丸山修寛先生開発「反磁場磁石」の効果的使い方と「君の名は。」妄想談義・特別編「義経の身代りの正体」
いつもありがとうございます。
日野です。
今日は、第1回のZoomオーガニッククラブを開催させていただきました。
ご参加いただいた方たちには本当に感謝いたします。
最初の挨拶の時には緊張して、皆様への日頃の御礼も碌に言えずに大変失礼いたしました。
また、最後の挨拶の時に特典のクスリエ「豊かさのしらせ」の配布についても、言い忘れてしまいすみませんでした。
ご参加いただいた方には、日曜日までには、順次メールにて配布させていただきますので少しお待ちください。
また、今日ご参加いただいた方の中で2名様ほど、お名前がなかったので、どなたか確認できていない方がおられます。
お心当たりある方はメッセージいただければと思います。
これからの5Gの電磁波対策
株式会社ユニカの丸山社長には電磁波対策の基本から、5Gについてのお話、クスリエ、クスリネについてなど、いろいろなお話を約1時間30分みっちりとしていただけました。
ぜひご参加いただいた方は日常に活かしていただければと思います。
5Gについても待ったなしで着々とインフラが整えられていっています。
数日前には総務省が、5G基地局を、2023年まで、従来の3倍の約21万局に増設して、拡大していく方針を発表しています。
高市早苗総務相は「仕事も学びの場も確保できるように、情報通信インフラの全国展開を着実かつ迅速に進めたい」と話していますが、便利になっていく反面、健康面においての懸念があります。
まさに僕たちが体験したことのない未知の領域に突入していきます。
政府や携帯会社は、電磁波に対しての健康への影響はないと言っていますが、実際に、4Gの段階でも、電磁波過敏症の方は本当に苦しんでおられます。
4Gの時は、3.6GHであるのが、5Gになると、28GHになるといいますから、単純に強さは7.7倍になります。
本当に大丈夫なのか・・・と思ってしまいます。
国が安全と言っている以上はもはや対策としては、自分たちでしていくしかありません。
丸山社長や丸山修寛先生は5Gの電磁波に対しても、やはり影響があるという立場で、電磁波対策を前々から伝えられています。
そういった意味でも、今回、新たに登場したMAXmini5Gは、5Gに対しての逓減率も確認されていますので、これからの5Gの電磁波対策として、活用していただけるものとなります。
丸山修寛先生開発「反磁場磁石」の効果的使い方
今回、Zoomオーガニッククラブでも、MAXmini5Gや反磁場磁石についても、お伝えしていただいたのですが、特に「反磁場磁石」について、補足しておいた方が良いと思われる点が出てきましたので、そちらを簡潔に動画にしました。
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丸山修寛先生開発「反磁場磁石」の効果的使い方(5分32秒)
https://www.youtube.com/watch?v=Bwq41ChCUlc
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動画でも述べていますが、「反磁場磁石」を縦向きにして、体に貼っていただくのが一番効果的だということです。
ぜひやってみてください。
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※2個まとめてご購入していただくと非売品・反磁場磁石を1個プレゼント!
電磁波ブロッカー MAX mini 5G
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「君の名は。」妄想談義・特別編「義経の身代りの正体」
ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですので、興味がない場合はスルーしてください。
前回は、アイヌの神「オキクルミ」についてみましたが、義経の首が本物ではなかった!?という話に戻ります。
義経には身代わりになった人物がいたのではないかと言われていますが、過去の歴史を見れば、影武者はある意味当たり前で、代表的なのが徳川家康です。
家康は本物の家康と影武者的な家康がいましたが、影武者的な家康が歴史の大半を牽引していき歴史をつくっていきました。
また明智光秀も死が偽装され、首検分によって光秀とされましたが、腐敗し原型を留めていなかったとされます。
しかし豊臣秀吉は、一刻も早く光秀の首をとったとして、信長の仇を討ったということにしたかったのです。
そして実際に、光秀は生き延びていた可能性が高く、後に「天海」として姿を現し、徳川家康とともに江戸幕府の基礎をつくっています。(あくまでこれもトンデモ説ですが)
このような隠された歴史はけっこうあります。
表の歴史がすべてではありませんしむしろ真の歴史はそこにはありません。
真の歴史は「裏」にあり・・・!!と言えるのです。
義経の身代わりになった「杉目太郎行信」
源義経においては影武者がいると言われていましたが、「衣川館で自刃したのは義経の影武者であり、義経はその一年前に郎党を伴って北の大地を目指した。」という伝説がまことしやかに語られています。
