「田」の漢字に秘められた恐ろしい真意
いつもありがとうございます!
日野です。
先日は雛祭りでしたが、日本という国は、こういった何気ない文化風習、そして「漢字」や「言葉」にも、いろいろ重層的な意味を込めるのが得意な民族です。
言葉はいってみればダジャレの文化でもあり、同じ言葉で違う意味があったり、いろいろな言葉遊びができます。
おやじギャグなどはまさにそうです。
以前も取り上げたかもしれませんが、「田」という漢字は、「□」+「十」という漢字から出来ており、これは「□」を「○」という囲いでみれば「○」+「十」です。
この「○」に「十」を入れると、薩摩島津藩の旗でもありますが、これは日本の裏のシンボルでもあります。
そして、「○」は「誕生」の「陽」を示し、「十」は、「死」の「陰」を象徴し陰陽が示されています。
「田」というのは通常であれば、田んぼであり、そこから一粒万倍のお米が収穫できますが、これは日本人にとってはなくてはならない穀物です。
だからこそ「田」は「田から」収穫できるお米が、非常に大切なものであるからこそ「田カラ」=「宝」と言ったのです。
しかし、そこだけにとどまらないところが日本の奥深さであり、そこにさらに重層的に裏の意味が込められています。
ある意味、恐ろしいことなのですが「田」とは、何を意味するのかと言えば、結論から言えば聖書に描かれている「エデンの園」を意味します。
は・・・???と思われたと思いますが・・・(汗)
「田」とは「デン」と読みますが、これは「エデン」の「デン」と偶然なのか、かぶります。
「エデン」とは「恵田」ではないのか・・・?と感じます。
「恵」は神の恵みで、「田」は「土地」とみれば、神の恵みの地が、まさに聖書に描かれている「エデンの園」です。
ここまでは、言葉遊び的な意味合いですが、本質は「田」という漢字にあります。
「田」とは「口」+「十」といいました。
聖書にはこう記されています。
ウィキペディアから引用します。
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『創世記』の記述によればエデンの園は、「東の方」(2:8)にあり、アダムとエバは、エデンの園を耕させ、守らせるために、神によって、そこに置かれ(2:15)、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は園を潤し、そこから4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあった、ハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川(チグリス川)、ユーフラテス川)に分かれていた[5](2:10-2:14)。
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この記述から分かるようにエデンの園には、流れでた1つの川があり、そこから4つの川に分かれていたとあります。
この4つの川を象徴的に表すと、「十」という4方向に伸びた字にならないでしょうか。
そして、「□」(○)が、神の恩寵に包まれたエデンの園を象徴します。
つまり、「田」という漢字一文字で、裏の意味で「エデンの園」を象徴しているのです。
そんなばかな・・・と思われると思いますが、日本人はこのように見えるとことに、何重もの意味を込めているのです。
その仕掛けは本当に驚くほど深いです。
そして、誰もが見えるところに堂々と真意を隠すのです。
誰もが知らないところにこっそりと隠すのではなく、誰もが普段何気なくみているところに、堂々と見えながら隠すのです。
これが日本人の本質です。
となると、「田から」の真意は「田」=「エデンの園」から、「田から(宝)」=「「エデンの園から」となりますので、本当の「宝」とは、エデンの園にあるといことです。
真の宝とは、エデンの園に神が置かれた、アダムとエバという「人類」であり、エデンの園にある「生命の樹」であるということになるのかもしれません。
「田」のつく名字はいろいろありますが、合計すると、日本では最も多いのではないでしょうか。
そういう深い意味があるのだとわかると、また違った目で見れるかもしれません。
なぜ聖書と漢字が深く関係するか?
なぜ聖書と漢字が深く関係するかといえば、それは以前からも書いてきたように、聖書の思想をもった古代イスラエルの集団が、日本には重層的にやってきているからです。
旧約聖書の民も新約聖書の民も、シルクロードやステップロードを経て、極東の地、日本にかつてやってきています。
こういう言い方は怒られるかもしれませんが、中国の漢字も、言ってみれば本当は日本人の祖が創ったということになります。
中国を統一して文字を統一したという、秦の始皇帝も中国人ではありません。
古代イスラエルの血をひく人物である可能性があるのです。
さらに秦の始皇帝が不老不死の妙薬を求めて遣わしたという、「徐福」という人物も中国人ではありません。
かれは1度目は失敗して戻ってきますが、2度目に大集団を引き連れて、そのまま戻ってきませんでした。
どこへ行ったのか・・・?
日本には不思議と徐福伝説が、丹後や那智勝浦やいろいろな場所に残っています。
結論を言えば、日本に来て物部氏の祖となったのです。
その中核にあるのが丹後半島にある「籠神社」になります。
店名の由来
ということで、マニアックな話になりましたが(汗)
話を戻しますと、「田」という漢字の真意は「エデンの園」を象徴するということです。
「エデンの園」には、永遠の生命の象徴である「生命の樹(いのちの樹)」があるといいますが、考えてみれば、5年前くらいか、店名を変更するときに「いのちの樹」と店名につけてしまったのは、恐れ多かったようにも思います・・・汗
正直、何でこの名前になったのかよく覚えていないのですが(笑)
いくつか考えて候補にあげていたなかから、この名前が自分の中では、非常にしっくりきたというのがあります。
当然ながら、このエデンの園の生命の樹を意識して、名をつけさせていただきました。
生命の樹も非常に深くて、深すぎて未だに本質はつかめていないと思いますが、一言で言えば、「永遠の命」です。
これが自分が天職として今の仕事をするうえにおいて、根幹的にある思いです。
この誰もがもっている「永遠の命」を、この人生でどれだけ光輝かせることが出来るのか。
それを、健康や意識、精神から高めていくためのお手伝いをさせていただくために、今の仕事をしているのだと僕自身は思っています。
永遠の命(生命の樹)に到達することを目指して、人類は進化していくといいます。
オーガニックガーデンの「ガーデン」も庭園という意味では、いのちの樹があるエデンの園を彷彿とさせるようにも思います。
オーガニックガーデンいのちの樹のロゴマークも、時間がないなか、必死こいて考えて創ったのですが
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ネットショップトップ画像の左上にロゴあります
http://treeoflife.shop-pro.jp/
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ロゴにある、二本の樹も、エデンの園に生えているという、「知識の樹」と「知恵の木(生命の樹)」を表すようにしましたので、この時からやはりエデンの園を意識していたことが分かります。
この店が、生命の樹のある恵みの地となり、ご縁のある方がひとりひとりの生命が、光り輝いていってほしい、そういう願いがあるのだと書きながら改めて気づきました。笑
その思いを忘れずにこれからも、店をやっていきたいと思います。
僕自身、キリスト教の信者ではないですし、まわしものでもないのですし、宗教の勧誘など一切ないのでご安心ください。笑
もしかしたら、店名から、勘違いされる可能性もありますね・・・。
ただ僕自身は何も宗教はしていませんが、日本人という本質をみていくと、聖書とか、仏教とか、そういうことを見ていかざるをえないというのがあります。
ちなみに、あのロゴマークは僕の手書きにしたものを元に、デジタル化してもらったものです。笑
ロゴマークには他にもあの時はあれこれ考えて、マニアックな象徴をたくさん込めていますが、また機会があればお伝えしたいと思います。
ということで、すみません、マニアックな話しだけになりましたが、長くなってしまいましたのでここまでとさせていただきます。
たまには、息抜きの話もいいかなということで、ご勘弁ください。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
日野
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