日本の国旗
先日2月11日は、建国記念の日でした。
お客様のところに、夜配達に行くと、日の丸の国旗が掲げられていました。
僕が小さい時には、休日や祝日に日の丸を掲げているところはよく見ましたが、今ではほとんど見なくなりました。
日本の国旗は、本当にシンプルですが、美しいなあと思います。そして、シンプルですが、非常に深い。
日の丸の赤い「丸」と白地の「四角」で「陰陽」を象徴していますが、丸は、コンパスで描くことができて、四角は、定規で描くことができます。
ここから、日本の国旗というのは、コンパスと定規が象徴として浮かび上がるのですが、コンパスと定規をシンボルにもつ団体といえば、知っている方は知っているかもしれませんが、「フリーメイソン」の象徴となります。
フリーメイソンは、秘密結社で影で世界を動かしている・・・
といったことが言われますがここには大きな誤解もあります。
実は、古代日本という国は、いわばフリーメイソンの大元であり、近代フリーメイソンよりも遥かに古い歴史があります。
近代フリーメイソンは石工が元ですが、日本での石工、すなわち大工の祖といえば、それは、聖徳太子を指すのです。
日本という国は、謎を堂々と見せながら真の姿を隠すという、高度な象徴をいたるところに仕掛けています。
これを国仕掛けといいます。
建国記念の日だったから、ということでもないのですが、「国」という漢字をみても興味深いものがあります。
「国」=「□」+「玉」ですが、単純に見れば、「□」で国という囲いを意味し、「玉」は「宝」という漢字からも分かるように「宝」を示唆していて、「玉」には「きわめて大切に思う貴重なもの」という意もあります。
そう見れば、日本という「国」に、「玉」という「宝」が隠されていることを暗示しているのかもしれません。
実際に、日本という国は、秦氏や物部氏によって大切な「宝」が持ち込まれている可能性があり
(というか持ち込まれているのですが)その「玉(宝)」を世界の目から覆い隠すために、さまざまな国仕掛けをしています。
実際は「ある」のに、象徴によって「見えない」ように・・・しかし、見る人が見れば、「ある」ように見えてくる・・・というような仕掛けがなされています。
また「玉(ぎょく)」のことを、ずばり「天皇」という意でも使い、幕末の志士たちは天皇のことを、ひそかに玉(ギョク・タマ)と言ったといいます。
第二次世界大戦の終結時は、天皇による「玉音放送」が流されましたが、ここからも天皇のことを「玉」ということが分かります。
そのようにみれば、「国」とは、まさにそのまま「天皇(玉)の国」である、という意にもとれるのかもしれません。
また、書きながら気づいたのですが、玉は、「玉」=「たま」=「球」とみることができ「玉」=「球」=「○」とみれば「国」とは、「□」と「○(玉)」となり、まさに日の丸の国旗が浮かび上がります。
「玉」=「三」+「│」+「、」とみればここでも、「三神」が宿る国であると、強引ですが、見ることもできるのかもしれません。
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2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り新暦に換算した日付である。
1873年(明治6年)に、2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」と定められ祭日となり、翌年から適用されたが、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に、占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。
その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用された。(参考:主権回復の日)
なお、神武天皇は、古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存したとあるが、現在の歴史学では、考古学上の確証がないこと、また古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない。
(ウィキペディアより)
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神武天皇の物語も実在するのかということを含めて、神話であるというのが定説です。
ただ、この物語が、全くのデタラメであるかというと、そのようなはずもなく、古事記、日本書紀が編纂されるからには、そこには史実を反映した内容となっているはずです。
そして、神話や伝承という形で何重にも仕掛けを施していっているので、非常に奥の深い書物になっています。
普通に読んでも、神話の世界は物語としての読み物にもなり、おもしろいと感じます。
このような神話を馬鹿にするのではなく、大切にしていきたいと個人的には感じます。
豊かさのマインド
実際の有料セミナーをそのまま見れるということで、非常に有り難いと感じます。
竹井さんは、1980年に熊本県天草市牛深町というところに生まれたそうです。
漁師町で、誰もが漁師になるしか道がないと思っていたといいますが、竹井さんは、あることをきっかけに漁師にはならないと決めます。
その後、投資の道を歩み、今ではお金を本当に有益なことに使い、社会貢献をされていっています。
そのことを集約したのが前回、僕がたまたま少し前に購入して読んでいた本でした。
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The Money 7つの原則~私たちは幸せなお金持ちになるために生まれてきた~
http://goo.gl/oWawDy
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お金に対してのマインドが書かれていて、学びとなりました。
お金に対しての向き合い方、お金に対しての意識が豊かになれるか、そうでないかの分かれ目になるといいます。
そして、お金があっても、お金がなくても、それはどちらも「学び」となる、ということをおっしゃっていましたが、まさにそうだと感じました。
お金をどうやって得るかというよりも、お金をどう生かしていくのかということや、お金に対しての意識(マインド)のほうが大切であると思いますし、その部分を抜き落として、お金を得ることをあれこれやっても、付け焼き刃でしかなく、永続的な豊かさは難しいのではないかと思います。
特に竹井さんがおっしゃるお金、豊かさのマインドは重要です。
実際に成功している方の生の講演ですので、お金や豊かさの学びが多々あると思います。
http://infotop-acenter.com/lp/3715/276151/
僕自身も、お金と豊かさのマインドについて学びの途中ではありますが、また、音声を公開できればと思っています。
「福(=人間関係)」、「禄(お金・豊かさ)」「寿(健康)」の「福禄寿」すべてを向上させていくことが、人生の幸せにつながっていくと思います。
そして、自分自身が満たされていけば、それを周囲にあふれさせていくことで、周りの人たちの幸せにも貢献していけるはずです。
そして、その生き方が「天意」に沿うものであれば、天が応援してくれる(流れに乗る)のだと思います。
最近は、すみません、健康の話題以外のことが多いように思いますが(汗)僕の中では、中核に「福禄寿」を向上させる生き方を、このメルマガでご提供できればと思っています。
すべては「福禄寿」へと収斂していく生き方をご提供したいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
日野
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