どこに「焦点」を合わせるか・・・と毎日が「ウキウキハッピー」でたまりません

どこに「焦点」を合わせるか・・・と毎日が「ウキウキハッピー」でたまりません

いつもありがとうございます。
日野です。

連日の深夜の配信となりすみません。

世間は、どうしても新型コロナウイルスの話題ばかりですが、僕はテレビは全く見ていません。

ただ、インターネットのニュースなどは、時々チェックしますので、それに近い情報は得ていますが、それもあまり気にし過ぎないほうが良いと思っています。

結局、人間は、焦点を合わせた事とともに、この現実を生きることになります。

たとえば、嫌いな人やいじわるする人がいるとして、そのことをずっと嫌だ嫌だと思い続けていたら、その人が、目の前にいなくても、その人とともにいることになるのです。

その人の影響を受け続けるのです。
それが幸せなことだったらいいですが、果してそれが幸せなことでしょうか・・・?

本当は、素敵なことや素晴らしいこと、素敵な風景が目の前にあっても、それらのことはすり抜けてしまって、全く「見えない」のです。

つまり、僕たちが焦点を合わせたものが、目の前の世界の一部になって、己の世界でどんどん具現化、現実化されていっていることにもなるのです。

新型コロナウイルスのヤフーニュースに対しての、コメントを時々見たりするのですが、今の新型コロナウイルスの蔓延に対して、外に出歩いている人のことに対して、怒り心頭の方たちもけっこうおられますし、新型コロナウイルスの情報だけで、絶望的になっている人もおられます。

しかし一方で、そういったことにとらわれずに、今目の前の人のために何かをしたり、今目の前のことに懸命になって、生きている人もいるのです。

どちらが良いとか悪いとか言っているのではなくて、自分自身はどういった生き方がしたいのか、ということになります。

以前「非二元論」は、こういった現状を生きていくのに、役立つといったことを言ったことがありますが、なぜ役に立つかと言えば、情報や現状に左右されにくくなるからです。

この瞬間、瞬間を生きていくことは、これから世界はどうなっていくのだろうかといった、まだ起こっていない先のことを気にしすぎることもないですし、そういったことにとらわれにくくなるのです。

今の情報化社会はある意味、思考モードに陥りやすく、そうなると天地の気の繋がりが絶たれ、健康面から見ても、免疫力を落とし外敵からの攻撃に弱くなります。

簡単にいえば、ウイルスなどに感染しやすい状況を創り出すのです。

まだ必要以上に恐れることはない

今の日本の新型コロナウイルスの感染者数は、特に3月後半から増えていっていますし、このままでは、やばいのではないかと思っている方も多いと思いますが、世界に比べれば、かなり抑えられている方です。

感染者数に対しての死者の数が、死亡者の多い国に対して、非常に抑えられているという見方もできるのです。

日本は4月9日の12時時点で、感染者数が4667人(前日比+499)退院者数668人、死亡者85人(前日比+4)となり、3月後半から、増加比率が高くなっているのは事実ですが、総感染者数に対しての死亡率は1.8%になります。

これは単純に100人の人が感染したら、そのうちの1.82人が重症化して、亡くなるということになります。

これは欧米諸国の状況に比べたら低い数字となります。

さらに日本の総人口が1.268億としたら、感染者数は4667人ですから、総人口に対しての感染率は0.0036%となります。

今現時点で、残念ながら亡くなった人は85人とすれば、総人口に対しての死亡率は0.000067%になります。

数字の比較は意味がないと言われるかもしれませんが、こういった数字をみれば、予断を許さないとは言いながらも、まだ必要以上に恐れることはないと思います。

インフルエンザのほうで亡くなっている人の方が多い

それよりも、インフルエンザのほうで亡くなっている人の方が多いのです。

2019年1月には1カ月だけで、インフルエンザで1685人の方が亡くなっています。

これは1日平均で死者54人となる計算になります。

しかし、新型コロナウイルスは1月くらいから言われだして、4月現在総計85人の方が亡くなっています。

比較してどちらが大きな被害でしょうか。

また、昨年2019年もデータが公表されている、9月までにインフルエンザ死亡者数は、3000人を超えています。

年間にしたら、インフルエンザで数千人から1万人くらいは、亡くなっているといいます。

しかも肺炎を併発したり、持病が悪化して心不全などその他の病気で、亡くなったりした場合は含まれません。

がんで年間40万近くの方が亡くなります。

そんな比較は意味がないとまた言われそうですが、しかし、今の現状はメディアが新型コロナウイルスにフォーカスすることで、それが非常に怖いものとして、過剰に報道されている一面があることも、見えてくるのではないでしょうか。

