今も禅定を続ける空海の謎と「羊水」の読み解き(前編)「バプテスマ」

今も禅定を続ける空海の謎と「羊水」の読み解き(前編)「バプテスマ」

いつもありがとうございます。
日野です。

3日連続の深夜の配信となりすみません。

今日は大阪に潜在エネルギーの学びなどをさせていただいたり、その後は夕方から、店がある地元の草津市の草津本陣で、篠笛と三味線と和太鼓の演奏を聴いてきました。

地元の商店街を抜けたあたりに、草津本陣という場所があり、古来、東海道五十三次のうち、江戸から数えて52番目の宿場町であり、東海道と中山道が分岐・合流している、交通の要衝であったといいます。
普段、商店街もあまり歩かないのですが、久しぶりに家族で駅から歩いたのですが、新鮮な気持ちがしました。

帰りは商店街のお好み焼き専門店で、久しぶりに家族で外食をして、たまにはいいなあと感じました。笑

今も禅定を続ける空海の謎

ということで、ここ数回またマニアックな話題となっていますが、「美」とは「羊」+「大」から、「羊」は神の子羊であるイエス・キリストを指して、「大」は「偉大な」という意味や「大=一+大」とみれば、「大」が人が大の字になった形象で「一」が唯一となり、「唯一の人」という意になり、ここから読み解くとすれば、「美」とは、「唯一の偉大な神イエス・キリスト」の象徴となってしまうのです。

アカデミズムや国語の先生からは、何を馬鹿なことを言っているのか!と一喝されてしまいそうなことですが、「美」の常識とは全く別の意味合いが、「聖書」をキーワードにみていくと見えてきてしまうのです。

正直、以前は、イエス・キリストや神という言葉を出すこと自体、変に宗教だと勘違いされると思いなかなか口にできませんでした・・・。
しかし、最近は、もうバンバン出してしまっています(・.・;)
不快に思われたらすみません。
特定の宗教を伝えようという意図は全くありませんし、そもそも、特定の宗教など本来はなく、ひとつのこの地球や宇宙を創造した、神や創造主がいるということだと思います。
そもそも、何人もの神(宗教の神)が、この宇宙を創造してたらそれこそおかしくなるわけです。

空海は、仏教、道教、儒教は元は同じであるということを喝破しています。
僕自身、昨年に空海とゆかりの深い室戸岬に行くこともできたり、それ以前からも、空海には強烈に惹かれるものがあるのですが、806年に唐から帰着して真言宗を開いています。
偶然なのですが、8月6日生まれの僕としては、数字のシンクロに嬉しいものがあったりするのです。笑
その前年805年に最澄が比叡山延暦寺で天台宗を開いていますが、一時期ご縁があり明王堂にも通わせていただいたことがあって、滋賀県にも住んでいることもあり、滋賀と京都にまたがる比叡山にも親近感があります。笑

比較でないですが、人物のスケールから言えば、空海のほうが圧倒的存在感があるのは事実です。
密教とは、秘密の教えです。
そして、最澄の天台宗はその後数々の宗派が派生していきますが、密教はただひとつです。
ブレが全くありませんし、根本の教えがそこにあるということなのだと思います。

そもそも、空海という人物も見ていくと非常に興味深くて、高野山の奥の院では未だに禅定を続けられており、食事も毎日2度届けられているというから驚きです。

https://goo.gl/4FCkXU
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高野山奥の院の霊廟には現在も空海が禅定を続けているとされる。

奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が、衣服と二時の食事を給仕している。

霊廟内の模様は維那以外が窺う事はできず、維那を務めた者も他言しないため、一般には不明のままである。
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いずれにしても空海の肉体は、未だに腐ることなく「ある」可能性があり、それは、古代ヘブライの叡智でもある「ある光」により、肉体が朽ちていないという可能性が実際にあります。

漢字の重層的な奥深さ

すみません、話が逸れましたが・・・(いつもですね・・・(・.・;))

