何度目か分からない「銀河鉄道の夜」鑑賞と伊勢湾台風と伊勢神宮への爆撃での伊勢神宮の「奇跡」

何度目か分からない「銀河鉄道の夜」鑑賞と伊勢湾台風と伊勢神宮への爆撃での伊勢神宮の「奇跡」

いつもありがとうございます。
日野です。

昨日は、妻がまたまたKAGAYAさんのプラネタリウムの作品『銀河鉄道の夜』が、滋賀県でやっているからということで、鑑賞してきました。

もう何回目になるのか・・・笑
妻に今日で何回目になるの・・・?と聞いたら、う~ん、分からない・・・というくらい観ているのですが(笑)

「デジタルスタードームほたる」という、琵琶湖岸沿いにあるプラネタリウムで観てきました。
意外にも、こんなに観ているのに滋賀県で観るのは初めてでした。

作品中に流れる主題歌が以前、ご紹介しましたがとても素敵で何回も聴いていたい曲です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
銀河鉄道の夜 one night 歌詞付き Fantasy Railroad in the Stars
https://www.youtube.com/watch?v=8iYW6J1EAvY
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

作品はプラネタリウムで観るのが何といっても一番感動的ですが、下記にフルでありました。
興味があれば、ご覧ください。
映像がとにかく美しく、観ているだけでも癒やされる効果があります。

興味があればぜひお近くのプラネタリウムでやっていることがあれば、観に行ってみてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『銀河鉄道の夜』フルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=RhERGX6kZvo
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

い草財布の新たな使い方

今日は感想をいただきましたのでご紹介いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先ほどい草財布届きました。
ありがとうございました。

ここ三日ほど首と目と頭が圧迫されたように重く痛かったのですが、い草財布を首とおでこにあてて、しばらくすると重みが取れ楽になりました。

いきなりこんな使い方をするのはどうかともおもったのですが、い草の香りがあまりに心地よかったので手が勝手にやってました。

素敵な商品の紹介ありがとうございました。
大切につかわせていただきますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ありがとうございます!

い草財布の新たな使い方・・・笑
でもい草自体に癒やし効果がありますので身につけているだけでも、手にしているだけでも、人体を癒す力があるのかもしれません。

この財布は2015年12月から僕自身はずっと使わせていただいていますが、本当に凄い・・・効果を実感しています。
お金を浄化していくことが本当に大切なのだと・・・そのことを深く実感しています。

ぜひお持ちの方は、ただ浄化されたお金が、周囲に広がっていって「循環」していくのだということ一点のみを思い、感謝の気持ちで、お金を出していってみてください。
これは本当に凄い・・・です。
自分がいつの間にか大いなる循環の中にいることに気づいていくでしょう。
今も少しずつ、有り難いことに欲しいという方がいらっしゃって、商品も動いていっています。

い草職人の坂田さんが作り続けていただいていますが、ひとつひとつ手作りなので、いつまでも永遠に作り続けていただけるわけではないですが、作り続けていただける限りは、製作期間をお待ちいただきながら、お渡ししていっていますので、ピンときたらぜひ手にしてみてください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
い草財布&い草名刺入れシリーズ
http://treeoflife.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=%A4%A4%C1%F0%BA%E2%C9%DB
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

伊勢湾台風と伊勢神宮への爆撃での伊勢神宮の「奇跡」

先日は契約の聖櫃アークと元寇についてみるといっていましたが、メルマガのお客様から大変興味深い話をいただきましたので、そちらを先にご紹介しようと思います。

そのことはご存知のかたもおられると思いますが、終戦間際の伊勢神宮への爆撃作戦が実施された時の、不可思議な現象についてです。
僕は教えてもらうまで知らなかったのですが、こんなことがあるのか・・・と驚嘆しました。

その前に、伊勢湾台風という甚大な被害を出した台風が、昭和34年に起こっていますが、この時にも不思議なエピソードが残っているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1959年(昭和34年)9月26日に潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心とし、ほぼ全国にわたって甚大な被害を及ぼした台風である。
伊勢湾沿岸の愛知県・三重県の被害が特に甚大であり、「伊勢湾台風」と呼ばれることとなった。