今のニューヨークの2、3週間前の状況が、今の日本の状況だと言われたりしますが、それが本当にそうなのかは、おそらく4月末から5月の日本の状況で、判断できるのではないでしょうか。

本当に5月になった時にニューヨークのように、悲惨なことになっているのか、もしくは増加しつつも、海外のようにまではなっていないのか。

スペイン風邪の時には、日本は第二波がやってきて、その第二波が、10倍以上の死亡率であったということも言われていますので、まだまだ油断できないことは確かです。

しかしそうだとしても、やはり怯えることなく、昨日も同じことを言っていますが、やることをやっていくしかないのです。

自分の体を整え、意識を整えることです。
そして情報に振り回されないことです。

「クスリネ」などを使って周波数を整えていくことです。

下記の株式会社netenさんのものも無料で公開されていますので、どんどん活用していくといいと思います。

僕も今これを書きながら、小さな音でリピートして流しっぱなしにしています。
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【初音ミク】新型コロナウィルスCOVID-19 退散祝詞パリンドローム with LOGOSTRON WAVE
https://www.youtube.com/watch?v=2PKRcOCaeCw
【初音ミク】天皇が唱える究極の言霊『とほかみえみため』40回
https://www.youtube.com/watch?v=hp6XKgurk1c
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毎日が「ウキウキハッピー」

DiODiAの体験談をいただきました。

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diodiaカード凄すぎます??
毎日がウキウキハッピーでたまりません
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DiODiAカードを2枚購入し、使用させていただいているのですが、非常に波動が高く、いつも身に付けていると心が穏やかになり、心身共にエネルギーが漲ってくるように感じます。

非常に良い買い物をさせていただいたと思っております。
どうもありがとうございます。
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ありがとうございます。

まさにこういった「ウキウキハッピー」な状態だと、ウイルスも近づきにくいと思います。笑

また、「心が穏やかになり」」「心身共にエネルギーが漲ってくる」ということで、こういった免疫力が充実した状態においても、ウイルスを寄せ付けにくい状態を構築していると思います。

先にも述べたように嫌いな人を気にするほど、その人をずっと感じて思うことになり、その人の影響を受け続けることになり、同じように、気にしすぎることが、ウイルスを寄せ付けやすい環境になり、病気を気にしすぎることが、病気を寄せ付けやすい状態になります。

病気のことも、健康のことも、全く気にしていない人の方が逆に元気なのは、その次元を超越しているからです。

焦点がそこに「ない」のです。

何か人生の目的に向かって邁進していたり、そんな健康だとか健康ではないとか、気にしている暇がないのです。

捉われたことを引き寄せる、意識し続けることを引き寄せる・・・

引き寄せるというより、自分の中で自ら創造して生み出してしまうのです。

ですから、こういう鬱々とした世間の状態のときこそ、自らの内は「光」の中にいるのです。

霊的なこともそうで、悪霊にどうやったら憑かれないかということを、考えれば考えるほど実は悪霊が寄ってくるのです。

そうではなく
「光」に焦点を合わせるのです。
「神」に焦点を合わせるのです。

そうしたら、闇や悪霊は寄って来ようがないのです。

新型コロナ・パニックに打ち勝つために

最後に、少し長いですが、山田豊文先生のFacebookの記事を、何回かに分けてご紹介したいと思います。

https://www.facebook.com/yamada.kyorin/posts/1310230299168011
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『新型コロナ・パニックに打ち勝つために』

新型コロナウイルスに関する前回のFacebook記事の続きを書きたいと思います。

なお、この記事の最大の目的は、より正しい方法によって、新型コロナウイルス・パニックを乗り越えることだと考えています。

いま起きている最大の問題は何か…、これについては様々な見解があると思いますが、特に日本においては、いわゆるパニックと言うに相応しい、状況になっていることを挙げておきたいと思います。

