1日約250人が「突然死」している現実と「君の名は。」妄想談義・特別編「厩戸皇子」

1日約250人が「突然死」している現実と「君の名は。」妄想談義・特別編「厩戸皇子」

いつもありがとうございます。
日野です。

先日お伝えした同志の急逝は本当に衝撃を受けていて、自分もどこかでこういったことを、甘く見ていたような気がしています。

身近な方がこのようになり、しかも同じ仕事をされていた方だけに、正直ショックもあります。

食のことなど気をつけておられたと思いますし、特に自覚症状もなかった。

それでもこのような結果になることがあるという恐ろしさ。

完全に想定の範囲外の出来事でした。

奥様やご両親の心痛を思うと本当に胸が痛くなります。
改めて心からのご冥福をお祈りします。

1日約250人が「突然死」している現実

24時間以内に亡くなることを突然死というそうですが、この突然死は、年間約9万人の方に起きているそうです。

単純に年間の日数で割ると、約250人の方が1日で突然死をしているということになります。

新型コロナウイルスと比較してもいかに多いかが分かります。

心筋梗塞を発症すると約3割の方が亡くなってしまうそうです。

しかも大多数は発症から数時間以内に亡くなってしまうといいます。

心筋梗塞が疑われる症状が出てしまったときは、一刻も早く病院へ行き、適切な処置をしてもらうしかありません。

改めて心筋梗塞とは、どういった病気なのかということを下記から引用してみます。
https://www.fureai-g.or.jp/seiwa/patients/heart-disease/disease/ischemic-heart/myocardial-infarction/
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心筋梗塞とは心臓(心筋)が酸素不足になり壊死する病気です。

心筋を取り巻いている冠動脈は心臓に血液と酸素を送っています。

これが動脈硬化で硬くなりコレステロールなどが沈着すると、血液の通り道が塞がれ、心筋に血液を送ることができません。

そのため心筋は酸素不足となり、心筋細胞が壊死を起こしてしまいます。
これが心筋梗塞です。

原因は動脈硬化です。
冠動脈の壁にコレステロールなどが沈着すると、こぶのように盛り上がった粥腫(じゅくしゅ)ができます。

薄い膜で覆われている粥腫はれやすく、傷つくとその回りに血栓ができ、傷口を塞ぎ血流を悪くします。

さらに血栓が大きくなると冠動脈を塞いでしまい、血液を堰き止めてしまいます。

そのため酸素不足となった心筋細胞が壊死を起こすのです。
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血栓が冠動脈を防ぐことにより、心筋細胞が急速に壊死を起こします。

こうなるともう時間の勝負になり、できるだけ早い対策しかありません。

前回も言いましたが、「突然発症する急性心筋梗塞は、前兆のない場合がほとんど」だといいます。

そして、医師はこう言います。

「心筋梗塞が疑われるような症状が出たら、『苦しいけど病院が開いてから行こう』などと考えてはいけません。ただちに救急車を呼ぶことです。」と。

では、心筋梗塞を疑うような症状とはどのような症状でしょうか。
これもご存じとは思いますが、先ほどのサイトから、掲載してみます。

知っておくことで、自分や身近な人が同じような症状になった時に、早急に対処することが可能です。

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激しい痛みが20分以上続けば心筋梗塞を疑う

狭心症と心筋梗塞はともに胸痛があります。
狭心症との大きな違いは、心筋梗塞は発症すると安静にしていても、激しい胸の痛みが20分以上続くということです。

突然、左胸部や左肩・首・下あご・みぞおちに締めつけられるような痛み、あるいは胸が押しつぶされるような苦しさを訴えます。

発作を起こしたときの痛みを「焼け火箸で刺されたような痛み」「石で胸を潰されたような痛み」といわれるほどの激しい苦しみに襲われ、中には死の恐怖を感じる人も少なくないといわれます。

発作後、数時間経つと痛みが引いていきます。
これは発作が治まったのではなく、壊死が始まり痛みの感覚がなくなったためです。

心筋梗塞は発作と同時に細胞の壊死が始まり心不全を起こします。

そのまま壊死の範囲が広がると、呼吸困難や血圧低下、意識障害に陥り、場合によっては死に至ることさえあります。

予断を許しませんので一刻も早い処置が必要です。
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このような症状が出たら、やはり出来る限りの早い処置をしてもらうしかないと思います。

そして、動脈硬化、血栓が原因であれば「血管」「血液」に対しての予防を、普段からしていくしかありませんし、血管や血液の状態を整えていくことは、心筋梗塞以外にも、糖尿病、高血圧、ガンなどの慢性疾患に対しての、予防や改善にも繋がっていきます。