結論から先にいえば、義経の身代わりになったと目されている人物は「杉目太郎行信」ではないかと言われています。
歴史の闇に埋もれたほとんどの方に知られていない人物ですが、延宝年間の『可足記』に次の記述があるといいます。
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九郎判官の身代わりには一家の内、杉目太郎行信が致し、行信が首、鎌倉の見参に入候--『可足記』
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杉目太郎行信は、背格好などが義経によく似ていたといいます。
どうも杉目太郎行信は義経の母方のいとこであったようです。
だから似ていたともいえるのでしょう。
さらに身代わりになった杉目太郎行信の墓が、宮城県栗原郡金成町にあるといい、その墓には「源祖義経神霊見替杉目太郎行信」と刻まれているのです。
「源祖義経神霊身替」
つまり、義経の「身替り」となったのだと。
北へと逃すための時間稼ぎ
杉目太郎行信は奥州杉妻城主であったといいます。
今の福島県の県庁があったところに城がありました。
これも確かではありませんが、一節では、杉目太郎行信は佐藤元治の子だといい、この佐藤元治は義経の師でもあるといいます。
元治は、藤原泰衡の父であり、義経の理解者、秀衡の縁者だといいます。
藤原秀衡の死後、嫡男の泰衡が、源頼朝の再三の圧力によって父の遺言を守りきれず、義経を裏切って、衣川の戦いで義経を討ったというのが表の歴史ですが、少し前に触れたように、実は、泰衡は、義経を裏切っていない可能性もあり、むしろ義経と示し合わせて、衣川の戦いを演じて(偽戦)、身代わりになった杉目太郎行信の首を、鎌倉に届けさせたという筋書きも成り立つのです。
奥州と鎌倉は距離がかなりあります。
ごまかすことも可能でしょう。
それも焼け首にして、さらに43日という時間をかけて、あえて判別不能の首にすることで、偽物と断定できないようにした。と同時に、義経をできるだけ北へと逃すための時間稼ぎをしていた・・・。
そのことは泰衡の独断というよりも、むしろ秀衡の遺言のなかに、義経を北へ逃すことなども記されており、その秀衡の遺言を、泰衡は忠実に守った・・・とも一説では言われています。
表の歴史では、泰衡は裏切り者のレッテルが貼られてしまいましたが、裏の歴史はそうではないのかもしれません。
が、それも推測でしかありません・・・。
また、泰衡は、頼朝軍に責められてから逃げる途中、旧臣の河田次郎の裏切りに合い、あっけなく死んだとされています。
これにより、奥州藤原氏は一応の滅亡となります。
実際には北へと逃れた者たちがいますので、奥州藤原氏の完全な滅亡ではないのですが。
しかも、泰衡も、実は死んでおらず、河田次郎と示し合わせて、嘘をでっちあげて、別人の首を泰衡の首と称して、鎌倉に届けさせたという話もあるから、ややこしいですね。(-_-;)
しかし、義経の前例がありますから、同じことを今度は自分の首において、実行したということもなきにしもあらず・・・といったところでしょうか。
頼朝はあえて見逃した
ともかく・・・いずれにしても、衣川の戦いが偽戦であったことや、偽首であることを見抜いていた頼朝は、持ち込まれた義経の首を重要視していなかったので、母親の法要を優先し、持ち込まれた首の鎌倉入りを止めていたということになりますし、朝廷の許可が出る前に、急いで自ら奥州へと軍を率いて出陣したのも、泰衡が偽の首を届けさせたことを知っていたからこそ、早急に泰衡を討ちに行ったと言えなくもないのです。
そして頼朝は、義経が生きているのを、おそらく知っていたものと思いますが、泰衡を討つにとどめて、さらに蝦夷まで義経を追っていこうとはしていません。
あえて見逃した節も見受けられるのです・・・。
「もはや神のみぞ知る」
杉目太郎行信の墓の側面には
義経辞世の歌
「後の世もまた後の世もめぐりあえそむ紫の雲の上まで」と、
弁慶の辞世の歌
「六道のみちのちまたに待てよ君、おくれ先だつならいありとも」が刻まれているといいます。
杉目太郎行信と義経の深い関りが見てとれます。
このあたりの地は、藤原の武将である、沼倉小次郎高次の領地で、首無しの杉目太郎行信の遺体が、沼倉小次郎高次により葬られたと言われています。
すみません、いろいろと述べてきましたが果して真実はどうであったのか・・・今となっては、「もはや神のみぞ知る」ですが、杉目太郎行信という人物が、もし義経の身代わりになっていたのなら、彼は全くの無名で歴史の表舞台にも出ない、歴史の闇に埋もれた人物ではありましたが、義経を北へと逃した立役者でもあり、自身を犠牲にして、義経を守った存在であったのかもしれません。
伝えられた歴史とはいったい何なのか、真の歴史とはいったい何なのか・・・、そのことを考えさせられます。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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