預言からみる「終末」の時期と「君の名は。」妄想談義・特別編「地玉」

預言からみる「終末」の時期と「君の名は。」妄想談義・特別編「地玉」

いつもありがとうございます。
日野です。

新型コロナウイルスに関しては、教の東京都の感染確認は10人ということで、緊急事態宣言以降最も少なくなったと報告されています。

毎日、何人感染したという報道は、それだけでも新型コロナウイルスを気にすることになりますし、昨年や一昨年のインフルエンザの大流行の時は、毎日何人感染したなどとは報道されませんでした。

それよりも、ひとりひとりが意識と免疫力を整えていくことのほうが、ずっと大切であると思います。

そして、これで終わりではないという認識も、もっておく必要があります。

預言からみる「終末」の時期

以前も何度か取り上げましたが、「日月神示」という預言書にはこうあります。

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子の歳真ん中にして前後十年が正念場、世の立て替えは水と火とだぞ。
(磐戸の巻 第16帖)
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今年がまさに「子」の歳ですから、前後十年ということは、これから約5年は正念場が続くと見ることもできますが、本当の意味の正念場とは、次の「子」の歳である2032年の前後十年が、本番になってくるような気もしています。

聖書の記述を信じるとすれば、アダム誕生から約6000年後に終末期が来て、時代が終わり、その後、福千年が1000年間あると言われています。

神の1日は人の1000年にあたると言われていますので、6000年目を過ぎた第7日目が安息日となり、これが天地創造の7日間にも重なることにもなり、1週間の7日にも相当しています。

だから月曜日から始まって7日目の日曜日は、安息日にあたり人類は休息をとります。

今は日曜日が週の初めとなるカレンダーが、主体になってきていますが・・・。

いずれにしても、アダムの誕生は諸説ありますが、ウィキペディアに記されている紀元前4026年とすれば、それから6000年後は、2026年となり、聖書に従えば、まさにこの現代において終末期を迎えるということになります。

多少の誤差はあるでしょうから、正確な時期は前後すると思いますが、しかし、2000年代に突入した今、残された時間はあまりない、ということも言えます。

終末期と言うと地球が滅びるのか・・・人類が滅びるのか・・・、と思われるかもしれませんが、今までにもお伝えしてきたように決してそうではありません。

その後の世界があります。

もちろん全人類が移行できるというわけではなく、厳しいと思える部分もありますが、移行するための「道」も示してくれています。

聖書や預言やでたらめだと言うのであれば、信じる必要は全くありませんが、こういった預言などは、馬鹿に出来ないものがあると僕自身は感じています。

ただ、そうなってくると、地球が誕生して約46億年というのは、気が遠くなるような年代であることが分かりますが、この年代は、これは本当なのか・・・という疑問もわいてきます。

この年代算出法は簡単に言えば、進化論や斉一論によって導かれていますが、それらがもし誤りであれば、地球の誕生が46億年という定説も崩壊する可能性があります。

青栁幸利先生からも推薦をいただいています

前回は、貧乏ゆすり(健康ゆすり)の効用についてみましたが、下半身をリズミカルに動かすことは、筋肉の収縮による刺激が脳に伝わり、実は「脳」の活性化にも繋がります。

一番大きな筋肉でもある太ももにある大腿筋があり、第二の心臓と言われるふくらはぎなどが、この貧乏ゆすり(健康ゆすり)によって、筋肉と血管、血流改善に大きく貢献できるのです。

そういった意味で、お手軽にできる「足ふみ健康法ライフ」は、貧乏ゆすりの感覚でリズミカルな足ふみをする器具です。

やってみると分かりますが力は要りません。「ながら運動」ができます。

脳の活性化にも非常に良いということが言えるのです。

このあしうら健康ライフは『やってはいけないウォーキング』『あらゆる病気は歩くだけで治る!』などの著書がある、東京都健康長寿医療センター研究所、老化制御研究チームの青栁幸利先生からも推薦をいただいています。

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「あしふみ健幸ライフ」は、座ったままで歩行運動ができる画期的な健康器具だと思います。

私が群馬県中之条町で18年以上にわたって行ってきた、身体活動と病気予防に関する研究(中之条研究)により、1日8,000歩歩き、その中に中強度活動(安静時代謝量の3倍以上の運動)が20分含まれていれば、要介護や寝たきりの原因となるほとんどの病気を、予防できる可能性があることが分かりました。

この研究成果に基づき、健康寿命の延伸のために、多くの企業や自治体では、中強度ウォーキングを勧める動きが加速しています。

「足ふみ健幸ライフ」は、座ったままで歩行運動ができる、画期的な健康器具だと思います。

これを使用することで、足腰が弱った高齢者やデスクワークが多い就労者でも、いつでも気軽にウォーキングと同様の歩行運動ができます。

今後、この商品の普及によって、様々な健康増進効果が報告されるのを楽しみにしています。
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このように、ウォーキングと同様の歩行運動が、お手軽にできることから大いに期待されています。

自粛モードを逆手にとって、家でできるお手軽な運動などをこの機会にしていき、免疫力を高めていくことが大切だと思います。

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あしふみ健康ライフシリーズ
https://treeoflife.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=%A4%A2%A4%B7%A4%D5%A4%DF%B7%F2%B9%AF
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「君の名は。」妄想談義・特別編「地玉」

