「世界一」座りすぎの日本人の危険性と「君の名は。」妄想談義・特別編「立花の読み解き」
いつもありがとうございます。
日野です。
今日も深夜の配信となりすみません。
また後半、またマニアックで長くなったので、興味がない方はスルーしてください。汗
前回、あしふみ健康ライフをご紹介しましたが、
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あしふみ健康ライフシリーズ
https://treeoflife.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=%A4%A2%A4%B7%A4%D5%A4%DF%B7%F2%B9%AF
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その中で、5分で1000歩といいましたが・・・すみません。
5分で1000回足を動かせるということでした。
5分で1000歩という表現は、かなりのオーバートークでした。
本当に申し訳ございません。m(__)m
ただ、この5分で1000回動かすことは、けっこう良い下半身の運動になります。
僕などは朝や夜は特にパソコンの前で、じっと座ったまま、デスクワークをしたりメルマガを書いたりしているので、このあしふみ健康ライフをみて、これは僕にぴったりのものだと飛びついたのです。(‘◇’)ゞ
座ったままの姿勢で、股関節を5分で1000回動かすことにより、下半身の血流とリンパの流れを促してくれます。
前回、アメリカにおいて新型コロナウイルスに感染した若い人が、特定疾患の自覚症状などがなくても、血栓が出来る人が増加しているということについて触れましたが、この「血栓」もやはり「動かない」ということから、起きやすくなるのは確かであって、これも普段の生活習慣、運動習慣がおそらく「差」を分けるのでしょうし、短時間でも血栓ができてしまう典型的な例が、エコノミークラス症候群です。
これも突然できるのではなく、やはり普段、運動習慣の少ない人ほど、できやすいというのはあるはずです。
エコノミークラス症候群とはご存知と思いますが、以下のような症状です。
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窮屈な座席で長時間同じ姿勢のままでいると、血の流れが悪くなり血管の中に血のかたまりが作られ、そこに痛みや腫れが生じることがあります(深部静脈血栓症)。
血のかたまりがはがれ、肺の血管につまると、胸が痛い、呼吸が苦しいなどの症状をおこします(肺塞栓症)
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「世界一」座りすぎの日本人の危険性
人間は、70%の血液が下半身にあると言われています。
さらに言えば、70%の筋肉が下半身にあると言われています。
あしふみ運動することにより、この下半身の70%もの血液と筋肉が無意識に動かせます。
そのため、股関節や足の大きな筋肉がほぐれ、ふくらはぎ(第二の心臓)を動かすことによって、足のポンプ運動が始まり、より快適に体の隅々にまで血液(酸素と栄養)を送ることができます。
日本人は「世界一」座り過ぎだと言われています。
1時間座ることで、余命が22分縮むという事が、NHK等多数のメディアで発表されました。
2012年にシドニー大学が行った調査結果によれば、世界20カ国の総座位時間の平均が300分/日に対して、日本では420分/日と平均から2時間も多い結果となりました。
ここ数年で、世界中の研究者達が、座り過ぎによる健康リスクについて言及しはじめています。
まとめると以下のようになります。
下記サイトから引用してみます。
https://www.bauhutte.jp/bauhutte-life/sitting-is-killing-you/
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・座りすぎが肥満や糖尿病、高血圧、がんなどの病気を誘発し、世界で年間200万人の死因になっている(2011年・WHO)
・1日11時間以上座る人は、4時間未満の人と比べ、死亡リスクは40%アップする(2012年・シドニー大学)
・1日9時間以上座っている成人は、7時間未満と比べ、糖尿病のリスクが2.5倍高くなる(2018・明治安田厚生事業団体力医学研究所)
・長時間の座位が記憶形成に関わる脳領域を薄くし、認知能力を低下させる(2018・カリフォルニア大学)
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このように、座りすぎが健康をじわじわと損なっているということが指摘されていますが、これは僕も他人事とは思えず、じっとしている方が好きなので(汗)本当に耳が痛い話です(;’∀’)
なので、今も書きながら必死こいて、あしふみ健康ライフを使って「貧乏ゆすり」を、必死こいてしているというわけです・・・。
そう、「貧乏ゆすり」はかつては忌み嫌われましたが、実は健康には良いということが分かってきたのです。
よく無意識に貧乏ゆすりをしている人がいますが、これは、人目はあまりよくないのですが、実は健康には良かったのです。
ですから、「貧乏ゆすり」などと呼ばずに、本当は、「健康ゆすり」とでも名づけを変えた方が良いのです。
その「貧乏ゆすり」の効用について、次回、もう少し見てみたいと思います。
何かをしながら下半身の運動もできる優れもの
今、このあしうら健康ライフのメーカーさんにお話を伺っていても、自粛ムードでどうしても運動不足になりがちな人が多いのか、この商品の問い合わせも増えているとおっしゃっていました。
今自粛が言われていますが、逆手にとって家でいるなかで、できることをしていくしかないとなりますが、このあしうら健康ライフは、自粛が言われている今こそ必要であると直感的に感じたので、扱わせていただくことにしました。
あしふみ健幸ライフなら、座ったままで歩くような新発想で、あしふみ運動が5分で約1,000回も出来ます。
座っている一部の時間を、テレビを見ながら、映画を鑑賞しながら、音楽をしながら、読書をしながら・・・、何かをしながら下半身の運動もできてしまうという優れものです。