「美」とは、「唯一の偉大な神イエス・キリスト」とみれば、その神なる存在こそが「美しい」ということであったのかもしれませんし、イエス・キリストの愛や、イエス・キリストの全人類の罪を背負って、十字架に架かる犠牲の精神が、本来の「美」という意であったのかもしれません。

「犠牲」という漢字の「犠」にも「羊」が使われているのは、神の子羊であるイエス・キリストが、全人類の罪を背負い「犠牲」になったということを、象徴しているものと思われますし、旧約聖書の時代には、「燔祭」といって「牛」や「羊」を犠牲にして、祭壇に捧げる風習があったからこそ、「犠牲」という漢字には「牛」や「羊」が含まれているのです。
だからこそ、中国人が、つくりあげたものではありえないと思うわけです。
このような意味をこめることができるのは、古代ヘブライの人たちであり、その血を受け継ぐ大和民族の為せる技だとしか思えません。

常識からしたら異端の説なのでしょうが、そのように見ていくことで、漢字の重層的な奥深さが見えてきます。

羊水に秘められた秘密と十二支族の集結

ということで、いい加減、「羊水」について、お伝えしていきますが、「羊」を神の子羊であるイエス・キリストとみましたが、別の見方をすれば、神の子羊イエス・キリストの愛を受けた、私たちひとりひとりが、「羊」であるという意味合いになるのではないかと思います。

自分で書いてて、これは宗教的であるな・・・(・.・;)と思います。すみません。
イエス・キリストが抵抗があれば、絶対神でも創造主、サムシンググレートでもいいと思うのですが、聖書には、イエス・キリストが羊飼いであるということを言っています。

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わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネによる福音書 第10章)
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ここには、羊が生命を受けるため、しかも豊かに(生命を)受けるために、イエス・キリストは羊飼いとして来たとあるのです。
そして羊(人)のために生命を捨てると言っていますが、その言葉通り全人類の罪を背負い十字架にかかります。
となれば、シンプルに「羊水」とは、イエス・キリストの愛を受けた、私たちひとりひとり(羊)の「水」であると見ることができます。

このように聖書を見れば、なぜ「羊水」なのかが明確に見えてくると思うのです。
聖書の思想がないと、なぜ「羊水」は「羊」の水なのだ・・・?と理解不能になってしまうのです。

「羊水」について2014年に映像で述べています。
前回の「羊水」の映像をさらに発展させた、かなり妄想的解釈をしています。汗
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【日本の秘密016】羊水に秘められた秘密と十二支族の集結
https://www.youtube.com/watch?v=N9Cx8lahn4Y
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せっかくなので、まず前段階として、この映像でお伝えしていることを、少し補強しながら、「羊水」について見てみたいと思います。
その後、さらに羊水の奥の意味について見ていきたいと思います。

本当に興味ない方にとってはおもしろくもなんともない話で、何で羊水でこれだけマニアックに熱く語っているのだ・・・と思うかもしれません。笑
僕もそう思います・・・。(・.・;)

「羊水」の読み解き(前編)「バプテスマ」

今回と次回でできれば「羊水」について書いてみたいと思います。

これについて書ききっとかないと、僕の中では中途半端でもやもやしたままになるので、今回出し切ってしまいたいと思います。
妄想をかなり含みますのであくまでお遊びとしてみてください。

また何か「羊水」についてや、生まれてくるということについて、それぞれが考えて、発展、応用していただければ嬉しく思います。
興味がなければスルーしてください。

では、いきます。

「羊水」とは端的にみれば「羊」の「水」となり、羊を神の子羊イエス・キリストとみれば、「神の水に包まれている水」だといえます。
僕たちは、生まれながらにして神の恩寵、神の愛を受けて、ひとりひとりが生まれてきたということを示唆しているのです。

