母親との今世での「別れ」と今まで「隠して」いたこと

母親との今世での「別れ」と今まで「隠して」いたこと

いつもありがとうございます。
日野です。

今回は私事で大変恐縮ですが・・・
やはりこのことに触れないわけにはいかないと思い、触れさせていただきます。

少し長いですが、興味がなければスルーしてください。
湿っぽい話をしようというつもりもないのでご了承ください。

今まで全く表のメルマガでは触れていなかったことなので、突然と思われるかもしれませんが・・・
3月27日の午前7時44分に僕の母親が天に召されました。

昨日がお通夜で、今日が告別式で無事母親を見送ることができました。

今まで母親の病状については限定会員様の方には、音声などで伝えていましたが、病気が発覚してから約2年間がんばってきましたが、まるで自ら潔く引き際をわきまえているかのように・・・
最後まであまり苦しむことなく安らかに静かにその生涯を閉じました。

75歳ということで、まだまだ長生きしてほしかったというのが本音でもあり、自分がもっと何かできたことはなかっただろうか・・・という思いもゼロではないのですが、しかし、できることはすべてやったという思いが圧倒的に多く、正直、後悔はなくて、今は非常にスッキリとした気持ちです。

今回、母親の病気を通じて感じたのは、天に定められた寿命は厳然としてあるのだということです。

そして、関わる人たちとともに天の完璧な仕組みのもとで、この宇宙は進行しているのだ・・・!!ということです。

そのことを強く感じました。

母親の病気を通じて、僕自身はこの2年間、本当にたくさんのギフトをいただきました。

母親が家族以外には、病気のことは知らせないでということを生前言っていたので、あまり多くを語るつもりはありませんが、2年前の2018年4月中旬であったと思いますが、父親から電話があり母親の膵臓癌が見つかり、3日後に手術をすると言われました。

突然のことであったので驚き、手術を止めることもできず、それだったら任せるしかないねと結局手術はなされました。

結果は2.5センチの腫瘍を切除して脾臓もとってしまいましたが、手術は成功はしたということでした。

脾臓も重要な臓器なので、本当はとらないほうが良かったと思うのですが、それも後の祭りです。
致し方なかったのだと思います。

その手術後すぐに抗がん剤をすすめられますが、それだけはしないでほしいと言いました。

抗ガン剤は思いとどまってもらい、自然療法でやっていこうとなりました。

その後、病院の先生が言うには、手術の時に腫瘍が飛び散って(生き延びようとした腫瘍細胞)が、肝臓に転移していたらしいとなり、その年の10月くらいであったと思いますが、肝臓に転移していることが分かりました。

いろいろと僕もできうることは母親に伝えて、実際にしてもらっていたのですが、そういったこともあってか、肝臓に腫瘍をかかえながらも、2019年までは日常生活も問題なく、元気に過ごすことができました。

今年のお正月も兄夫婦と集まりまずまず元気そうであったのですが、その後、1月中旬から下旬にかけて、元々無理ができない体に無理をしてしまったのが、負担になったのだと思うのですが、1月下旬から急に黄疸が出始めました。

腫瘍マーカーもかなり高くなり、黄疸のために体もしんどくなり、下肢のむくみも徐々に大きくなり、お腹のむくみ、腹水が出てきて、少しずつ歩くのもままならない状況となっていきました。

僕も日々見に行って、エネルギー療法の手当てなどをしていたのですが、日に日に弱っていく母をみてこれは限界だと思いました。

立ち上がるのもしんどそうになりました。

そして病院の先生とも相談して先週の3月19日に入院しました。

それでホッとしたというのもあったと思うのですが、さらに少しずつ弱っていきました。

亡くなる前日までは反応もあり、しゃべるのはしんどそうでしたが、うなずいたりしてたのですが、次の日の3月27日早朝に危篤の電話があり、父親は何とか間に合ったようですが、僕はちょうど心肺停止したころに到着しました。

ただまだ手のぬくもりもあって、本当によくがんばったねと思いを伝えることができました。

寿命に抗おうという思い

母親のこともあり、昨年兵庫のエネルギー療法の先生と、出会わせていただきました。

今年から本コースに通って学びをいただいているのですが、その学びをいただいたエネルギー療法も、ほぼ毎日していました。

最後の2カ月くらいはほぼ毎日立ち寄って約20分くらいですが、施術をできて、その時に母親とちょっとした会話ができたことは、今となっては幸せな時間でした。

もう少し長生きしてほしかったというのは、先ほども言ったようにありますが・・・
しかし、これもまた「宿命」であり、母親の「寿命」であると感じました。

そして寿命に抗おうという思いこそが思い上がりでもあり、非常に畏れ多い事であるということも今回、教えられたように思います。

そして、実は、兵庫のエネルギー療法の先生との出会いが、僕にとっては「セレンディピティ」という、全く別の「祝福」と出逢う道であったのです。

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セレンディピティとは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。