これだと、本当に自然に楽に貧乏ゆすりができるので、気に入っています。笑
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あしふみ健康ライフシリーズ
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「君の名は。」妄想談義へのメッセージ
新型コロナウイルスに関しての「コロナ」=「君」から、「君の名は。」へと迷い込んでしまい、その迷宮の中をさまよって抜け出すことができない・・・、という感じになってきました。笑
いくつかメッセージをいただきました。
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「君の名は」の連続妄想談が、ものすごく、おもしろい。
つい、のめり込んで読んでしまいます。
遠慮なく続けてください。
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日野さん、瀬織津姫のお話もっと教えて下さい。
私は、高野山の奥の院に流れる美しい水を、瀬織津姫様に置き換えています。
イメージですが。ピアノを弾く時、いつも美しい水のオーラを心がけています。
お客様からは、気持ちが落ち着いたと、よく言われます。
早く、また演奏活動がしたいです。
ありがとうございました。
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ありがとうございます!
いろいろな方が、君の名については述べられていて、おもしろいと思いますし、そういった方のを参考にしつつ、そこから妄想を広げたりとしています。
瀬織津姫については、正直、全く詳しくないので、逆に教えていただきたいと思うのですが、見ていくと興味深いものがあり、また「特別編」で少し触れてみたいと思っています。
「君の名は。」妄想談義・特別編「立花の読み解き」
そもそも「君の名は。」という映画について、知っておられるという前提で、マニアックな話をしてきましたが、もしかしたら知らないという方もおられるかもしれません。
下記が予告編になります。
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「君の名は。」予告(1分32秒)
https://www.youtube.com/watch?v=k4xGqY5IDBE
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前回までの大まかな流れになります。
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「三葉」=「みつは」=「光八」=「光神」=「天照大神」!!
「瀧」=「さんずい」+「龍」=「水=青」+「龍=蛇」=「青銅の蛇」=「イエス・キリスト」
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宮水三葉=天照大神
立花瀧=瀬織津姫(天照大神の荒魂)
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立花瀧=五芒星=火(日)=イエス・キリスト=橘の五弁の花=白=男性性
宮水三葉=六芒星=水=天照大神=桜の五弁の花=ピンク=女性性
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前回は、特に立花瀧の姓、「立花」=「橘」について話が広がっていきました。
初めは、「立花」というのはあまり意味がないのかと思っていたのですが、「立花」=「橘」となり、その意味を探っていくとどんどん横道にそれていきました。汗
ここからさらに横道にそれますが・・・「立花」とは「たちばな」の読みの他に、「りっか」「たてはな」とも読みます。
「立花」=「りっか(たてはな)」=「立華」と見たときに、また意味が広がる気がしました。
意味はこのような意味とされます。
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1 花瓶に立てて仏前などに供える生花。
2 室町末期に様式が定まった、床飾りの花。のち立花(りっか)に発展した。
3 「華」の字を、「花」と区別していう語。
1 花や枝などを花瓶に立てて生けること。たてばな。
2 生け花の型の一。江戸前期に2世池坊専好(いけのぼうせんこう)が大成した最初の生け花様式。
真とよばれる役枝を中央に立て、それに副(そえ)・請(うけ)などとよばれる七つの役枝(七つ道具という。のちに九つ道具となる)をあしらって全体として自然の様相をかたどったもの。現在、池坊に伝承されている。たてばな。
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花瓶に花や枝を立てる生け花ですがこの姿が何かを連想します・・・。
そもそも「花」という漢字が興味深いのです。
「花」の意味をみるとこうあります。
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「草木が、自己と同じ種類の新しい個体をつくる為の器官。雄しべ、雌しべ、雄しべと雌しべを保護する、小さな切れ端(花びら)などから成り立っている。雄しべが出す花粉が雌しべにつくと、実が出来て、その実の中に種が出来る。」
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なるほど・・・。
「実が出来て、その実の中に種ができる」それが花だといいます。
そして、「花」は「美しいもののたとえ」とされ、「華」は「最も優れているもの」とされるといいます。
「花」=「華」=「最も美しく、最も優れているもの」
「美しい」の「美」という漢字もおもしろく、かなり以前に見ましたが、「美」=「羊」+「大」
よく「羊」が大きい様が美しいと言われますが、正直、よく分かりません。
しかし、漢字に聖書の視点を入れると、この「美」の意味が見えてきます。
最も大きな羊、これは羊のトップであり「羊の主」そう・・・神の子羊です・・・!!