そしてキリスト教には「バプテスマ」という儀式があります。
水の洗礼です。
これについても見ていくと長くなってしまうので割愛しますが、イエス・キリストの前に洗礼者ヨハネという人物が登場してきて、彼がイエス・キリストに洗礼を施します。

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https://goo.gl/2uiY8z
イエスの先駆者。イエスの公生涯開始直前の28年ごろ現れ、人々に説教し、罪の悔い改めを説き洗礼を授けた。
イエスもヨルダン川で彼から洗礼を受けた。のち、ユダヤ王ヘロデを非難して処刑された。
洗礼者ヨハネ。
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聖書において、イエス・キリストは、弟子たちに次のように命じられています。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼〔バプテスマ〕を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28:18-20、新共同訳聖書)

このように聖書でも「バプテスマ」は、重要な水の洗礼の儀式として重要なのですが、「羊水」というのは、まさに「羊」=「神の子羊・イエス・キリスト」とみれば、神の水の洗礼を受けて生まれてきたと見ることができるのです。

これは言葉を変えれば神に祝福されたひとりひとりの「羊」=「羊飼いイエス・キリストの愛をうけた羊(ひとりひとりの人)」が生まれてくるということを、「羊水」という言葉で象徴的に、表しているとみることができます。

だからこそ、前回も述べたように、生まれてこなければよかった生命など、何ひとつないということになります。
もし自分が生まれてこなければ良かった・・・とか、そういった思いで傷ついていたとしたら、それは大間違いであるということです。

小さい頃、あんたなんか生まれてこなければ良かったとか、男の子で生まれてきたら良かったのにとか、もし親から言われた記憶があったとしても、その親も本当は心からあなたのことを、愛していたことに変わりはありませんし、何よりも、神の愛を一身に浴びた水に包まれて、生まれてきたという事実に変わりはありません。

僕たちは孤独であるように思いますが、本当はすべての愛に包まれ状態で、産道(三道)を通って生まれてきました。

地球と「水の洗礼」

僕たちは神の水の洗礼を、生まれながらにして受けてきたということが、以上のことから言えるのです。

そして、水の洗礼は、人類だけではなく・・・「地球」も受けています・・・!!
地球は、生命体であるということを何度か触れてきましたが、地球は、地球生命体ガイアと称されます。
実際に地球は人間よりも遥かに崇高な精神をもつ、ハイコスモリアンだと言われています。

その地球も「水の洗礼」を受けて一度水に覆われています。
そう・・・ノアの大洪水です・・・!!
これによって、人類と地球は「水の洗礼」を受けました。
水の洗礼は、一度水に沈んで浮かび上がることから、死と復活の象徴だと言われています。

つまりこれもまた死と復活をした、イエス・キリストの象徴だといえるのです。
そして水は「陰」ですから、これでは片手落ちとなり、ほんとうの意味では、この洗礼は陰の「水」の洗礼と陽の「火」の洗礼が起こり、「火水」=「カミ」=「神」となり、そのことが「救い」となります。

ですから、これはネガティブにとらえていただきたくないのですが、地球や人類は今後、「火」の洗礼を受けることになるということになります。
それは「終わり」でも「死」でもなく、新たな「始まり」であり、「復活」の意味合いを持つことになります。

「様」と「羊」

映像の中で述べていましたが「様」という漢字に「羊」が含まれ、相手の名前を呼ぶ時に、「~様」というのは、相手に神の分け御霊である「神」を見るからだと思いますし、「達」という漢字にも「羊」が含まれていますが、真の意味で「達成」するとは、「神」の照らした道筋に沿い成長したときに、達成したと言えるのでしょう。

あるいは、神の子羊イエス・キリストのもとに達した時に、真の意味で「達した」と言えるのかもしれません。

長くなってしまいましたので、次回、映像でも述べましたが「羊水」を音に返す、ということから見てみたいと思います。
音で意味が繋がってきますし、音で重層的に意味を込めることが可能です。

マニアック一辺倒な話になってしましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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