野球もサッカーも大相撲も無観客試合にし、挙げ句の果ては、春のセンバツ高校野球大会も中止になりました。

球児にとってはこの日の為に、厳しい練習を重ね大会出場を夢見てきたはずです。

小中学生の登校中止も卒業式など、楽しみにしてきた子供達の思いは、全く無視して簡単に決めてしまいました。

まさしく日本社会全体がパニック状態になっているようにみえます。

パニックというのは混乱している状態ですから、より正しい対処方法が、見えなくなってしまっている可能性が高いということです。

実際のところ、このウイルスはどういうものなのか…、ということについて、最初にまとめておくことにします。

このウイルスの遺伝子の塩基配列は既に解読されていて、以前に確認されている、どのウイルスと、どの程度の相同性があるかが、明らかにされています。

ただし、それは2番目に重要な情報であって、1番目は症状や致死率などの臨床像でしょう。

日本人にパニックを起こさせた最大の原因は、中国の武漢における致死率の数値だと思われます。

中国の武漢に住む高齢者は、現地に広がっていた大気汚染によって、気道内表面が侵されており、侵入してきたウイルスを追い出すことが出来ず、気道や肺でのウイルス増殖を許してしまったのです。

だからこそ、高い致死率になってしまったわけです。

また、重症化や死に至った人は、高齢者や基礎疾患を持っている人が殆どでしたが、最初からそのような内訳が報道されなかったことが、日本人に一層の恐怖感を与えることになったと思われます。

このあたりは、ニュース性を高めようとする、報道陣の企みを感じることが出来ます。

次に、このウイルスの遺伝子についてですが、コロナウイルスの一種である、SARSウイルスの遺伝子との相同性が79%であり、ヒトの細胞表面に在るACE-2という受容体を介して、吸着・侵入する経路も同じである。

従って、充分に怖いウイルスである、という印象を強く持たされました。

そもそも、コロナウイルスというのはインフルエンザと違い、風邪の原因ウイルスの一つであって、主には4種類が巷に蔓延していて、それは大抵の人が子どもの頃に感染し、いわゆる風邪を引き、その時に抗体を作っています。

ですから、子供たちは感染してもすぐに症状が治まるのです。

結局のところ、この新型コロナウイルスを、どの程度恐れるべきなのか…ということについては、少なくとも、日本の子どもたちや若者たちについては、それほど恐れる必要は無いということです。

必要以上に恐れるあまり、大人の社会も含めて、大変な状況になってしまいました。

仕事を無くされた人も沢山いらっしゃいます。
今後も、非常に不幸な状況に引きずり込まれていく人が、後を絶たない感じがします。

この機会に、多くの人が正しい捉え方に、改めていただけることを願うばかりです。
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次回に続きを掲載したいと思いますが、まさに、新型コロナウイルスの過熱報道によって、日本だけではなく、世界全体がコロナパニックに陥っています。

実際にひどい状況ではないかというご意見もあると思いますし、確かにそうではあるのですが、だからこそ、冷静に見ていく必要があります。

むしろ、ここから引き起こされる経済的な問題、食料の問題などが、今後一層深刻さを増していくでしょう。

そして、仕事が立ちいかなくなったり失業したり、そこから自殺の増加が、当然ながら起こってきてしまうでしょう。

しかし、健康であれば、何とかなるのです。

そして価値観や今までしていたことが、通用しなくなったということは、これは実は非常に大きな「転換点」であり「飛躍」の時でもあるのです。

逆に「危機」がこないと「飛躍」は起こりにくいのです。

「破壊」があってこそ、「創造」が起こります。

そう見ていけば、今までのことが立ちいかなくなるということは、方向性を変え、常識を変える「機」ということになります。

これを「試練」ととらえられるかです。

前回も記しましたが、再掲しています。
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あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

コリント信徒への手紙 第10章13節
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乗り越えられない壁は与えられないということになります。

必ず、逃れる道(乗り越えられる道)は示されるのです。

その為には、ある程度の「耐え忍び」が必要になってきます。

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試練を耐え忍ぶ人は幸いです。
その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

ヤコブの手紙 第1章12節
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逃れる道、そして命の冠とは、永遠のいのちに到る道でもあるのです。

いつかは死ぬのだから、この世で何をしたっていいのだ・・・ということではなく、死んだ後も「来世」はあるのです。

ただしそれは新たな誰かに生まれ変わるということでは「ない」ということです。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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