人的被害は、紀伊半島の和歌山県、奈良県、伊勢湾沿岸の三重県、愛知県、日本アルプス寄りの岐阜県を中心に犠牲者5,098人(死者4,697人・行方不明者401人)負傷者38,921人(「消防白書」平成20年度版)にのぼり、さらにほぼ全国に及んだ経済的被害は破格の規模となり、明治維新以来最大の被害を出した台風である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この伊勢湾台風において、伊勢神宮にもまともに台風が来たのですが、結論から言えば伊勢神宮の本殿は守られました。
そこから後日、いろいろな都市伝説的な逸話を生むことになるのです。

「伊勢神宮のちょうど上空で台風がパッと消えた」
「伊勢神宮を避けるように台風が進んでいった」
「伊勢神宮のちょうど上空あたりで台風の勢力が弱まった」
「伊勢神宮の直前で台風が左右に分かれた」
などなど・・・。

これについて、下記サイトに、興味深いエピソードがありましたので引用させていただきます。
http://midorimatu.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-fae8.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伊勢湾台風のときには数抱えもある太い杉の大木が、風力によって幹の中途から挫し折れ、薙ぎ倒されたにかかわらず、その倒木が伊勢大神宮の御正宮には、一本も倒れかかることなく左右に倒れて、御正宮には何の被害もなかった台風。

直後の実状を角田氏自身がその眼に見たことを、次のように書いているのである。

「台風はしばしば竜巻状となったというのに、算を乱して倒れた御正宮周囲の樹林も、一枝だに御正宮には倒れかからず、無数の倒木がすべて御垣すれすれに、倒れ伏しているのであった。〈註・その写真が出ていた〉その有様は、さながら御正宮を死守して倒れた勇士の姿であった。右に左に倒れながら御垣だに損傷していない不思議な姿は、神木霊ありというほかはなく、各宮すべて御正宮は安泰であった。神威まことに厳然たりしこと一点の疑いなく・・・・・」

このような光景は当時吾々の機関誌にも報道されたのであるが、吾々のきいた処によると、台風が伊勢内宮の正宮の前まで来ると、突然台風が進路をかえて二つに分れて左右に走った。
それで神宮左右には巨木が倒れていたのであるが、数抱えもある杉の大木を、途中から吹き折るほどの風力であるから、人間が構築した神宮の建物など、当り前なら寸断されて吹っ飛んでしまっても、当然であるのに御垣ひとつすら、風で吹きとばされなかったというのは、周囲の神木が正宮を護ってくれたというよりも、神宮神霊の神威顕現によって、さすがの暴威を揮った伊勢湾台風も、正宮の前まで来ると正宮社殿には一指も触れられないで、二つに割れて飛び散ったという方が、真実だという気が私にはするのである。

台風一過後生長の家誌友が多勢、倒れた神木の整理や後片付けに奉仕して、その時、いろいろ奇蹟的な体験が報ぜられていたが、それは当時の機関誌等に載ったから、それに譲るとして、神宮の神威の顕現は、伊勢湾台風をすら正宮の直前で、台風の方向を破壊してしまう力がある位であるから、伊勢神宮に空襲があり、爆弾や焼夷弾をいくら投下しても、それを撥ね返してしまう力があっても、不思議ではないのである。

千年の樹齢の巨木の幹を途中から吹き折るほどに猛烈な台風も、神宮の正面までくると突然左右に分裂して、神宮に一指も加えることができなかったのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このように伊勢湾台風時には、伊勢神宮の本殿は吹き飛ばされても、全く不思議ではない状況でしたが、無事であった・・・という事実があります。

そして終戦間際の伊勢神宮への爆撃の話へ繋がっていきます。
伊勢神宮を破壊すれば日本の精神性をズタズタにできるとみたアメリカは、伊勢神宮への爆撃を決行します。

しかし・・・

結論から言えばこれもまた不成功に終わったのです・・・。

下記サイトから引用させていただきます。
https://ameblo.jp/furaaki/entry-12190450513.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私も少し前に知ったのですが、偶然に関連記事を目にするまでは、伊勢神宮が空襲に遭っていたなんて思いもしませんでした。
ですがこの話、詳しく調べれば調べるほど「奇跡」としかいいようがなく、これは記事に書くしかない!と思った次第です。

米軍による神宮への空襲(宇治山田空襲)は全部で3回。
アメリカ軍のこの空襲の目的は“神なんていないんだ”と、日本人が信仰している神宮を焼失させ、戦意を失わせることにあったといわれています。