そのあたりのことについても次回、触れてみたいと思います。

「君の名は。」妄想談義・特別編「厩戸皇子」

ここからは妄想モードで、新型コロナウイルスに関しての「コロナ」=「君」から、「君の名は。」の妄想ですが・・・そこからも外れてしまっています。汗

今回も簡潔にいきたいと思います。

立花=橘=時非香実(時非香菓)(ときじくのかみ)=生命の樹について、横道にそれながらも見てきたわけですが・・・「橘」という漢字を見ていると、何かピン・・・と来るものがあり、意味がありそうだと思えてきました。

その前に、「橘」と聞いて思い浮かべるのは「橘寺」です。

1~2年くらい前に、奈良県高市郡明日香村へ家族で行ったことがあります。

明日香村の「アスカ」の響きは個人的にも惹かれるものがあり、ノアの大洪水以前の時代と言われる超古代文明のアスカ帝国や、もっと言えば、地球そのものを「アスカ」という響きで、呼んでいたと一説では言われています。

その奈良県にある明日香村は、酒船石遺跡など興味深い遺跡もあります。

その明日香村へ行ったときに、聖徳太子とゆかりの深い「橘寺」にも立ち寄りました。

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橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。

正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。

橘寺という名は、垂仁天皇の命により、不老不死の果物を取りに行った、田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。

橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、当寺は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。

太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。
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聖徳太子は、厩戸皇子とも言われますが、「厩戸(うまやど)」というのは、母が実母・蘇我小姉君の実家(おじ・蘇我馬子の家)にて出産したので、馬子屋敷に因み厩戸と命名されたとする説や、生誕地・近辺の地名・厩戸に因み命名されたなど、様々な説があるといいます。

いずれにしても「厩戸」=「馬宿」でもあり、一方でイエス・キリストも馬小屋(家畜小屋)で産まれたとされます。

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そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。
人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。

客間には彼らのいる余地がなかったからである。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
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(ルカによる福音書第2章第1節~8節)

このように、「飼葉おけ」に寝かせたとありますが、「飼葉おけ」とは以下のようにあります。
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飼葉桶 (かいばおけ)
牛馬の飼料を入れる容器でかいば桶ハミ桶とも呼ばれる。
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つまりイエス・キリストも聖徳太子も、ともに馬小屋(家畜小屋)で生まれた共通するエピソードがあり、さらに、太子の母である穴穂部間人皇女(間人皇后)の夢には、救世観音が現れて、太子の誕生を予告したというエピソードがあります。

イエス・キリストの母であるマリヤにも、大天使ガブリエルが現れてイエスの誕生を伝えました。

さらにさらに・・・聖徳太子は大工の祖とされますが、イエス・キリストの母親の許嫁であったヨセフも大工でした。

イエス・キリストも大工の子で、大工との関りがみてとれます。

このようにことごとく聖徳太子とイエス・キリストは重なってくるのです。

ちなみに「天照大神」の「天」は本当は「工」+「人」からきています。

「天」=「工」+「人」

つまり、ここから、「工人」すなわち「大工」ということも読み解けるのです。

ここから「天照大神」=「イエス・キリスト」の解き明かしもできるのですが、また機会があればご紹介したいと思います。

いずれにしても、イエス・キリストのエピソードが、聖徳太子には濃厚に見られるのです。

聖徳太子のエピソードは、イエス・キリストを強烈に意識しているということになります。

聖徳太子の側近に秦河勝がいましたが、彼は秦氏の祖であり、聖徳太子とも密接な関りがありました。

秦氏の正体は、イエス・キリスト直径の弟子たちの集団エルサレム教団でもあり、原始キリスト教です。

となれば、聖徳太子のエピソードに、イエス・キリストのエピソードが、含まれているのは自然とも言えます。

秦河勝が深くそこに関わっていることは明白です。

聖徳太子と「蘇我馬子」

聖徳太子と同じ時代に存在したとされる「蘇我馬子」という人物がいます。

聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女の、母方の祖父にあたる人物が蘇我稲目で、この人物が、蘇我馬子の父になります。

ここから聖徳太子と蘇我馬子は甥と大叔父の関係になり、さらに、聖徳太子の妃が、蘇我馬子の娘なので、婿と舅の関係でもあったといいます。

何だかややこしいですね・・・(‘◇’)ゞ

よく言われていることですが、この蘇我馬子の名前が実に興味深く、蘇我馬子は「我」は「蘇」り、「馬」宿の御「子」と読み解くことができます。

これはまさに、イエス・キリストそのものの存在を象徴的に表しています。

一説では、聖徳太子=蘇我馬子だとも言われていますし、聖徳太子伝説はイエス・キリストの史実を元に、つくられたものであるとも言われています。

では、聖徳太子は実在したのか・・・そして聖徳太子は本当に仏教を広めた人物であったのか・・・

そこには、作られた(作為の)歴史が垣間見え、その影には秦氏の存在が見え隠れするのです・・・。

ということで、また横道にそれて「橘」の解き明かしまで、進めることができませんでした。汗

次回、簡潔に述べていきたいと思います。

速く普通に戻りたいと思うのですが、興味がない方には本当にすみません。

スルーしていただければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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