ウィキペディアにはこうあります。
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神の子羊(神の小羊、かみのこひつじ)は、イエス・キリストのことを指す表現のひとつ。
キリスト教神学において、人間の罪に対する贖いとして、イエスが生贄の役割を果たすことを踏まえており、古代ユダヤ教の生贄の習慣にも由来する表現である。
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旧約聖書の時代には、実際に羊や牛が屠られて神の儀式がなされていましたが、だからこそ、「犠牲」という漢字には、よく見ると「牛」や「羊」という漢字が含まれているのです。
この漢字も、まさに聖書から見なければ読み解けない漢字です。
つまり、漢字の根幹には聖書の思想があるということであり、聖書をベースに読み解いていけば、漢字の本来の意味が見えてくるということにもなります。
拒否反応を示す方もおられるかもしれませんが、これが日本いう国の不思議さであり奥深さです。
「草冠」と「化」
話があちこちに飛んでいますが・・・「花」に話をもどすと、「花」という漢字は「草冠」と「化」から成る漢字ですが、「草冠」は「並び生えた草」を意味し、「化」は「左右の人が点対称になるような形」の象形だといいます。
また別のところでは、「化」とは「横から見た人の象形」と、「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から、「人の変化・死にさま」を意味するといいます。
「化」=「復活する」
「化」に「人の変化、死にさま」がある・・・というのは意味深です。
そもそも「化」とは「化ける」「変化する」という意味があります。
そして「死にさま」から、死んで・・・そして、「化けて」復活する・・・
「化ける」とは「別のものになる」「全く新しい物質になる」という意味合いもあるが分かります。
死んで、そして全く別のものになり「復活する」・・・妄想の答えが見えてきました。
「花」は死と復活(蘇生)を象徴
「花」に戻ると、そもそも「花」は、桜の花を見てもわかるように、短い時を美しく咲いて「散っていきます」。
これは花の「死にさま」でもあるのですが、同時に、花には「実が出来て、その実の中に種が出来る」というものですから、散っても(死んでも)、実ができ種ができ、再び新たな生命が生み出されます。
これは、死と復活(蘇生)を象徴し、先にみたように、花とは、草冠の下の部分、「人偏」と、「匕」が点対称となることから、陰と陽の対象の象徴でもあり、もっといえば、生と死の対象を象徴します・・・!!
「花」の「艸」(草冠)
そして、「花」の「草冠」ですが、元々「艸」と記しました。
これは「艸」が三叉に分かれたものが二つあるのが分かるように、「三神」+「三神」を象徴しますが、同時にイエス・キリストが十字架の時に頭部につけられた茨の冠を象徴します。
「草」という漢字は「艸(草冠)」+「日」+「十」となりますが、「日」を太陽神イエス・キリストとみれば、茨の冠(艸)をかぶったイエス・キリスト「日」が十字架(十)にかかることを、「草」という漢字で象徴的に示しています。
また「草」は「ソウ」と読み「葬(ソウ)」=「死」でもあり、「創(ソウ)」(はじめる意)=復活でもあるのかもしれません。
話がそれましたが・・・いままでごちゃごちゃとみてきましたが、「花」の妄想の果てはこうです。
「花」とは、「草冠(艸)」=「茨の冠をかぶるイエス・キリスト」と「化」(「人遍」+「匕」=点対称で、「陰と陽の象徴」「生と死の象徴」=「死と復活」となり、ずばり「花」=「草冠」+「化」=「イエス・キリストの死と復活」!!
