「苦」の後に生じる光と「神鳴」の発生原理から生れ出づるマイナスイオン

「苦」の後に生じる光と「神鳴」の発生原理から生れ出づるマイナスイオン

いつもありがとうございます。
日野です。

今日も深夜の配信となりすみません。

今日は滝風イオンメディックの、まだ3人しかいないという、滝風ゴールドマイスター矢嶋さんに来ていただき、マイナスイオンや滝風イオンメディックの、魅力についてお話していただきました。

僕自身、日々使っているものの、先日と今日、矢嶋さんの話を聞いて、改めて滝風イオンメディックの素晴らしさを実感しました。

ただスイッチを入れっぱなしで、あとは何もしなくていい・・・、これこそ究極の何もしない健康法だと思いました。

空気を変革することで、自分だけで頑張るのではなく、自分と周囲の空間をすべて味方にして、人体を良い状態へと導いていくすばらしいものだと思いました。

このイオンメディックの中核には、イオンターボチャージャー方式という、人工衛星はやぶさでも使われている、エンジン動力を応用してできたのが、この滝風イオンメディックです。

この製法は特許が取られていて他では真似ができない構造です。

発生原理は、非常に単純に言えば、「雷」と同じ原理です。

水の子、上村会長がおっしゃっていたのですが、雷が落ちた田んぼは、その落ちた部分は雷でやられているけれども、その周辺は大豊作となる・・・ということをおっしゃていて、雷のマイナスイオンの凄さを感じたのですが、まさに、その雷=神鳴りの原理でマイナスイオンが発生するということで、滝つぼの約2000倍という約2400万個のマイナスイオン量を、現実的に可能にしてしまいました。

その圧倒的なマイナスイオンが部屋に充満している状態で、スイッチを入れるだけで空間が神社のような清浄な空間になります。

また少しずつお聞きしたことをお伝えできればと思っています。

体験談も本当にびっくりするものをいくつかお聞きしたのですが、矢嶋さんの上司の方が、末期の癌に侵されて、余命半年と言われたそうです。

しかし、抗がん剤や手術は拒否して、おれは好きなことをする・・・といって、病院の治療をしないと決断したといいます。

そこで、少しでも環境を整えてということで、滝風イオンメディックを、寝室とリビングと、仕事場3台導入してもらったといいます。

そして、半年後に自分が死んだら、3人のこどもたちに滝風イオンメディックを残してくれと言ったといいます。

そうしたところ・・・

半年過ぎても大丈夫で・・・
1年過ぎても元気でいて・・・
2年過ぎても大丈夫で・・・

結局、7年すぎた現在もまだピンピンしているそうです。

まだ先輩生きているのですか・・・?と。笑

まさに空間とともに人体をも、最良の状態を維持していってくれるのが、滝風イオンメディックなのだと思います。

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「苦」の後に生じる光

前回のメルマガでは、生命の樹の象徴図形の10個の球体のことを、「セラフィト」と記した箇所がありましたが、「セフィロト」の間違いでした。すみません・・・。

三回転半、三行半、三年半ということは、試練や苦難を象徴しているのではないか・・・といいましたが、こういうと非常に辛いことのように感じるかもしれませんが、産みの苦しみの後には喜びがあるように、「苦」の後には「楽」があるように、「闇」の後には必ず「光」が差し込みます。

これもまた、法則のような気がします。

三行半の説明の中にはこうありました。
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したがって、「三行半」のなかには、離別宣言とともに、再婚許可文言が記されているのが通例である。
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離別宣言とともに「再婚」許可文言が記されている・・・

すなわち、離別(終わり)の後には、再婚(始まり)という可能性が開けるということです。

これと同じように、ヨハネの黙示録などに示されている、終末にくるという人類の大艱難時代の後には、必ず「光」がやってくるということになります。

正直そのときに、命があるのかないのかということよりも、自分が今この瞬間瞬間をどのように生きたのか?、ということが問われるのです。

「苦楽」という言葉がありますが、これは素直に受け取れば「苦・楽」という順番になっていて、「苦の後には楽がある」ということを示しているように思います。

人生もまさにそうだと思います。

ですから、どんなに苦しくても一寸先は「闇」ではなく、「光」を信じて突き進んでいくことが大切ではないかと思います。

イエス・キリストの復活

そもそも「苦」という漢字は「苦」=「草冠」+「古」という漢字から成り立ちます。

「草冠」は元々「艸」と示しましたが、これはイエス・キリストが十字架にかかるときにつけられた、「茨の冠」を象徴します。

「古」には、一説では頭蓋骨や硬い兜といった意味合いがあるそうなのですが、そのように見れば、「古」とは、「茨の冠」+「頭蓋骨」となり、茨の冠をかぶったイエス・キリストを象徴することにもなります。

非常に違和感があるかもしれませんが、「苦」とは、全人類の罪を背負った、イエス・キリストの苦しみを象徴的に示しているのです。

また、「苦」=「艸」+「十」+「口」とみれば、「艸」は「茨の冠」で「十」は「十字架」となり、「口」は「箱」を象徴するので「箱」といえば、「契約の聖櫃アーク」となり、「苦」で、契約の聖櫃(口)に立つ「十」字架の、イエス・キリスト(艸=茨の冠)となります。

契約の聖櫃アークは三種の神器が収められる箱で、絶対神ヤハウェそのものを象徴します。

ですから、「口」は「契約の聖櫃アーク」であり、同時に「絶対神ヤハウェ」でもあり、さらに言えば「口」は神の口から出る言霊をも、象徴するのかもしれません。

神の言霊は現実化します。

イエス・キリストの十字架は、絶対神ヤハウェとともにあったということになります。

本質は、イエス・キリスト=絶対神ヤハウェということになります。

そしてイエス・キリストは十字架で死を迎えますが、その3日後に復活します。

これはイエスの弟が十字架の身代わりになったとか、逆にイエス・キリストは死んだが、イエスの弟が復活劇を演じたとか、いろいろと言われていますが・・・真相は、そうではなく・・・

誤解を恐れずにいえば、非科学的だと言われるかもしれませんが、文字通り、死んで蘇った・・・ということになります。

これを「復活体」といいます。永遠に死なない体になったということになります。

人は死んで神になると日本ではよく言われますが、この思想は、イエス・キリストの死と復活から来ています。

いずれにしても「復活体」となると永遠に死なない体となります。

これは全人類にとっての「予型」を示したということになるのです。

つまりいずれは「人」も「復活体」になる可能性があるということ、「型示し」をイエス・キリストはしたということになります・・・。

苦の後に楽があり闇の後には光がある

話が大幅にそれましたが、「死」のあとに「復活」があるように、苦しみで終わるわけではありません。

苦の後に楽があり闇の後には光があります。

人生においても全く同じで、今闇に思えるようなことがあっても必ず光がきます。

それを信じられるかどうかです。

それは見えない世界、見えない力を信じられるかということにも、通じるのだと思います。

自分だけの力で、自分だけの努力でもある程度はいけるのかもしれませんが、やはり限界があるような気がします。

ということで、宗教的な話になりすみません。

僕としては純粋に、この世の不可思議なことの真の姿を、知りたいという好奇心になるのですが、興味がない方には申し訳ありません。

「苦楽を共にする」という言葉がありますが、「苦」とともに「楽」という字を見ていけば、「苦楽を共にする」ということの、本当の意味が見えてくるような気がしました。

次回少し触れてみます。

日野

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