ここからは、「コロナ」=「君」から「君の名は。」の妄想談義ですが、前回は、自分の名前についてみてみました。

もはや「君の名は。」からも大きく逸脱している内容となっていますが、前回は「君の名前は。」とタイトルだけを関連付けるという苦し紛れの展開。(‘◇’)ゞ

話は変わりますが、お客様からメールをいただいたのですが、
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全く話はかわるのですが、地球が本当はフラットだという説が世の中にあることを知りました・・
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最近、けっこう僕も目にしていました。

「フラットアース」もしくは「地球平面説」というのですが、「地球平面説とは、地球の形状が平面状・円盤状であるという宇宙論である。 」とする説です。

地球は球体ではなく、平面だということなのですが、ある意味、奇想天外というのか非常におもしろい説です。

しかし、真面目に探求している方もけっこうおられるようです。

もちろん実際に地球を宇宙から見たわけではないので、僕自身、この説が100%間違っているという根拠は持ち合わせていませんし、100%あり得ないということも言えないでしょう。

ただ、いろいろと見ていくうえで、フラットアースの可能性は極めて低い・・・という気がしています。

あくまで個人的な感覚ですし、もちろん断言はできませんが。

太陽=「日球」地球=「地玉」

前回取り上げた「八咫烏秘記」という、八咫烏という秘密組織が保持してきた記録によれば、太陽を「日球」として、地球を「地玉」と記していることは注目に値します。

ここから、この記録をした人たちは、地球は決してフラットアースではなく、球体(玉)であるという認識があったということです。

『失われた超大陸パンゲア文明「アスカ」の謎』(飛鳥昭雄・三神たける)から一部引用してみます。

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『太古の昔地玉には龍が棲み水には巨大な怪物どもが蠢いておった!

大地は単で中央に人の祖の地があったが、日球へと昇華した後、この世界は生き物が喰らい合う死すべき有様となった!

人は始祖を除き、兄弟や姉弟が睦んで子をなし五色の人種が誕生したが、始祖の末は中央の黄金色の黄人で歴代の王となり世界を治めた!
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このように地球のことを「地玉」と記している以上は、この書を記した人たちは、地球は「球体」であるという認識で書いています。

「龍」や「巨大な怪物」が蠢いていたというところは「恐竜」を彷彿とさせますが、なぜこの人たちは、恐竜のことを知っているのでしょうか・・・。

定説によれば、恐竜は約6500万年前に絶滅したと言われています。

どう逆立ちしてみても人類と出会うことはありえません。

記述できるはずもないはずです。

しかし、カブレラ・ストーン、別名「イカの石」と言われる膨大な石には、恐竜としか思えない生物がたくさん描かれています。

しかし当然ながら、アカデミズムからは認められていません。

地玉(地球)はひとつの大陸であった

話を戻しますが、『大地は「単」で』というのは、大地は「単一」であったということであり、ここからかつては、地玉(地球)はひとつの大陸であったということが分かります。

これが地質学で言われているひとつの大陸「パンゲア大陸」であり、『中央に人の祖の地』というのは、聖書に照らせば「エデンの園」となります。

つまりパンゲア大陸の中央に、エデンの園があったというように読み取れます。

しかし、その「人の祖の地」は「日球」へと昇華したとありますので、これは「日球」=「太陽」へと、神によって取り上げられた・・・と見ることができます。

このように、聖書と八咫烏秘記は見事にリンクした内容となっています。

これは偶然ではありません。

聖書の民と日本の民は、祖を同じくする可能性があるということになります。

菓子の語源・由来

話が最初から逸れていますが・・・「橘」のエピソードに出てきた、生命の樹と関わる「田道間守」という人物についても以前見ていきましたが、この人物のエピソードを見ていて気になる漢字が出てきました。

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田道間守(たじまもり/たぢまもり)は、記紀に伝わる古代日本の人物。

『日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。

天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。
現在は菓子の神・菓祖としても信仰される。
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この田道間守という人物、「三宅氏の祖」とも言われることから、田道間守という人物と関わりのある生命の樹の、象徴図形が三本柱であることを思えば、「三」を冠する「三宅氏」の祖となったのは関連するものを感じます。

同時に「菓子の神」「菓祖」としても信仰される・・・というのを見たときに気になるものを感じました。

「菓子」の祖・・・そもそも、なぜ「菓子」や「御菓子」は「菓子」と言うのだろうか・・・と思えてきました。

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【菓子の語源・由来】

漢語で「果物」を意味した語。
中国で「菓」と「果」は同字であるが、植物を強調するために「菓」の字が使われた。

まだ当時は、果物にもこの語が使われていたが、江戸時代には果物と区別するため、果物を「水菓子」と呼ぶようになり、菓子から果物の意味がなくなった。
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つまり、元々「菓子」とは果物の意味があり、植物を強調するために「菓」が使われたと。

現在は、果物は水菓子と称され区別され、食事以外の嗜好品という意味になりました。

菓子の始まりとしては、田道間守が、橘を常世国(とこよのくに)から持ち返ったというエピソード、ここに起因するのだとしたら、「菓子」とは常世の国にある、生命の樹の「果物」に由来するという可能性も見えてきました。

そうなってくると「菓」という漢字の意味や、菓子の深意もみえてきます。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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