1回目は昭和20年1月14日、外宮に焼夷弾が投下されます。
しかし五丈殿や斎館に少し被害がでただけで、御正宮には被害がありませんでした。
2回目は6月26日、別宮の瀧原宮に投下。
名木の“太郎杉”は失われてしまいますが、御正宮はこの時もご無事でした。
3回目は太平洋戦争が集結する少し前の7月29日深夜。
それまでの2回の空襲で、神宮にさほどの被害が出なかったせいなのか、3回目はなんと3往復の空襲が神宮に対して行なわれたのです。

2000年もの歴史を持ち、日本人の心の拠り所である神宮が焼かれてしまったら。。。
神宮の大宮司をはじめ全ての神官・職員の方々は避難せず、焼夷弾が落ちてくる真下の御神域で、死ぬ覚悟で待機されたといいます。

雨のように落下する焼夷弾…神宮はどうなってしまうのでしょうか。
まず外宮ですが、正宮の御垣内にも焼夷弾が降り注ぎましたが、火に包まれることはありませんでした。
多賀宮は御階が燃えましたが、警備隊が体をこすりつけて消化したため無事でした。
月夜見宮は、周囲の住宅が全て焼失してしまいましたが、軍隊が懸命に消火活動を行ったことと、社殿の茅葺屋根に突き刺さった焼夷弾をはじめ、ほとんどが不発だったことで大きな被害をまぬがれ、社殿だけが焼け跡に建っているという状況でした。
後日に外宮の御神域から運び出された焼夷弾の残骸は、なんとトラック3台分にも及んだそうです。

そして内宮。
アメリカの40の軍機の照準も次第に正確になり、いよいよ神域に差し掛かります。
ところが、御正宮めがけて落とされた無数の焼夷弾は、なぜか途中からカーブを描き、五十鈴川対岸にある鼓ヶ岳山の方向へ落下していき、内宮には全く被害がなく最後まで無傷だったのです!
倭姫宮も宿衛屋は焼失しましたが、本殿は無事でした。

ついに1弾も御神域を傷つけることはできなかったのです。

この奇跡を目の当たりにした神職の方々は、神宮の「御神威」に涙したといいます。
米軍は脅しだけで、実は不発弾ばかりを落としたのではないか、わざと外したのではないかという説もあるようですが、この空襲の時には辺り一面が、昼間のように明るくなっていたということですし、わざと外したとしても何発かは当たりそうなものです。

私は間違いなく神宮の神々のお力だというように感じます。

元寇襲来や伊勢湾台風の際にも、このように神宮がご神威を示される話がありますが、この空襲のお話は特に、神宮のご神霊のお力を感じられるものだと思いました。

アメリカ軍は空襲を行うことで神宮のご神威を貶めようとしましたが、逆に神宮のご神威を証明し、日本人にとって揺るぎないものとしてしまったといえますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このように、アメリカが執拗に伊勢神宮への爆撃を狙いますが、本当に不思議なことに本殿はすべて無事であった・・・ということです。
伊勢神宮には何か不思議な力がある・・・としか思えない出来事に思えます。

特に3回目の爆撃は三往復の爆撃という、アメリカも必死で攻撃してきているにも関わらず、伊勢神宮内宮への本殿への爆撃は、途中からカーブを描いて反れていったということになります。

もしここに・・・伊勢神宮に関わる「至宝」が関わっているとしたら・・・
僕自身は、こういった現象もうなずけるものがあります。

そう・・・契約の聖櫃アーク・・・!!

そして契約の聖櫃アークに納められたという三種の神器である、八咫の鏡(十戒の石版)は伊勢神宮内宮にあり、八尺瓊勾玉(マナの壺)は伊勢神宮外宮にある、とされていますので、それらの神器の力もあったのかもしれません。

もし仮に、伊勢神宮内宮の地下宮に、契約の聖櫃アークがあるのだとしたら、これら一連の伊勢湾台風や終戦間際の伊勢神宮への爆撃、そして、元寇の時の神風などを引き起こした、なにかとてつもない力が伊勢神宮にはあるということを感じます。
その鍵となるのがおそらく・・・契約の聖櫃アークだと僕自身は思います。
これは話半分で聞いてください・・・。

僕たちは今、日本という国があること日本人として生まれたことを、本当はもっと感謝すべきなのかもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

コメント

タイトルとURLをコピーしました