また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。
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この兵庫の先生からは、母親の病気を治す術がほしいという気持ちで学びを決めたのですが、全く思いもよらない別の「祝福」をいただくことになりました。

しかし、そのことは心の奥底では、潜在意識的には望んでいた事であったのです。

それは僕の生涯を決定的に変えるほどのインパクトがあり、このことと出逢わせていただいたことが、自分にとっての大きな「転換点」にもなりました。

詳細はまたお伝え出来るときが来れば、伝えて行きたいと思っていますが、いずれにしても、結果的には母親が命をかけて、兵庫のエネルギー療法の先生のもとへと導いてくれて、そしてそこでの祝福に導いてくれたと感じています。

「桜」

そのようにみていくとすべては必然の出来事であると思います。

火葬場へとむかうバスから道を眺めていると、神社の桜や、川沿いの桜並木が一斉に花開き始めていて、美しい景観が広がっていました。

桜の花の散り際の潔さと同じように、何か母親も潔く身を引いた気がして、母親の生き様と重なるような気がしました。

母親の戒名にはその時期にちなんでか「桜」の文字が入りましたが、この時期や生き様を反映してぴったりだと思いました。

また僕がまだ10代の頃に、自宅でマルチーズの犬を飼いだしたのですが、その犬を15年以上長年室内で飼い続けて、本当に両親も最後までかわいがっていましたが、その犬の名前が「さくら」でした。

母親は桜(さくら)と縁があるようです。

この両親のもとに生まれてきて本当に良かった

そして何より良かったのは、手術から2年間、途中、肝臓の転移もありましたが、最後の1カ月半くらい、肉体的には少し辛い状況もありましたが、それ以外の1年10カ月くらいは、自分のことは自分でできて、普通の人と変わらない生活を送れたことです。

そして、父親や僕たちの手をほとんど煩わせることなく、桜のように潔く散っていきました。

父親も本当に献身的に母親のことを支えてくれて、この2年間ともにがんばってくれました。

いつもは、地域の行事や趣味のカメラなどいろいろと忙しい父親ですが、この3月はコロナウイルスのこともあり、のきなみ行事が中止となり、父親もほとんど家にいることになりました。

それが幸いして、逆にしんどい状況の母親につきっきりで見てくれました。

これもまた天の配剤であったと思います。

父親にも本当に感謝ですし、この両親のもとに生まれてきて本当に良かったと、改めて思いました。

今年の2月くらいであったか、母親の背中に手を当ててエネルギー療法をしているときに、母親が唐突にこう言いました。

お父さんと結婚出来て僕と兄の二人の子どもを生むことができて、本当に良い子に育ってくれて幸せだった・・・と。

胸がいっぱいになりました。

「輪廻転生」はあるのか?

先日のお通夜と今日の告別式では、頭上からの母親のエネルギーを感じながら、そのエネルギーを意識しながらその場にいました。

体は「空だ」「殻だ」と言われるように器でしかなく、その本質は「魂」「霊」です。

「霊魂」とも言いますが、この「霊魂」が体(空だ・殻だ)から離れることで、人体と切り離されます。

ですからご存知のように死で終わりではないのです。

そのように考えると、僕自身は母親の霊魂はあることが分かっていますので、正直あまり喪失感というのを感じていません。

先にも述べたように、ずっと上からのエネルギーを感じていました。

光に包まれて僕たちを見下ろしてくれているような、そんな感覚が伝わってきました。

ただ母親の肉体をもった存在としては、もう永遠に会えないわけですから、やはり寂しい・・・というのもありますが、そうはいっても、この体という器を抜け出すということは、いずれ誰もが通らなければならない道です。

死後どうなるのか・・・。

これについてはいろいろ言われていますが、当たり前のように言われているのが「輪廻転生」です。

僕自身はこれについては前にも触れた気がしますが、疑問をもっています。

本当に、人は死んだ後に別の人間として生まれ変わるのか?

また機会があれば伝えたいと思いますが、個人的見解としては輪廻転生は「ない」と思っています。

しかし、霊魂は残ります。

そして「輪廻転生」はないが「過去世」もあるし「来世」もあると思っています・・・!!

そういう意味では、霊魂は不滅といえるのかもしれません。

今この瞬間を大切

話がそれましたが、今回、本当に私的な話となってしまい申し訳ありません。

正直、もっと落ち込むかと思っていたのですが、無理をしているわけではなく、本当に穏やかな気持ちで不思議と大丈夫です。

なのでご安心ください。

母親には本当にお疲れさまという気持ちと感謝の気持ちしかなく、100%この現実を受け止めて受け入れている自分がいます。

また述べたいと思いますが、罪悪感や、自責の念も自分の体を蝕みます。

そういったものは必要ありません。

これからもいろいろな体験をしていくと思いますが、すべてを必然であると受け止めて、今この瞬間を大切に歩んでいきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

日野

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