としても使われてきていました。
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「神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰する国なり。この国に居らむと思ふ」という倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、天照大神から受けた神託などに登場する。
「神風の」は伊勢にかかる枕詞である
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元寇の時にはこの神風の伊勢の国を彷彿とさせるように、神風が吹いて日本は難を逃れることができました。

文永の役は10月といわれていますから、たまたま台風が来たということも考えにくい季節になります。
その時に起こった神風は人為的と言うよりは、祈祷と天意によって引き起こされたと思われるのです。
さらにいえば、伊勢の地から引き起こされた・・・というのが重要であり、逆に言えば、この伊勢の地からしか、神風は引き起こせなかった・・・ということにもなるのです。

神職の人たちの祈りだけで、あれだけの神風が引き起こせたものかという疑問があります。
ここには伊勢神宮に隠された日本の重大な「至宝」とも、深く関わってくるのです。

そう・・・

古代イスラエルの秘宝でもあり、現在は行方がわからないものでもあり、日本の神輿と形状がそっくりのもの・・・

「契約の聖櫃アーク」・・・!!

非常に唐突かつ、非現実的に聞こえるかもしれませんし、信じられない方は信じる必要は全くありません。
しかし、いろいろと見ていくと、この契約の聖櫃アークが神風と関わった可能性があります。
契約の聖櫃とは、「箱」でもあり「筥崎宮(箱崎宮)」とも偶然なのか必然なのか、音が一致します。

さらに・・・

この筥崎宮には、奇妙な「箱」の伝承が伝わっているのです。
そしてこの「箱」の伝承は、朝鮮半島や中国の神話などにも散見されることから、これら一連の伝承を「黄金櫃伝説」と、見ることができるのです。
中国、朝鮮半島、そして日本へと「黄金櫃伝説」は、語り継がれてきた・・・ということになります。

結論から先に行ってしまえば、この黄金櫃伝説の「黄金櫃」の正体こそ「契約の聖櫃アーク」伝承だといえるのです。
日本はまだまだ奥が深い・・・底なしのような深みをたたえた国だとつくづく思います。

筥崎宮の箱の伝承について

以上、マニアックな話題となってしまいましたが・・・(・。・;
次回、筥崎宮の箱の伝承についても触れてみたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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