ギョベクリ・テペ遺跡の「正体」と今までの説の「修正」と蘇生マコモキャンペーン

ギョベクリ・テペ遺跡の「正体」と今までの説の「修正」と蘇生マコモキャンペーン

いつもありがとうございます。
日野です。

今日は深夜の配信となりすみません。

株式会社リバーヴの蘇生マコモさんは、ケフィアヨーグルトやコーヒー、ブラックジンガーなど入れてますが、マコモさんと呼びかけながら毎日摂取しています。笑

今回、先着なくなり次第終了となりますが、マコモレジェンドプラス(粉末)をご購入の方には、スサノメグミ50mlプレゼントさせていただきます。
こちらは、特典のスサノメグミ50mlが、なくなり次第、終了となりますのでどうぞよろしくお願いします。
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マコモレジェンドプラス 150g
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前回の、さわやかリーモマウスウォッシュで「発酵」の大切さをお伝えしましたが、発酵には、「微生物」が関わっています。
この蘇生マコモも、マコモ菌さんが関わって、素晴らしいものになっていますし、「発酵」「微生物」というものが、非常に重要であるということを、認識していただければ良いと思います。

そして「スサノメグミ」がマコモを作る時に使われる水分を集めて、7年間熟成発酵させたマコモ菌の培養液です。
そのことによって、マコモの濃度が100倍になるといい、それだけ強力な培養液になっています。
ここにも「発酵」の力が関わっています。

空間にスプレーすることで強力な浄化力を発揮して、まるで清浄な神社の空間にいるかのような状態にしてくれます。
自分の顔や頭上に吹きかけることで、自分の状態が「激変」していく・・・という体験談も実際に聞いています。

ぜひいろいろと活用してみてください。

考古学者の頭を悩ませるギョベクリ・テペ遺跡

前回触れた、トルコ東南部のギョベクリ・テペ遺跡ですが、興味がない方はスルーしてください。すみません。
こういう話題になると、好奇心がムクムクと出てきて、止まらなくなってしまいます・・・。汗

この遺跡が年代測定法ではじき出されたのは、約1万2千年前ということで、常識からは、考えられないものとなり、考古学者の頭を悩ませています。

ギョベクリ・テペ遺跡について、映像や解説など下記の動画が分かりやすく解説されていました。
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THE UFO 神々との遭遇!宇宙人と超古代文明 1995
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3875&v=g2REqGHU3Qc
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タイトルにもあるように、遥か古代に突如として出現したかのような遺跡のため、神が造ったものではないか、とか宇宙人が造った施設ではないか・・・という説もあるくらい、謎に包まれた神秘的な施設です。

超古代文明の叡智を受け継いだ遺跡

まず、ここで、今まで述べてきたことを、少し修正させていただきたいと思うのですが(汗)前回述べたギョベクリ・テペ遺跡や、明日香村の石造物などは、超古代文明の遺跡である・・・と言いましたが、厳密に言えば、そうではないと(絶対ではありませんが)ここで述べておきます。

先に結論を言えば、ギョベクリ・テペ遺跡とは、超古代文明の叡智を受け継いだ人たちが、ノアの大洪水の後の時代に、建造した可能性が高いと思っています。
確かに、ギョベクリ・テペ遺跡は、炭素年代測定法をはじめとするいくつかの測定法から、約1万2千年前という数字がはじき出されました。
これを信じるのならば超古代文明の遺跡と断定しても、良いのではないかと思いますし、明日香村の石造物などを含めて、僕もそうだと思ってしまいました。

しかし、この数字が正しいと言い切れないものがあるのです。
実際に、炭素年代測定法などは、現代のものを測定したのに、遥か古代の年代がはじき出されてしまったということも起こっています。
ですから、慎重に見ていく必要があると思っています。

だからと言って、超古代文明が存在しなかったのか・・・というとそうではなく、超古代文明が実在するということは、僕の中では100%確信しています。
超古代文明、すなわち超古代アスカ文明は実在したと断言していいと思います。
そして、ギョベクリ・テペ遺跡や明日香村の石造物などは、超古代文明の叡智を受け継いだ遺跡であるというのが、正確なところであると思います。

ただ実際に超古代文明の遺跡もあります。
超古代文明の遺跡だと断言できるものは、今のところ、エジプトギザの三大ピラミッドとスフィンクスでしょう。
これらがノアの大洪水でも奇跡的に残った遺跡であると、言えるのだと思います。
スフィンクスはピラミッドとの位置などから、かつては2体あったものと思われますが、そのうちの1体は、ノアの大洪水の時に流されてしまったようです。
スフィンクスは狛犬の期限となっており、狛犬が2対で阿吽を象徴する以上は、スフィンクスも2体あったと見るほうが自然です。

ギョベクリ・テペ遺跡の「正体」

世界各地に大洪水の伝説が残されているように、これは世界的な規模、もっと言えば太陽系規模の大激変が、かつてあったということになります。

今から約4500年前、聖書学的には紀元前2344年と言われていますが、この時代に、ノアの大洪水は起こったとされています。
40日40夜雨が降り続いたといいます。
これは地球上だけで考えると、果たしてそれだけの雨が降り続けるのだろうか・・・ましてや地球の大陸を覆うほどの水が、果たしてあったのだろうかと思うのですが、地球外からもたらされた水(超熱水)と、地底から噴出した水をあわせて考えると、なぜ地球の大陸が覆われるほどの水が、供給できたのかという答えが導き出されます。