つまり、「花」とは散りゆく儚さと、実をつけ種を生み出しふたたび生まれ変わることの象徴でもあり、イエス・キリスト=天照大神の象徴でもあると言えるのかもしれません。
「復活体」=「永遠に死なない体」
ちなみに、このイエス・キリストの死と復活とは、ただ、生き返っただけではありません。
聖書の記述をそのまま素直に受け取れば、これは、生きているときとは、全く別(=「化」)の「復活体」になったことを意味します。
「復活体」とは「永遠に死なない体」になります・・・!!
イエス・キリストが人類に示した証として、十字架の死と復活があると言われています。
ということは・・・いずれに人類もそのような「復活体」になるという「予型」を示したのが、イエス・キリストだとも言えます。
「十字に立つイエス・キリスト」
話があちこちに飛んでいますが、「立」も非常におもしろく駆け足で見ていきますが、「立」とは「足場を定めてたつ。まっすぐにたてる。」という意味があり、また「立」の漢字が「一線の上に立つ人」の象形から、「立つ」を意味するといいます。
確かに、「立」という漢字をよく見ると、下の線が「大地」で「真ん中の二本の縦線」が両足、「鍋蓋」のような上の部分が、「頭部」と「両手」を表しています。
ですから、すくっと立って、両手を広げている姿勢・・・まさに十字の象形とみることもできます・・・!!
ですから「立花」とは、「立」=「十字架の人体」「花」=「イエス・キリストの死と復活」から、「立花」という苗字自体が、「十字に立つイエス・キリスト」という見方もできるのかもしれません。
宮水三葉=天照大神(女神)
立花瀧=イエス・キリスト(男神)
と見てきましたので、「立花」という苗字からも、イエス・キリストを彷彿とさせるようにも思います。
橘=不老不死の樹=永遠の生命を象徴する樹=生命の樹
またまた、余計な道草をくってしまい前置きが長すぎました・・・汗
前回の最後で「立花」=「橘(タチバナ)」からこの「橘」が、「非時香実(ときじくのかぐのみ)」という、不老不死を象徴する実だという記述に行き当たりました。
もう時間もないので、以下の引用だけしてみます。
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こぼれ話
タチバナは古くから神聖な樹とされ、古事記や日本書紀にも逸話として、あるいは名前として多く登場する。
さらに万葉集にはタチバナが登場する歌が約70首(第5位)ある。
「非時香実(ときじくのかぐのみ)」
古事記および日本書紀の垂仁天皇の段の最後に登場する話。
天皇の命で田道間守(だぢまもり)が常世の国に非時香実を探しに行く。
この実を食べると不老不死になるといわれ、海の彼方の誰も行くことのできない国にあるとされている。
田道間守は苦労してこれを持ち帰るが、すでに天皇は亡くなっており、陵墓の前で泣き叫んだまま息絶えてしまう。
この実が橘である。
タチバナの語源もタヂマモリが転じたとする説がある。
あるいは田道間守の名そのものが、「田の道で(香りが)目立つ存在」の意を持つとも考えられる。
橘が不老不死の薬とするのは、中国の神仙思想の影響を受けている。
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「橘」が不老不死の樹・・・。
これはおもしろい・・・と思いました。
そして、このタチバナ、不老不死の樹、立花瀧がイエス・キリストの象徴とみれば、すべてが繋がってきます。
もうお分かりだと思いますが、不老不死の樹とは、永遠の生命を象徴する樹・・・。
すなわち・・・
「生命の樹」・・・!!
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橘=不老不死の樹=永遠の生命を象徴する樹=生命の樹
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立花とはイエス・キリストの象徴でしたが、実は生命の樹とは、永遠の生命の象徴ですので、永遠の生命をもって復活体となったイエス・キリストの象徴でもあるのです。
つまり、「立花」=「橘」=「不老不死の樹」=「永遠の生命を象徴する樹」=「生命の樹」=「イエス・キリスト」・・・!!
こういったことから、やはり立花瀧は、イエス・キリストの象徴となるのではないかと思います。
この永遠の生命を象徴する「橘」(=生命の樹)に、宮水三葉の象徴であった「桜」もまた関連してくるのですが、そのあたりのことについて次回触れてみたいと思います。
本当に長い妄想となりすみません。
速く抜け出したいのですが・・・汗
最後まで読んでいただきありがとうございます。
日野
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