いずれ機会があれば取り上げてみたいと思いますが、ノアの大洪水には「月」や「未知の天体」が大きく関わっています。
そういった天体の大激変によって、大規模な「水」の災難が引き起こされます。

神の預言に従ったノアの一家8人がノアの箱舟で生き延びるのですが、ノアの箱舟はアララト山系あたりに漂着します。
アララト山系は、現在のトルコの東端あたりにある山系になるのです。
そう・・・ここでも「トルコ」です。
ギョベクリ・テペ遺跡もトルコ東南部から見つかっていることを思えば、そこに相関関係があると見るのが自然です。
ギョベクリ・テペ遺跡が、約1万2千年前のものであるのかは置いておいても、かなり最古に近い遺跡であることは間違いありません。

それが考古学者を悩ますところで、通常、人類は、狩猟民族から始まり農耕民族となって、宗教ができて・・・となっていくのが、普通であると思われているのですが、このギョベクリ・テペ遺跡を見ると、いきなり神なる存在を祀る神殿が出現しているのです。
しかも年代から言えば旧石器時代、その時代にすでに、高度な動物のレリーフが刻まれた石柱が、何本も円形状の中に建っていて、その円柱状の施設が、発掘されたものでも4基くらいあり、その周囲に20基くらいはあるらしい・・・という、かなり大規模な施設なのです。
いきなり高度な文明が出現していることから、今までの人類の進化の常識が壊れてしまうのです。
さらに言えば、小麦の原種の発祥地も、この遺跡から近いトルコから発祥していることが分かっています。

こうなってくると、このギョベクリ・テペ遺跡の正体が見えてきます。
年代測定法が絶対ではない以上、この年代測定法を絶対視してしまうと、真の姿が見えなくなります。
結論を言います。
これは飛鳥昭雄さんの出した結論となるのですが、僕もこれが一番しっくりきました。
ギョベクリ・テペ遺跡の正体、それは・・・ノアの大洪水で生き延びたノアやその後のノアの一族が築いた神殿だ・・・!ということです。
ですから年代的に言えば約1万2千年前ではなく、約4500年前くらいの遺跡であるとなってくるはずです。

ノアの大洪水のあと、生き延びたノアやノアの一家が、超古代文明の叡智を駆使して、作り上げた神殿群の可能性が極めて高いと思われます。
旧世界から断絶のあと新世界へと引き継がれた叡智が、ノアやノアの一家にはありました。
ノアは神の預言を受けた預言者です。
ノアの箱舟を作るほどの技術を持ち合わせています。
だからこそ、ノアの大洪水の後、約4500年前に突如として、これだけ高度な施設が築けたのです。

人類の初まりであったのではなく、人類の断絶の後の、再始動であったのです。

預言者ノアが中心となり築き上げた神殿群

この遺跡は、「エデンの園」だという説もあるのですが、聖書学的にはアダムとイブが存在したのが、今から約6000年前くらいになります。
しかし、聖書をよく見れば分かるのですが、エデンの園は現在、地球上にはありません。
アダムとイブがエデンの園を追放された後、いわば神によって取り上げられます。
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神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。(旧約聖書 第3章24)
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現在、おそらくエデンの園は、上記で言われる「回る炎のつるぎ」に象徴される、誰もが知っている、誰もが毎日見ている天体に存在していると思われます。

ですから、聖書からみれば、ギョベクリ・テペ遺跡はエデンの園ではありえないとなり、一番、可能性が高いのが、旧世界(ノアの大洪水前の超古代文明)から、新世界(ノアの大洪水後の地球)へと生き残った、旧世界の叡智をもつ預言者ノアが、中心となり築き上げた神殿群である可能性が高くなってきます。

彼らは石工でもあり高度な建築家集団でもあったのです。
イースター島のモアイ像も、明日香村の猿石も、ギョベクリ・テペ遺跡をスタンダードモデルにして、広がっていった遺跡群のひとつであるとみれば、すっきりしてくるように思います。

あくまでひとつの説でありこれが絶対ではありません。
これからの検証や研究を待つ必要がありますが、大筋そのような流れであると、見てよいのではないかと思います。

いずれにしても魅惑に満ちた遺跡であることは間違いありません。

「T字型」の石柱から見えてくるもの

そして、この遺跡の石柱がまた、非常に謎に包まれていると言ってもいいのですが、この形状がまた不可思議というのか、異様というのか、ただ石柱が建っているのではなく、その石柱の上に、さらに横向きの石が置かれているのです。
つまりは「T字型」の石柱となって、それがいくつも建てられているのです。
ギョベクリ・テペ遺跡の写真をお借りするとこんな感じの石柱です。
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謎のT字型の石柱群
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/23/51ad3a84f467385c28c001eacfe468fd.png
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しかし、この石柱から見えてくるものがあります。
次回、少し触れたいと思います。

余談でかなり長くなってしまいましたが(汗)
最後まで読んでいただきありがとうございます!

日野

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